富士スピードウェイは、静岡県駿東郡小山町にある国際レーシングコース。
コース全長:4,563m FIA国際公認
略称・通称:FISCO FSW
概要
約1.47kmの国内最長のホームストレートを有する高速サーキットで、運営はトヨタ自動車傘下の富士スピードウェイ株式会社が行っている。
全長約4.5kmの本コースの他にもショートコース、ドリフトコース、ジムカーナコース、カートコースがある。また、敷地内にはトヨタの交通安全センター「モビリタ」と、レクサス販売のための研修施設であるレクサスカレッジがある。
SUPER GT、スーパー耐久、スーパーフォーミュラ(旧フォーミュラニッポン)などが開催されている。 2007年、2008年はF1日本グランプリも開催され、2009年以降は鈴鹿サーキットとの隔年開催を予定していたが、2009年の7月にF1開催からの撤退を発表した。
2021年現在ではトヨタがWECに参戦している関係で、そのシリーズ中の1戦が開催されている。ただし2020年、2021年は新型コロナの影響で開催中止となっている。
コースの特徴
高速コースだが富士山の麓の山中にあるため天気が崩れやすく濃霧、降雨などの影響を受けやすいうえにコースの水はけが悪い。このため天気が崩れたとたん荒れた展開になることもしばしば。
旧コース
国際レースが行われるサーキットとしては世界でも有数の高速サーキットで、メインストレートでの最高速度記録は400km/h以上。しかし非常にバンピーで、雨が降ると「300R」付近に"川"ができるなどのトラブルが発生することもあった。他にもグリップが抜ける限界ギリギリの走りを要求される「100R」や凹凸の激しい最終コーナーなどを持ち、癖が強いコースと言える。
30度バンク
もはや日本のモータースポーツ史での伝説、もとい幻とも言われる30度バンクではあるが、使用されたのは40数年の歴史の中で最初の8年だけである。富士スピードウェイは元々日本でのNASCAR開催を目的として作られたサーキットであるため、その名残でアメリカのオーバルコースに倣って急なバンクが付けられたとされている。が、当時の日本のサーキットにおける舗装、整地の未熟さ故に凹凸が激しく、重大事故が多発したためコースレイアウトが変更され30度バンクは閉鎖された。
余談だが、富士の30度バンクに近い31度のバンクを持つコースで行われる二輪レース、デイトナ200ではバンクによるタイヤへの負荷が危険と判断され排気量が引き下げられるなどの対策が行われたり、2005年のF1アメリカGPでのミシュランタイヤ勢がバンクによる過負荷が原因で出走を取りやめるなど、現代においてもバンクは重大なトラブルの引き金になる場合が多々ある。
新コース
設計は数多くのF1開催サーキットの設計を手掛けてきたヘルマン・ティルケ。旧コースに比べ後半セクションがかなり複雑な"ミッキーマウス"になっている。特に「ネッツコーナー」はティルケお得意の「フの字形」のコーナーであるうえに奥が見えずらく逆バンク気味のため難しい。また、その後の「パナソニックコーナー」もフの字形なため急いてアクセルを開けるとメインストレートでスピードが出ないため難易度が高い。他にも旧コースに比べて鋭い直角コーナーになったためアクシデントの多い「コカコーラコーナー」やランオフエリアの拡大で更にRの変化が分かりずらくなった「100R」など、路面のバンピーさが無くなった代わりにコースレイアウトの難易度は増しているといえるだろう。
歴史
1966年にオープン。オープン当時は三菱地所の傘下であった。
当初はホームストレート先に30度バンクを有する全長6kmのコースだったが、この30度バンクで重大事故が相次いだ。1974年の富士GC第2戦での死亡事故を契機に30度バンクを閉鎖し、全長4kmのコースとしてリニューアルされた。
なお、この30度バンクは現在一部がメモリアルパークとして残されている。
1976年・77年には日本で最初のF1レースが開催されているが、77年の大会の際、第1コーナーでクラッシュして吹き飛んだマシンにより、進入禁止エリアにいたカメラマンとそれを排除しようとしていた警備員の2名が死亡する事故が発生した。
この事故以降、1987年に鈴鹿サーキットで日本グランプリが開催されるまで、日本でF1興行が行われることは無かった。
1970年代末から80年代半ばにかけては、地元の青年会議所の陳情によりサーキットそのものの存廃問題が持ち上がった。上記の事故もあってモータースポーツファン以外の一般人層に「モータースポーツ=暴走行為の助長」という短絡思考が広まってしまっていたことが原因である。とは言え、富士GCなどのイベントの際にはファンが暴走族まがいの改造車で乗り付け、実際に周辺地域で暴走行為に及んだ事実もあったなど、必ずしも廃止推進派が近視眼だったとは決めつけられない面もある。
レーシングチームやジャーナリストを始めとする関係者たちはこぞってこの流れを阻止すべく動き、1986年に所在地である小山町の町長が「この件は白紙に戻す」という裁定を下したことによりサーキットの存続が決まった。
しかし、今度は施設の老朽化や安全性の問題が浮上してきた。1997年には全日本F3選手権で、ホームストレートで横山崇選手のマシンが宙を舞い、ブリッジに激突して死亡するという事故が発生。翌1998年にも全日本GT選手権で雨のフォーメーションラップ中に太田哲也選手のフェラーリが多重クラッシュに巻き込まれて大炎上。かろうじて太田選手は命をとりとめたものの、重度の火傷で選手生命を絶たれることになった。また、この時のコースオフィシャルの対応が決して適切でなかったことが映像に証拠として残ることになる。
だが、親会社の三菱地所は地価の下落の問題もあり大規模の投資をためらっていた。この問題を根本的に解決したのが、トヨタによる買収である。
2000年にトヨタが運営会社を三菱地所から買収し、2003年に一時閉鎖。コース・施設の大規模改良・改修工事を経て2005年にリニューアルオープン。施設の充実はもちろん、コースはF1開催を視野に入れたランオフエリアの拡大や最終コーナー付近のレイアウトが大きく変更された。
2007年には、同コースでは30年ぶりとなるF1グランプリが開催されたが、この際、主に観客に向けての様々な問題が発生し、当時の観客らによる富士スピードウェイへの集団訴訟へと発展している(2013年に富士スピードウェイ側への賠償命令の判決が出た)。
このときの反省を元に様々な改善を行い、開催された2008年のF1グランプリ日本ラウンドでは同様の問題や大きな混乱はなかった模様。
それ以降はF1グランプリは再び鈴鹿での開催のみに戻り、富士スピードウェイはWECと国内でのレース選手権の舞台の一つとして機能することになる。
関連動画
関連項目
外部リンク
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