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小渕 恵三(おぶち けいぞう、1937年6月25日 - 2000年5月14日)とは、日本の政治家である。
概要
1937年に群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。当初は地元の公立中学校に進学したが、学習院中等科に編入学し、東京都北区に居住する。東京都立北高校、早稲田大学、早稲田大学大学院に進学。
郵政政務次官、建設政務次官、総理府総務副長官を務めたのち、第2次大平正芳内閣で総理府総務長官兼沖縄開発庁長官として初入閣する。
竹下登内閣で内閣官房長官に就任する。官房長官の任期中に昭和から平成への改元があり、新元号の発表を担当した。そのためか世間では「平成おじさん」なる愛称もある。
第2次橋本龍太郎内閣で外務大臣を務め、橋本龍太郎首相の退陣後に首相に就任した。首相在任中には不安定な政権基盤を安定させるために自民党単独政権である内閣を改造し自由党との連立政権を樹立し、再改造で公明党とも連立する。首相就任当時はアメリカの新聞に「冷めたピザ」と評価されたが、それを逆手にとり、ピザを使った冗談を言うなど「人柄の小渕」と言われた。また、事前連絡なしで突然電話を掛ける事も有名で、「ブッチホン」と呼ばれた。
首相在任中の2000年4月2日に脳梗塞を発症し入院する。4月5日に小渕恵三内閣は総辞職し、同日中に後継の森喜朗内閣が成立し小渕恵三内閣は退任した。首相退任時点での首相在職日数は616日である。
2000年5月14日に意識不明の状態で死去した。5月16日に葬儀が行われ、5月30日に国会衆議院本会議で追悼演説が行われた。死亡翌日の5月15日に死亡当日の日付で大勲位菊花大綬章が与えられた。
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関連項目
第82代,第83代 | 第84代 | 第85代,第86代 |
橋本龍太郎(自由民主党) 1996~1998 |
小渕恵三(自由民主党) 1998~2000 |
森喜朗(自由民主党) 2000~2001 |
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