宝永地震(ほうえいじしん)とは、江戸時代の1707年(宝永4年)に発生した南海トラフ巨大地震のことである。日本最大級の地震の一つ。
概要
1707年10月28日(宝永4年10月4日)に日本列島を襲った巨大地震。震源地は紀伊半島沖(北緯33.2°・東経135.9°)で、マグニチュードはM8.6と推定されている。日本の歴史上最大級の地震の一つで、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)にほぼ匹敵する規模の海溝型地震であった。
被害は関東から九州にまで及んだが、震度6~7の激震に見舞われた東海道・伊勢湾・紀伊半島での震害が特に甚大であった。地震後には巨大な津波と大規模な地殻変動があり、死者は約2万人に達した。
宝永地震はいわゆる「南海トラフ巨大地震」の一つで、南海トラフのほぼ全域が震源域となって断層破壊が生じた連動型地震(東海地震と南海地震が連動して発生)と推定されている。東日本大震災の西日本バージョンとでも呼ぶべきものであった。
宝永大噴火
宝永地震からわずか49日後、富士山の「宝永大噴火」が発生した。噴出した大量の火山灰は100km離れた江戸にも降り注ぎ、その様子は新井白石による「折たく柴の記」に詳記されている。宝永噴火は、富士山の歴史の中で最新かつ最大の噴火であり、富士山最大の火口である「宝永火口」と側火山である「宝永山」を同時に形成した。
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