- プロ野球選手一覧 > 小川泰弘
小川泰弘(おがわ やすひろ、1990年5月16日-)とは、愛知県出身のプロ野球選手(投手)である。現在は東京ヤクルトスワローズに所属。
概要
東京ヤクルトスワローズ #29 | |
---|---|
小川泰弘 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県田原市 |
生年月日 | 1990年5月16日 |
身長 体重 |
171cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2012年ドラフト2位 |
経歴 | |
|
|
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
プレミア12 | 2015年 |
プロ野球選手テンプレート |
成章高校ではエースとして3年春のセンバツに21世紀枠で出場。初戦で駒大岩見沢高校に2失点完投勝利し、創部103年目でチームの甲子園初勝利を挙げた。3年夏は愛知県大会の決勝で敗退。
創価大学に進学すると、1年の関東代表決定戦で菅野智之を擁する東海大相手に完封勝利を収め注目を集める。2年からは主戦投手となり、通算36勝3敗(35完投22完封)、東京新大学野球連盟新記録となる防御率0.60、リーグMVP5回という成績を残した。
2012年のドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズに2位で指名され入団。指名直後からファンの間でも注目度が高く「名誉ドラ1」などと言われた。
左足を大きく振り上げる、ノーラン・ライアンのような投球フォームから「和製(ノーラン)ライアン」「ライアン小川」と呼ばれている。ちなみにノーラン・ライアン(現ヒューストン・アストロズ エグゼクティブ・アドバイザー)本人公認である。
ヤクルト時代
2013年はキャンプから高い評価を集め、開幕ローテーション入りを勝ち取る。4月3日の広島東洋カープ戦でプロ初登板・初先発し、7回2失点(自責0)でプロ初勝利。ルーキーの初勝利一番乗りとなった。6月22日の広島戦では新人投手の中では一番乗りとなる完封勝利。チームが低迷する中、小川は順調に勝ちを重ね、最終的に「16勝4敗 防御率2.93」という好成績どころか最多勝・最優秀勝率投手・新人王のタイトルを獲得した。
2014年は開幕投手となり、6回1失点でシーズン初勝利を挙げる。しかし4月18日の阪神タイガース戦で右手を負傷骨折し、長期離脱。7月に復帰しシーズン閉幕までローテーションを守り、9勝を挙げた。
2015年は2年連続で開幕投手を務めたが勝敗はつかなかった。この年は2年ぶりに2桁勝利を挙げ14年ぶりの優勝に貢献した。オフに藤浪晋太郎の代役としてプレミア12に出場した。
2016年は3年連続で開幕投手に選出。25試合の登板で8勝9敗と初めて負け越して2桁勝利はならなかったが、チーム唯一の規定投球回に到達した。
2017年は石川雅規に開幕投手を譲ったが、2戦目に登板。2連敗を喫したが、4月15日の横浜DeNAベイスターズ戦から3連勝を挙げた。5月29日に左内腹斜筋の肉離れで戦線離脱し、6月30日の阪神タイガース戦から中継ぎに転向。1回無失点と抑えたが、この日に秋吉亮が戦線離脱したため、抑えに転向した。そして7月7日の広島戦で6失点を喫して敗戦投手となった(詳細は七夕の悲劇2017を参照)。9日も新井貴浩に同点タイムリーを打たれたりと結果を残せなかった。後半戦からは先発に戻り、7月29日の広島戦で2ヶ月ぶりの勝利を挙げた。9月17日に一軍登録を抹消され、20日に精密検査を受けた結果、右肘の疲労骨折と診断され、残りのシーズンの出場が絶望となった。
2018年は前年の怪我の影響もあり2軍スタート。5月に復帰を果たし、その後はほぼローテを守りきった。18試合に登板し、8勝5敗 防御率2.75を記録。
2019年は3年ぶりにチーム開幕投手を任されるも、勝ち負けつかず。その後は自身の不調やチームの状態の悪さも相まって、リーグワーストの12敗を記録してしまう。9月28日の巨人戦では、自身通算1000投球回を達成した。
2020年は開幕ローテ入り。援護に恵まれて6・7月は6戦4勝0敗と好スタートを切る。8月15日の横浜DeNAベイスターズ戦で史上82人目となるノーヒットノーラン(135球、10奪三振、与四球3+味方エラー2で対戦打者数32人)を達成した。ちなみにこれがプロ入り後初の2桁奪三振である。シーズン通算でも2015年以来となる2ケタ勝利を記録した。
国内FA権を取得し、オフに他球団移籍を視野に行使。北海道日本ハムファイターズが獲得に乗り出していた。だが、迷いに迷った末、ヤクルト残留を決意。推定年俸は4年7.5億といわれている。その理由として「夢の中に山田哲人さんが出てきてお告げをもらった」というネタとしか思えないチームの団結力を象徴するものであった。
2021年は開幕投手を任されたが、勝ち負けつかず。それでも好調な投球を続けていたが、7月に新型コロナウイルスに感染し、離脱を余儀なくされた。10月29日の広島戦では通算1000奪三振を記録。最終的にはチームトップタイの9勝をあげ、リーグ優勝・日本一に貢献した。
2022年も開幕投手を務めたが、3回4失点と炎上。その後4試合連続で白星がつかなかったが、5月3日の阪神戦で完封勝利をあげると、徐々に調子を取り戻した。6月3日の西武戦では、交流戦史上初のセ・リーグ投手による本塁打を記録。8回無失点&自身の本塁打が決勝点(しかも唯一の得点)という快挙を達成した。ちなみにセパ交流戦でセ・リーグの投手が初めて打った本塁打でもある。最終的にはチームで唯一規定投球回数を投げ、チームのリーグ連覇に貢献した。
2023年は自身7度目の開幕投手を務め、7回無失点の好投で久しぶりの開幕勝利をあげる。9月9日のDeNA戦でNPB通算100勝目をマーク(NPB史上142人目)。チームで唯一の規定投球回到達、かつ自身3年ぶりの2桁勝利を記録するなど、充実の一年となった。
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013年 | ヤクルト | 26 | 26 | 4 | 3 | 16 | 4 | 0 | 0 | .800 | 178.0 | 45 | 135 | 63 | 58 | 2.93 |
2014年 | 17 | 17 | 0 | 0 | 9 | 6 | 0 | 0 | .600 | 108.1 | 22 | 108 | 52 | 44 | 3.66 | |
2015年 | 27 | 27 | 1 | 1 | 11 | 8 | 0 | 0 | .579 | 168.0 | 48 | 128 | 66 | 58 | 3.11 | |
2016年 | 25 | 25 | 4 | 1 | 8 | 9 | 0 | 0 | .471 | 158.0 | 52 | 114 | 82 | 79 | 4.50 | |
2017年 | 22 | 18 | 2 | 1 | 8 | 7 | 0 | 1 | .533 | 124.0 | 39 | 109 | 42 | 39 | 2.83 | |
2018年 | 18 | 18 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | .615 | 108.0 | 24 | 94 | 36 | 33 | 2.75 | |
2019年 | 26 | 26 | 2 | 1 | 5 | 12 | 0 | 0 | .294 | 159.2 | 36 | 132 | 91 | 81 | 4.57 | |
2020年 | 20 | 20 | 1 | 1 | 10 | 8 | 0 | 0 | .556 | 119.0 | 29 | 83 | 64 | 61 | 4.61 | |
2021年 | 23 | 22 | 2 | 1 | 9 | 6 | 0 | 0 | .600 | 128.1 | 30 | 97 | 64 | 59 | 4.14 | |
2022年 | 25 | 25 | 1 | 1 | 8 | 8 | 0 | 0 | .500 | 153.1 | 32 | 91 | 50 | 48 | 2.82 | |
2023年 | 23 | 23 | 0 | 0 | 10 | 8 | 0 | 0 | .556 | 144.0 | 33 | 86 | 60 | 54 | 3.38 | |
NPB:11年 | 252 | 247 | 17 | 10 | 102 | 81 | 0 | 1 | .557 | 1548.2 | 390 | 1177 | 670 | 614 | 3.57 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
最多勝利 | 1回 | 2013年 |
最高勝率 | 1回 | 2013年 |
表彰 | ||
新人王 | - | 2013年 |
月間MVP | 3回 | 2016年8月、2018年6月、2022年6月 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 2回 | 2013年、2017年 |
開幕投手 | 7回 | 2014年-2016年、2019年、2021年-2023年 |
ノーヒットノーラン | 1回 | 2020年8月15日 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
外部リンク
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 2
- 0pt