宇佐美貴史(うさみ たかし、1992年5月6日 - )とは日本のサッカー選手である。
J1リーグのガンバ大阪所属。元サッカー日本代表。
概要
京都府長岡京市出身。利き足は右足。ユース時代は「都市伝説」と形容されるほど圧倒的な存在だった。
非凡なるキックセンスとドリブルを持ちパスもうまく、得意なドリブルテクニックはシザース。
2015年3月27日、チュニジア戦でA代表デビュー。
日本の選手の苦手なペナルティーエリア外からの威力があり精度の高いシュートを打つことができ相手をドリブルで抜きされる個人技ももっている。
2018 FIFAワールドカップの日本代表メンバーにも選出され、2試合に出場している。
経歴
プロ入り前
両親揃ってガンバ大阪サポーターの家庭に男3兄弟の末っ子として生まれる。兄2人がサッカーをしていたことに影響され、1歳半の頃から自然とボールに触れ始め、3歳ぐらいになると公園でボールを蹴り始める。
5歳の頃に地元の長岡京サッカースポーツ少年団(長岡京SSS)に入団。小1のときに小4、小2のときに小5のチームに飛び級し、小4のときには毎年200得点以上、合計600得点以上をあげるという信じられないエピソードを残しており、当時から天才少年として地元では知れ渡っていた。
中学生になった2005年にガンバ大阪ジュニアユースに入団。このときも中1の頃から中3の試合に出場。中2のときにはキャプテンを任され、2006年の高円宮杯第18回全日本ユース選手権(U-15)では大会得点王となる10得点の活躍を見せ、G大阪ジュニアユースの初優勝に貢献。この中2の頃にはプロに「なれる」と確信していたらしい。
中学3年生のときに高校年代にあたるガンバ大阪ユースに飛び級で昇格。唯一の中学生ながらレギュラーに定着すると、2007年の第31回全日本クラブユースサッカー選手権(U-18)に優勝。高校1年生になった2008年には12月の第16回Jユースカップ決勝でセレッソ大阪ユースを相手に2点ビハイドの状況からの逆転劇に貢献し、6年ぶり4度目の優勝をもたらす。高1のときにすでに次の年からはプロに上がることを告げられており、本人の意識はすでにその先にあったとのこと。この時点ですでにシュートやパスといった攻撃の能力については完成していたと言われ、数々の活躍を見せたことからG大阪ユースの最高傑作と呼ばれた。
ガンバ大阪時代
2009年高校2年生にしてガンバ大阪のトップチームに昇格。背番号は「33」。超逸材としてメディアやファンからの注目度も高く、5月20日のACLグループリーグ第6節FCソウル戦でスタメンとして起用され、プロデビューを果たす。しかもこの試合の後半19分にプロ初ゴールまで決め、5月24日のJ1第13節鹿島アントラーズ戦でJリーグ初出場も果たす。だが、まだ体ができあがっていなかったこともあってコンスタントにメンバー入りすることはできず、J1リーグでの出場は4試合のみにとどまった。
2010年も開幕当初は出場機会を得られなかったが、チームに怪我人が続出したことで出番が回り、4月のあたりからスタメンで起用されるようになる。4月14日のACLグループリーグ第5節水原三星戦では、後半ロスタイムに決勝点を挙げてチームの逆転勝利に貢献。4月25日のJ1第8節FC東京戦でも、後半20分に遠藤保仁のアシストからJ1初ゴールを決める。この活躍によって西野朗監督からの信頼を得られるようになり、左サイドハーフや2トップの一角として出場機会を増やし、高校生Jリーガーとしては最多記録となるシーズン7ゴールを記録。この年のJリーグアウォーズでは、Jリーグベストヤングプレイヤー賞を受賞。また、G大阪の選手とサポーターが選ぶチームのシーズンMVPに選ばれる。
2011年からは背番号を「11」に変更。この年はトップ下や左サイドハーフでの起用が中心となったが、ゲームメイクに徹するあまり開幕からノーゴールが続き、スタメンから外れることもあった。5月15日のJ1第11節アビスパ福岡戦でようやくシーズン初ゴールが生まれ、調子を上げていく。
バイエルン・ミュンヘン時代
2011年7月13日にドイツ・ブンデスリーガの名門バイエルン・ミュンヘンへの1年間の期限付き移籍が決定。背番号は「14」。また、バイエルン移籍と同時に1歳年上の幼馴染であるタレントの田井中蘭との入籍を発表。これにより、妻の所属するセイントフォースとマネージメント契約を結んでいる。
8月13日のブンデスリーガ第2節ヴォルフスブルク戦でブンデスリーガ初出場を果たす。しかし、スター選手が揃うバイエルンではベンチに入ることすら苦労する日々が続き、ユップ・ハインケス監督に酷評されたこともあり、2012年4月12日の第32節ヴェルダー・ブレーメン戦で初めてフル出場を果たすが、ブンデスリーガでの出場は3試合にとどまる。また、5月20日には日本人として初めてUEFAチャンピオンズリーグ決勝のベンチ入りを果たすが、出場機会は得られず。シーズン終了後、バイエルンは完全移籍のオプションを行使しなかったため、1シーズン限りでの退団が決定する。後に、このバイエルンでの1年を「鼻をバキバキに折られた学びの1年だった」と振り返っている。
ホッフェンハイム時代
2012年5月13日ドイツ・ブンデスリーガのTSG1899ホッフェンハイムへの完全移籍オプション付き1年間の期限付き移籍が発表される。9月16日の第3節SCフライブルク戦で移籍後初スタメンを飾ると、この試合でブンデスリーガ初ゴールを記録。その後しばらくはレギュラーとしての出場が続くが、極度の不振に陥ったチームは二度の監督交代をおこなうなど混迷を極め、徐々に出場機会を失っていく。シーズン終盤は戦力外の扱いになり、ドイツでの2年間の挑戦は失意のままで終わる。
ガンバ大阪時代(第2次)
2013年6月18日前年度にJ2へ降格していた古巣のガンバ大阪へ復帰。背番号は「39」。7月20日復帰初戦となったJ2第25節のヴィッセル神戸戦でいきなり2ゴールの活躍を見せ、首位攻防戦勝利に貢献。以降、長谷川健太監督に2トップの一角として固定されるとゴールを量産。8月の5試合では5ゴールの活躍を見せる。シーズン終盤には遠藤保仁と2トップを組むことになり、10月30日のJ2第38節徳島ヴォルティス戦ではプロ初となるハットトリック達成を含む4ゴールの大活躍。シーズン途中での加入ながらもリーグ2位となる19ゴールという驚異的な記録を生み出し、G大阪の1年でのJ1復帰との原動力となる。
J1復帰となった2014年だったが、2月中旬の練習中に左足を負傷。全治8週間というプロ入り初の長期離脱を経験する。5月6日のJ1第14節徳島ヴォルティス戦でシーズン初スタメンを飾ると、この試合で復帰後初ゴールを決める。シーズン前半戦のG大阪は、一時は降格圏に沈むほど低迷していたが、ワールドカップの中断明け以降に宇佐美とパトリックの2トップが定着すると、2トップがコンスタントにゴールを重ねたことで見違えるほどの快進撃を見せる。また、ヤマザキナビスコカップでは決勝までの6試合でチーム最多の5ゴールを記録し、ニューヒーロー賞を受賞。11月8日のサンフレッチェ広島との決勝ではパトリックの同点ゴールをアシストし、2点ビハインドをひっくり返しての優勝に貢献。J1リーグでは8月末から10月にかけてチームは破竹の7連勝を記録し、優勝争いに加わる。一時的にゴールが決められない時期があったが、大事なシーズン終盤にはきっちりとゴールを決め、9年ぶりのJ1優勝に貢献。さらに、天皇杯でも準決勝の清水エスパルス戦で2ゴール、決勝のモンテディオ山形戦では2ゴール1アシストの活躍で優勝に導く。この年の公式戦では合計21ゴールをあげており、G大阪初の国内三冠の立役者となる。また、Jリーグアウォーズでは初のベストイレブンに選出されている。
2015年はシーズン開幕から好調を維持し、ゼロックススーパーカップでは決勝ゴールを決めて最初のタイトル獲得をもたらせば、リーグ戦でも第3節から第8節まで6試合連続ゴールを記録する。6月27日の1stステージ最終節モンテディオ山形戦ではJ1では初となるハットトリックを達成。1stステージ終了時点で13ゴールをマークし、得点ランクのトップに立つ。しかし、2ndステージになると代表戦も含めた過密日程の影響でコンディションを落とし、得点のペースが落ちて惜しくも20ゴールの大台には届かず。チャンピオンシップでも3試合不発に終わり、リーグ連覇を逃す。一方、天皇杯では準決勝のサンフレッチェ広島戦で2ゴールを決め、決勝進出に導き、天皇杯連覇に貢献。この年、2年連続でJリーグベストイレブンに選ばれる。
2016年は、チームはACLで早々とグループリーグ敗退となるなど低迷するが、自身は1stステージ14試合に出場し7ゴールと結果を出す。1stステージ終了後、2度目のドイツ移籍を表明し退団。
アウクスブルク時代
2016年6月20日ドイツ・ブンデスリーガのFCアウクスブルクへの完全移籍が発表される。移籍金は推定2億円。8月27日の開幕戦ヴォルフスブルク戦に途中出場し、ブンデスリーガでの再デビューを果たす。しかし、守備を重視して戦うチームの中で、守備を苦手とする宇佐美はなかなか出場機会が与えられず、ようやく巡ってきた少ないチャンスでも結果は残せず。2016-17シーズンは、11試合無得点という散々な結果となってしまい、地元紙からは「期待を大きく下回った」と酷評された。
デュッセルドルフ時代
アウクスブルクではすでに構想外となっていたことで、2017年8月30日ドイツ・ツヴァイテリーガ(2部)のフォルトゥナ・デュッセルドルフへレンタル移籍することになる。前のシーズンで試合に出れなかったことで試合勘が鈍り、シーズンの前半戦は調子が上がらずにいた。2018年1月に原口元気がチームに加入し、原口が左サイド、宇佐美が右サイドと日本人で両翼を担うようになると自身の調子も上がり、第23節から第26節まで4試合連続ゴールを記録。優勝のかかった第34節1FC.ニュルンベルクとの直接対決では、2点ビハインドの状況から反撃の狼煙となるヘディングシュートを決める。これが逆転勝利の口火となり、ブンデスリーガ昇格とツヴァイテリーガ優勝の立役者となる。
前年活躍が評価され、2018-19シーズンはレンタル期間を1年延長することになる。シーズン前半戦は右サイドハーフとしてレギュラーで起用され、11月10日の第10節ヘルタ・ベルリン戦ではブンデスリーガでは6年ぶりとなるゴールを決める。しかし、残留を目標とするチームはまずは守備からという戦い方となり、またもスタメンの座を失い、出場機会が減ってしまう。シーズン後半戦にはチームの構想外になってしまい、19試合1得点という成績で終了。シーズン終了後アウクスブルクとの契約が切れたことで2度目のドイツでの挑戦も失敗という形で終わる。これについて「清々しいくらいの失敗」と語っている。
ガンバ大阪時代(第3次)
2019年6月24日古巣であるガンバ大阪に3シーズンぶり2度目の復帰をすることが決定する。背番号はプロ1年目と同じ「33」。またも復帰初戦となったJ1第20節名古屋グランパス戦でゴールを決める。降格圏手前まで低迷していたチームを今度も活気づかせる原動力となり、第30節から第33節まで3試合連続ゴールを記録するなど、14試合で7得点をマークし、J1残留に貢献。
2020年シーズンは、2トップの一角として開幕から出場し、7月26日のJ1第7節ヴィッセル神戸戦では右足での豪快なミドルシュートを叩き込んでいる。しかし、シーズン途中からチーム戦術が変更になった影響もあって良さを十分に発揮することができず、チームは年間2位と前年度よりも大幅に順位を上げるも、自身は6ゴールに終わり、消化不良のシーズンとなった。
2021年はシーズン前に膝を負傷しコンディションが上がらず、開幕5試合目となったJ1第18節鳥栖戦でチームのシーズン初得点となる決勝ゴールを決め、初勝利をもたらすが、チームの低迷と共に自身の調子も上がらず、スタメン落ちも経験。だが、9月30日のJ1第30節柏レイソル戦ではプロ13年目にして初めてJ1で直接FKによるゴールを決め、チームの連敗を4で止める。重要なシーズン半ばから終盤にかけて調子が上がり、全38試合に出場し、フィールドプレイヤーで出場時間がもっとも長いなどチームのJ1残留に貢献。シーズン後、J1王者の川崎フロンターレから獲得オファーを受けるが、残留する。
新体制のエースとして期待された2022年シーズンだったが、3月6日のJ1第3節川崎戦の後半12分に担架で運ばれピッチを後にする。診断の結果、右アキレス腱断裂の重傷であることが発表され、7か月の長期離脱を強いられ、その間にチームはJ2降格の危機に直面する。10月1日の柏戦で復帰すると、前線の起点として機能し、チームのJ1残留に貢献する。
2023年からは背番号をかつて遠藤保仁が付けていた「7」に変更、さらにチームのキャプテンに任命される。2月18日のJ1開幕戦柏レイソル戦ではドリブル突破から1年3か月ぶりとなる公式戦でのゴールを決める。その後、チームは一時は最下位に転落するほど低迷し、5月20日の横浜FM戦後には抗議するサポーターグループが応援をボイコットし、主将として涙ながらに批判を受け止める場面もあった。自身も調子が上がらず、夏場にかけてはスタメンから外れるようになっていた。低迷するチームの救世主となることはできず、5得点1アシストと自身にとっても不本意なシーズンとなった。
2024年シーズンのJ1リーグ開幕戦FC町田ゼルビア戦ではスタメンを外れたものの、途中出場から芸術来てなFKによる同点ゴールを決める。スタメンに返り咲いた第2節、第3節でもゴールを決め、開幕3試合連続ゴールと順調なスタートを切る。32歳の誕生日となった5月6日のセレッソ大阪との大阪ダービーでは、決勝ゴールとなるバースデー・ゴールを決め、ホームでのダービー勝利をもたらす。
日本代表
小学生の頃から天才の名を欲しいままにしていたため、各年代の日本代表の常連として選出されており、2005年6月には、U-13日本ユース選抜として韓国で開催されたMBC国際ユース大会に出場し、決勝では5人抜きのドリブルを披露し、高木善朗のゴールを演出。
宇佐美と同じ1992年生まれの世代は、柴崎岳や宮市亮、宮吉拓実といったタレントを揃えて数々の国際大会で結果を残したことで「プラチナ世代」と呼ばれ、得点王や最優秀選手に選ばれるなど、プラチナ世代のエースとして君臨していた。プラチナ世代は、2008年10月には、U-16日本代表としてウズベキスタンで開催されたAFC U-16選手権2008に出場。4試合2得点という成績でベスト4進出に貢献し、世界大会への出場権を獲得。翌年の10月にはナイジェリアで開催された2009FIFA U-17ワールドカップに出場。グループリーグ第3戦ではネイマールとコウチーニョを擁するブラジルと戦うが、3試合ノーゴールと不発に終わり、大きな期待を背負いながらグループリーグ3連敗で敗退に終わる。
2010年10月には、U-19日本代表としてAFC U-19選手権2010のメンバーに選出。この世代でもチームのエースとされ、グループリーグ第2戦のベトナム戦ではハットトリックの活躍を見せる。しかし、準々決勝で韓国に敗れ、世界への切符を掴めないまま敗退となる。
2011年6月には日本代表に初選出される。当時19歳の逸材の代表デビューをメディアもファンも期待したものの、アルベルト・ザッケローニ監督はあくまでテスト的な招集と位置付けていたため試合への出場は果たせず、2012年11月に1年半ぶりに招集されたときも結局試合には出れず。このときザッケローニ監督からは「2年前から成長していない」と公に酷評され、その後ザッケローニ政権下では一度も代表に呼ばれることはなかった。
オリンピック代表には、ドイツへ移籍した関係もあって合流できずにいたが、2012年6月ロンドンオリンピック本大会に挑むU-23日本代表のメンバーに選ばれる。最初の2試合は出場機会が無く、メンバーの大幅な入れ替えをおこなった第3戦のホンジュラス戦で初スタメンを飾るが、結果は残せず。その後の3試合にいずれも途中出場するが、決定的な仕事ができないままに終わる。
2015年3月19日ヴァヒド・ハリルホジッチ監督の初采配となる日本代表のメンバーに2年半ぶりに招集され、27日のチュニジア戦で初招集から4年越しでの日本代表デビューを果たす。3月31日のウズベキスタン戦では、途中出場から代表初ゴールを決める。その後は、ハリルJAPANの常連メンバーに定着し、常時スタメンというわけでは無かったが、一発のプレーで流れを変えることができるプレイヤーとして期待される。しかし、アウクスブルク移籍後に出場機会を失った2017年にはおよそ9カ月の間代表に呼ばれなくなり、ハリルホジッチ監督の最後の采配となった2018年3月の欧州遠征で復帰する。
2018年5月かつての恩師である西野朗監督にロシアで開催される2018 FIFAワールドカップのメンバーに選出される。当初はレギュラーとして考えられていたが、直前のテストマッチでのプレーで精彩を欠いていたため本番を前に控えに降格。本大会グループリーグ第2戦のセネガル戦に3分のみの出場だったが、W杯初出場を果たす。メンバーを入れ替えた第3戦のポーランド戦ではスタメンで起用されるが、結果を残せずに後半20分で交代になり、ベスト16のベルギー戦では出番が無かった。
森保一監督が就任してからは、2019年3月に代表へ復帰し、3月26日のボリビア戦にスタメンで起用されるが、不発に終わる。その試合を最後に代表からは遠ざかっている。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2009 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 3 | 0 | |
2010 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 26 | 7 | |
2011 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 14 | 4 | |
2011-12 | バイエルン・ミュンヘン(loan) | ブンデスリーガ | 3 | 1 | |
2012-13 | ホッフェンハイム(loan) | ブンデスリーガ | 20 | 2 | |
2013 | ガンバ大阪 | J2リーグ | 18 | 19 | |
2014 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 26 | 10 | |
2015 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 34 | 19 | |
2016 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 17 | 5 | |
2016-17 | アウクスブルク | ブンデスリーガ | 11 | 0 | |
2017-18 | アウクスブルク | ブンデスリーガ | 0 | 0 | |
デュッセルドルフ(loan) | ツヴァイテリーガ | 28 | 8 | ||
2018-19 | デュッセルドルフ(loan) | ブンデスリーガ | 19 | 1 | |
2019 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 14 | 7 | |
2020 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 30 | 6 | |
2021 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 38 | 6 | |
2022 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 7 | 0 | |
2023 | ガンバ大阪 | J1リーグ | 29 | 1 | |
2024 | ガンバ大阪 | J1リーグ |
プレースタイル
セカンドトップ、トップ下、サイドハーフでプレー。子供の頃から都市伝説レベルの逸話を持つほどの天才的な才能の持ち主で巧みなドリブル、ノーステップで放つことができる強烈なシュート、パスの精度と攻撃に関しては突出した才能を持っている。ボールを持ってこそ真価を発揮するタイプのプレイヤーで、彼の間合いでボールを持ちさえすれば相手DFはまず何もできない
一方でボールを持ってこそ真価を発揮する反面、オフ・ザ・ボールの局面ではほぼ貢献できない。ユース時代から特別な才能を持っていて無双できた反動により、守備面での貢献度が低く、戦術理解力も低い。自分の才能と技術こそ全ての天才肌のタイプなので、相手に逆に対策を練られやすい
自分を中心に考えてくれる、王様として扱ってくれるチームでなければ力を発揮できないという弱点もあり、ドイツでの失敗や日本代表に定着できない原因にもなっている
エピソード
- 小学生のときは平日4時間休日7時間はサッカーの練習(主にドリブル)をしていたという。彼いわく自分と同じぐらいうまくなりたいならこれぐらいやらなくては駄目らしい。
- 2018年にドイツの新聞からだらしのない天才と評された。
- 現在オフィシャルYoutubeを一緒にやっているパートナーは、小学校の頃に試合をしたことあったらしく、あまりにも絶望的な実力差を痛感してサッカーを辞めている。宇佐美本人は全く記憶に無かった。
- バイエルン時代にもっとも印象に残った選手としてフィリップ・ラームをあげている。
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