小堺一機とは、浅井企画所属のタレント、司会者、コメディアン、俳優である。
概要
「ライオンのごきげんよう」(フジテレビ)の司会者として知られるタレント。関根勤とのユニット「コサキン」でも知られ、「コサキンDEワァオ!」(TBSラジオ)を27年半に渡って担当したことでも知られる。
略歴
1956年、千葉県市川市に生まれる。父は南極地域観測隊に同行した経験もある寿司職人で、少年時代に父の仕事の関係で東京に移り住む。
少年時代には児童劇団に所属していた時期もあり、塩屋浩三や山田隆夫らと共に番組に出演していた経験を持つ。しかし、「落ち着きが無い」との理由から小堺のみ番組を降板させられ、小堺はショックを受けた。その後、芸能界を一度離れる。
大学時代に児童劇団時代の子役仲間だった女性から「ぎんざNOW!」(TBSテレビ)の素人勝ち抜きネタ見せコーナーへ出演を誘われ、記念のつもりで「素人コメディアン道場」に出場したところ見事に勝ち抜いてチャンピオンに輝く。これがきっかけとなって再び芸能界入りを果たした。
大学卒業後に勝新太郎の主催していた俳優学校「勝アカデミー」に入校し、岸田森らに師事する。この時の同期生としてルー大柴と出会っている。
現在の所属事務所である浅井企画と契約し、関根勤とともにライブを行って下積み時代を過ごした後、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」(テレビ朝日)で関根との前説コンビ「クロ子とグレ子」で知られるようになる。
1981年にコサキンとして「コサキンDEワァオ!」(TBSラジオ)をスタート。コアなファンを獲得する。
1984年、「笑っていいとも!」の成功に続いて投入された平日13時台の帯番組「ライオンのいただきます」(フジテレビ)の司会者として大抜擢される。小堺本人としても予想外の起用であったそうで、「放送開始当日までドッキリじゃないかと思っていた」と語っているが、「いいとも!」の視聴者を上手く獲得し「いただきます」も人気番組となった。
1991年に「いただきます」をリニューアルする形で「ライオンのごきげんよう」がスタート。サイコロトークという新企画がウケて、「平日お昼の定番番組」として2016年まで続く長寿番組となる。
「コサキンDEワァオ!」は27年半、「いただきます」「ごきげんよう」は累計31年半と長期に渡り親しまれた。
これらのラジオパーソナリティ・司会者としての活動の一方、俳優としてもテレビドラマや舞台で活躍している。
2004年に首の腫瘤を摘出。後にこれの一部に癌細胞が検出されて、小堺が癌にかかっていたことが明らかになった。
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関連項目
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