対戦車ライフルとは
第一次世界大戦末~第二次世界大戦頃まで使用された、対戦車戦闘用の大型小銃である。
曖昧さ回避
現代においては同様の大口径の銃は
対物ライフル (対物狙撃銃)として、長距離狙撃など当時と異なる思想で運用をされている。
概要
第一次世界大戦末のドイツで、分隊、もしくは小隊単位で配備・使用が可能で、戦車に対抗できる銃器として開発された兵器である。
おおよそ人が扱える弾薬、銃器としては最大クラスの物で、鉄やタングステンの徹甲弾を使用し、装甲の薄い部分や銃眼、視察窓、履帯等の弱点を貫き、内部の人員や機関部にダメージを与え、無力化を行う。
個人携行可能な重機としては破壊力・貫徹力はピカイチだが、貫通力は あくまで弱点を狙えば貫ける程度の物で、戦車の装甲を狙う場合は 有効射程もせいぜい100m程と短いなど、遠距離から戦車相手に装甲をスパスパ撃ち抜いて無双できるものではない。
発射時の初速と弾頭重量があるため、生身の人間を狙う場合は有効射程は一気に伸びるが
そちらは前述の対物ライフルとして現在用いられているものである。(項目参照)
- 欠点として(仮に)弱点を撃ち抜けば破壊できるとしてもリスクは高い。
衰退
仮に有効だった時期はあれど、戦車側の進化によって衰退してしまう。
現在
現代においては、同様に大型の弾薬を使う銃が 対物ライフル(対物狙撃銃) として運用されており、ちょっと前までよくメディア等で混同して扱われていたりもしたが、設計や性能はともかく、思想や任務は別物である。
※スコープを取り付け、超長距離狙撃等に用いられる。(→対物ライフル)
もちろん、現在の主力戦車や装甲車両に挑むのは自殺行為。[1]
フィクション等においては、対物ライフルであっても
「戦車を倒せそうなインパクトのある名前」のためかそう呼称されることがある。
もちろん破壊力(貫通力)の高さから、壁ごとぶち抜くといった芸当を任される場合も多い。
発生・第一次世界大戦
第一次世界大戦に於いてイギリス軍が投入し、機関銃や小銃の攻撃をことごとく跳ね返し、膠着した戦場を一方的に突破する事を可能とした「戦車」に対し、ドイツ軍は当初野砲で対抗していたが、数に限りがあり機動性の低い野砲では限界があった。
そこで、戦車に対抗しうる威力、機動性、量産性を追及した結果、歩兵が取り扱えるギリギリのサイズまでスケールアップした小銃でなんとか倒せるんじゃねーかという案の下、直径13mmの徹甲弾を800m/sの初速で撃ち出すマウザーM1918対戦車ライフルが開発され、対戦車ライフルというジャンルを確立したのである。
当事の戦車は歩兵小銃や機関銃に対する防弾のみを考えていた為、10mm~30mm程度の装甲しかなく、装甲素材の防弾性能自体も低い物だった為、容易に貫いて機関部や人員を殺傷する事が可能であった。
第二次世界大戦
その有用性により戦車は普及したが、同時に対戦車戦闘も研究され、通常の野砲部隊とは別に編成された「対戦車砲」、もしくは対抗する戦車によって敵の戦車を処理する戦法が生まれるが、機動力があり小回りが利く対戦車兵器として使用され続け、開戦当初のドイツや西欧諸国が装備していた戦車にはそれなりに有効に戦闘が行えたようである。
が、独ソ戦が勃発し、ソビエトロシアの前面80~100mm、側面でも80mmの装甲を誇るKV-1、全面40mmの傾斜装甲を持つT-34が出現し、対するドイツも同格以上の装甲を持つティーガーやパンターを開発、従来型のⅣ号戦車やⅢ号戦車も増加装甲や、只の薄鉄板だが対戦車ライフルの弾丸を防弾鋼で弾ける程度まで減速させられる「シュルツェン」を装備する等して対抗し、戦車の設計自体も銃眼や視察窓等の弱点を排除する事で対戦車ライフルで危害を加える事は極めて難しくなっていった。
また、アメリカのバズーカやドイツのパンツァーシュレック、パンツァーファウスト等のHEAT弾兵器が実用化されると欧州戦線ではその有用性がほとんど無くなり、HEATの開発に遅れていたソビエトが外部装備破壊等のいやがらせ攻撃に使用した程度であった。一方、太平洋戦線では日本軍戦車には十分有効であったので、終戦まで対戦車兵器として運用されている。
その後、第二次世界大戦が終結するとHEAT兵器に完全に取って代わられた。
主な対戦車ライフル
- Mauser M1918
上述の通り、ドイツで開発された世界初の対戦車ライフル。
全長1,680mm、口径13mm、銃口初速800m/s、重量16kg。
その機構はただのボルトアクションライフルであり、バカみてーな反動が直接肩に襲い掛かることから「左右の肩で一発ずつしか撃てない銃」等とも呼ばれた。
- ボーイズ対戦車ライフル
1930年代末にイギリスで開発された。
全長1,575mm、口径13.7mm、銃口初速750m/s、重量16kg。
射手の負担を考えてか、M1918と比べると多少銃口初速を落とし機関部の後退機構があるがどっこいどっこい。
ボルトアクション式だが、銃の上に容量5発の脱着式箱型マガジンを装着するのが特徴。
イギリス軍以外にも、フィンランド軍、アメリカ軍などで使用されていた。
- PTRS41/PTRD41
1941年にソビエトロシアで開発された。
口径14.5mm、銃口初速1000m/s
全長・重量2,140mm・21kg(PTRS)/1,350mm・16kg(PTRD)。
どちらも同じ弾薬を同長の銃身から発射するが、PTRSはガス圧動作式セミオートマチック、容量5発の固定マガジン式、PTRDは単発のボルトアクション式で、弾薬の供給は直接チェンバーへ装填する。
数値を見ての通り、M1918をはるかに超える威力(ちなみに初活力だけでいえばM2重機関銃の1.5倍以上にもなる)の銃だが、PTRSは極めて遅い動作の自動装填機構で、PTRDは発射時に銃身が後退して反動を分散する事でなんとか人間が撃てる程度まで反動を低減している。
個人携帯用ではないもの
- ラハティ(ラティ) L-39 対戦車銃
フィンランド製。
全長2,240mm、口径20mm、銃口初速800m/s、重量50kg。セミオート式。
65口径の長大な銃身と、雪の上でも移動が簡単に行えるようにソリが取り付けられているのが特徴。
対戦車戦闘以外にも、トーチカや機関銃座攻撃など、現代の対物ライフルのような運用がされた。
フルオート化して対空機関砲としたバリエーションも開発された。
- 九七式自動砲
旧日本軍で1937年(皇紀2597年)に開発された。
全長2,000mm、口径20mm、銃口初速750m/s、重量60kg。セミオート式。
10名程度(分隊)で運用し、対戦車用の徹甲弾以外にトーチカ攻撃用の榴弾が用意されていた。
当時の値段で6400円と非常に高い(当時は大卒初任給が60円程度)。
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関連項目
脚注
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