小泉チルドレン(正式名称:83会)とは、2005年の郵政民営化問題で解散した衆議院議員選挙で、郵政民営化に反対した議員達に送った「刺客」と民主党議員などが獲得した選挙区で勝利した議員のことである。本来であれば小泉孝太郎ら本当のチルドレンを指すべきであるが、ここでは政治での「小泉チルドレン」を解説する。
概要
橋本内閣から続いている「郵政民営化」問題を決着させるために日本政府は2005年、郵政民営化の決議案を出した。しかし、与党である自由民主党の一部議員から反対する意見が衆参両議院で出てしまい、終いには参議院が一部自民党議員の反対で否決となる。ちなみに衆議院も造反は出たものの、5票差で可決してはいる。
しかし、小泉純一郎は自民党総裁として衆参両院で反対し、造反した議員衆議院議員37人、参議院議員6人に離党処分を宣告した。他にも反対や棄権・欠席により党内に残って処分を受けた者も多数いた。中には当時の農林水産大臣など、閣僚や幹部議員も存在した。
この結果、小泉純一郎は解散を決意し、衆議院は解散総選挙となった。選挙日は2005年9月11日に決定し、国民の意見を問う形で選挙戦は始まった。
この際、綿貫民輔や亀井静香らが「国民新党」を結成し、他の議員も田中康夫を代表に置き、「新党日本」を結成するなどして離党するものが多かった。2005年、この37人の衆議院議員に対し、新たに自民党の候補として推薦したのが「刺客」であり、「小泉チルドレン」である(実際は刺客空白地域もあった)。他にも民主党などが議席を握っている小選挙区に新人が多数立候補し、数々の新人が当選していった。小選挙区で敗戦した議員も比例で復活当選を果たすなど、合わせて新人83人が当選、結果、自民党が296議席を獲得する「自民圧勝」となった。この時の民主党の議席数は113、公明党は31であった。「国民新党」は結果4人、「新党日本」は結果1人と新党に明暗が分かれ、結局この2党は「連携」した。そして、民主党は敗戦の責任をとり、岡田克也が代表を辞任、前原誠司が代表になった。
中でも、当時26歳で下位部から一気に比例当選した杉村太蔵は一躍注目の的となり、連日マスコミに囲まれるようになった。また、後に閣僚入りする佐藤ゆかりなども当選を果たしている。刺客に負けなかった元自民党議員もおり、後に郵政民営化に賛成し、官僚、閣僚入りする議員もいた。
その後の小泉チルドレン
2009年の解散総選挙では「小泉チルドレン」として当選を果たし、閣僚入りを果たした猪口邦子が自民党の比例で下位部にされたため候補辞退、杉村太蔵は当初北海道から小選挙区で出馬予定だったが、結局候補を辞退、「83会」の会計責任者だった広津素子が保利耕輔の公認により渡辺喜美の新党「みんなの党」に入るなど、明暗が分かれている。自民党では小泉チルドレンの他、候補辞退者が相次いでしまっている。また、加熱していた岐阜1区の公認は結局郵政民営化に反対していた野田聖子が公認となり、佐藤ゆかりは公認されなかった。
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