- プロ野球選手一覧 > 小川健太郎
小川健太郎とは、
概要
OB | |
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小川健太郎 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県久留米市 |
生年月日 | 1934年1月12日 |
身長 体重 |
172cm 666kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右左投右左両打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1954年 |
永久追放 | 1970年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
小川健太郎とは、1934年1月12日生まれの元プロ野球選手である。
アンダースロー投手初の沢村賞の受賞者であり、「背面投げ」を最初に行った選手である。
明善高校を卒業後、1954年東映フライヤーズの入団テストを受けて入団。しかし、球威はあるもののコントロールが悪く、一軍で登板を果たせないまま、わずか2年で自由契約になる。その後、リッカーに入社して野球を続ける。後、チームを転々と変えながら投げていたが、立正佼成会に所属していた。
1964年、中継ぎ投手陣の補強を急務としていた中日に入団。当時29歳であり、3人の男の子の父親になっていた。当初は二軍暮らしだったが、監督が西沢道夫に交代し、社会人時代の小川を知っている坪内道典がコーチに就任すると一軍に抜擢され、主に中継ぎで9試合に登板する。
1965年、当初から先発ローテーション入りし、17勝9敗の好成績を挙げて一躍エースの座に君臨する。
1967年、29勝12敗、防御率2.51の好成績で最多勝利のタイトルを獲得する。また、シーズン後、沢村賞に選出された。
1969年6月15日、当時絶好調だった読売ジャイアンツの王貞治に対し、腕を背中から繰り出す「背面投げ」をした。
1970年5月6日、オートレースで暴力団員と共謀して、八百長を仕組んでいた容疑で逮捕される。6月3日、永久失格処分を受け、二度とプロ野球のマウンドに戻ることはなかった。プロ野球での八百長(黒い霧事件)への関与疑惑もあったが、こちらは小川自身が法廷で否定している。
背面投げ
小川は背面投げを試合前、その試合の塁審である松橋慶季に予告していた。
これは松橋慶季本人が審判を引退した翌年に書いた自著「プロ野球審判の大逆襲」の中で以下のように明かしている。
(小川) 「背中から投げたらどうします?」
(松橋) 「さぁ~・・・どうだろうねぇ~」
(小川) 「実際に投げたらどうしますかね?」
(松橋) 「別に・・・どうってことはないんじゃないか?」
(小川) 「へへへへへ・・・・・」
小川の予告に松橋は「まさかやるはずがない。」と懐疑的になっていたがいざ塁審として小川のピッチングを見るや「ありゃ!!やりやがったぁ!!!!」と仰天してしまった。
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