小川博文単語

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小川博文(おがわ ひろふみ、1967年3月6日-)とは、千葉県出身の元プロ野球選手内野手)である。

概要

中学時代は軟式野球だったが、拓殖大学高校では硬式野球に変わった。2年からレギュラーに定着し、第56回選抜大会、第66回甲子園出場に貢献している。

拓殖大学高校卒業した後はプリンスホテルに就職。3年から頭を現し、1988年にはソウル五輪日本代表に選ばれ、銀メダル獲得に貢献。その後オリックス・ブレーブスから2位名を受け、入団した。背番号23。

オリックス時代

プロ入り後は二塁手から遊撃手コンバートされ、1989年(1年)から遊撃手レギュラーに定着し、114試合に出場した。

1993年は全試合に出場し、打率.273、5本塁打、48打点記録し、ベストナインを受賞した。

1995年には優勝1996年には日本一に貢献。

1999年6月3日福岡ダイエーホークス戦では1番でホームランを放ち、全打順本塁打を達成。

横浜時代

2000年オフ横浜ベイスターズとの間で大トレードが成立し、進藤達哉戸叶尚新井潔との交換で前田和之・杉本友と共に移籍した。森祇晶監督小川を、仰木彬監督進藤を高く買っていたことから成立したトレードだった。

横浜では進藤達哉に代わる三塁のレギュラーに定着したが、監督辞任後は出場機会が急減する。球団は小川2002年から年俸変動制の3年契約を結んでおり、2003年オフ放出を画策したが、オリックスの新監督に就任した伊原春樹に拒絶され破談となる。

2004年には一度も一軍に呼ばれないという飼い殺し状態となり、オフ戦力外通告を受けた。トライアウト受験など現役続行を模索するも、引き取り手はなくそのまま現役を引退した。

引退後

2005年オリックス・バファローズの球団職員。2008年2010年から2012年2014年から2015年までオリックスコーチを務めた。

2015年オフ横浜DeNAベイスターズの一軍打撃コーチに就任することが発表された。その後2018年まで務めた。

2019年からはオリックスの球団職員に戻り、並行して野球解説者を務めている。

応援歌

球団 レス No プレイヤー
オリックス 応援歌のピコカキコ一覧#657 10632
10632
横浜 応援歌のピコカキコ一覧#227 8883
8883

成績

通算打撃成績

通算:15年 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1720 5973 5276 574 1406 225 22 100 597 64 168 54 461 14 973 143 .266 .324

表彰・その他

ベストナイン 1回 1991年
その他
オールスターゲーム選出 3回 1991年1992年1994年
打順本塁打 - 1999年6月3日

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関連項目

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