小田朝治(おだ・ともはる 1529~1582)とは、戦国時代の武将。北条家臣。
概要
常陸の名門・小田氏の出身。名君と名高い小田政治の長男であり、「常陸の不死鳥」の異名を持つ小田氏治の兄である。しかし
故有って母と共に小田を出て、相州小田原に走り、北条家に寄食す
…と、詳細は不明ながら北条家臣の身となっていた。北条氏照に仕えたという。
子・小田朝家は北条家滅亡後は松平忠吉に仕え、更にその後は故地・常陸へと戻り水戸藩士となっている。
その理由は?
しかし、実家を離れた理由はまったくもって不明。出奔した時期もよくわからない。跡を継いだ弟がいろんな意味で凄い人物だっただけに気になるところである。ここで勝手に予想してみよう。
(※註:特に史料的根拠はありませんので、ネタとしてお楽しみください)
- 父・小田政治に疎まれていた
- 朝治は庶子で、弟・氏治が正室の子供だった
- 弟・氏治と家督争いをして、負けて亡命した
- 上に同じく、氏治方からの暗殺の可能性があったため亡命した
- 人質・生き残り策など小田家の戦略的理由により
- 弟との性格の不一致
- ただの気まぐれ
参考ながら、弟・氏治が北条家と同盟した際には氏治の庶長子・小田友治が人質として送られている。
歴史に「もしも」は禁句であるが、彼が当主になっていたら…彼が弟の補佐をしていたら…果たして小田家はどうなっていただろうか……。(えっ、特に変わらない?)
関連動画
関連項目
- 0
- 0pt