小林光一(こばやしこういち)とは、日本の囲碁棋士である。
ネットではよくコバコウと言われる。
名門・木谷実門下。
概要
兄弟子に大竹英雄・石田芳夫・加藤正夫・趙治勲・武宮正樹、弟弟子に小林覚がいる。
門下にはニコニコでおなじみの芸人・大矢浩一九段や臨戦中国流の河野臨九段、
娘に小林泉美6段、娘婿に張栩9段などなど、氏の周りにはトップ棋士がゴロゴロいる。
木谷門下の中ではだいぶ遅咲きと言われる。
最盛期は国内タイトル・国際戦問わず数々の棋戦を総なめにしてきた。
武宮に名人戦で棋風を「地下鉄流」と馬鹿にされた事もある。
お前は模様張りすぎという突っ込みは無しである。
当時の無双っぷりは相当なもので、
- 棋聖タイトル8連覇
- 名人タイトル7連覇(通算8期)
- 碁聖タイトル6連覇(通算9期)
- 十段タイトル3連覇(通算5期)
- 1986年に4冠(棋聖 名人 十段 天元 )おまけにNHK杯までも優勝して5冠となる
- 富士通杯(国際戦)優勝
- とある棋戦では中国選手団に「鬼・小林」と呼ばれ恐れられる。
- 2011年棋聖戦リーグ入り
などなど、常に第一線で活躍しつづける怪物である。
2012年8月、満60歳により名誉資格を名乗る事が許され、
名誉三冠というとんでもない称号を手に入れた。
「情熱は変わらない」
名誉三冠式典にて
最大のライバル(と、いうか天敵)は趙治勲。
幾度となく彼の壁に阻まれ、本因坊タイトルのみ獲得経験がない。
その為、これだけタイトルを獲得しているのに大三冠も経験がない。
もし彼がいなかったら・・・もしかしたら名誉大三冠とか名乗ってたかもしれない。
二人の対決は記録では127回。
本因坊戦では4回激突しているがいずれも小林が一歩及ばなかった。
この時代を俗に「趙・小林時代」と呼ぶ。
小林は思った事をそのまま発言する超ストレート派。趙も囲碁界きっての激辛派。
お互い感想戦でのいざこざが多い人なので、このカードがぶつかると
周りはピリピリしてたとか。
というかぶっちゃけ不仲であったらしい。(現在はそれほどでもないようだ)
一時期はそんなストレート発言が災いしてか、武宮正樹9段とも険悪な時期があった。
棋風
序盤で足早に地を稼ぎ、ヨセで勝負をつける棋風。
小林流と呼ばれる布石を使い、後々に響いてくる味や含みを残さず打ちきる、「決め打ちスタイル」で、
上記した成績を残す。
「勝つ確率が高い碁を打つように心がけています」
しかしながら武宮先生の2連星3連星のように、こればっかり打ちまくってるわけではない。
筆者は高中国流を打つ姿がなぜか多い気がする。
要するに何やっても強い。
また、意外かもしれないが、その昔は相当な力碁だった。(読売新聞の記事より)
小林流布石の特徴は足早に地を稼ぐ事ができる点。wikipediaに個別記事があるほど有名である。
この布石は当時、黒番必勝法と言われ、世界的に広まり、研究された。あんまり研究されたものだから、後期は新・小林流と呼ばれる形を開発した。
小林先生豆知識
- キンちゃんに似てるとネットでいじられてた事がある。あっちがマネしてるんです。
- 娘・小林泉美さんは、1歳になる前にアタリがわかったという。
その為、「神童」と言われネタにされる。 - 名誉棋聖資格、名誉名人資格、名誉碁聖資格の名誉三冠資格を持っているのに、
メディアでは長すぎるためか、単に「小林光一9段」とか表記される事が多い。
ファンは泣いていい。 - 熱狂的な本因坊マニア。
2012年の週刊碁の秀策特集でインタビューを受ける。
「棋士として独立した後、まず秀策全集をすぐ買いに行った」
また、wikiの道策の欄に「息子が生まれたら道策と名づけようかと本気で悩んだ」とある。
週刊碁でも本因坊について一面ブチ抜きで語った事がある。 - でも本因坊タイトル獲得経験がない・・・
たびたびこれを趙治勲にネタにされる。
上に記載した動画もそうだし、週刊碁でもいじられてた・・・ やめたげてよぉ! - 前妻は木谷師匠の令嬢。内弟子風情がと言われつつも結婚にこぎつける。
さらにその事で趙と殴り合いの喧嘩になったという話まである。 - 婦人がガンになった頃から勢いが衰え始め、再婚したのはその妹。週刊朝日にスクープされる。
- とはいうものの、現婦人の「姉を介護する姿に引かれた」とのコメント、
そもそも妹との結婚を勧めたのが入院中の姉というのが真相。朝日は廃刊すべき。
関連動画
少ない・・・
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 0
- 0pt