自治体コード | 20208-8 |
面積 | 98.66km2 |
人口 | 44,012人 (2010年国勢調査) |
人口密度 | 446人/ km2 |
隣接自治体 |
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市の木 | ウメ |
市の花 | コモロスミレ |
市役所所在地 | 〒384-8501 長野県小諸市相生町3丁目3番3号 |
市長 | 柳田剛彦 |
特記事項 |
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小諸市とは、長野県東部に位置する市である。小諸藩の城下町であった。
文豪・島崎藤村が青春時代の一時期を過ごし、近代詩から文学へと転向するきっかけとなった地としても知られる。他に小諸市ゆかりの人物として、高浜虚子や渥美清、永六輔らがいる。
最近では「あの夏で待ってる」の舞台となった。しなの鉄道でも同社初のラッピング車両が運行された。
地理
浅間山の南西麓にある高原の市で、市の南から西を千曲川が流れる。古くから交通の要衝として栄えたが、新幹線開業後は衰退気味である。
高原の街らしく、夏は冷涼で冬は厳寒。年間通して降水量が少なく、県内でも雪の少ない地域である。
全国トップクラスの日照時間(約2000時間)を誇り、市内全小中学校に太陽光発電装置が設置されている。
歴史・沿革
- 1889年(明治22年) 北佐久郡小諸町として町村制施行。
- 1915年(大正4年) 佐久鉄道小諸駅―中込駅 開業。
- 1954年(昭和29年) 小諸町・北大井村・大里村・河辺村、小諸町・三岡村・南大井村と、2度の新設合併を経て小諸市が発足。
- 1957年(昭和32年) 北佐久郡御代田町の一部を編入。
- 1959年(昭和34年) 小県郡東部町の一部を編入。
- 1995年(平成7年) 上信越道佐久IC―小諸IC 延伸開業。
- 1996年(平成8年) 上信越道が更埴JCTまで延伸。
- 1997年(平成9年) 信越本線がしなの鉄道に経営移管。
- 2011年(平成23年) 中部横断道が部分開業。
教育
小学校
中学校
高等学校
長野県の県立高校の正式名称は、「立」が付かない「長野県○○高等学校」となっている。
交通
鉄道
道路
- 浅間サンライン
北陸新幹線誘致・駅名論争
1987年(昭和62年)、国鉄が分割民営化し、北陸新幹線の整備計画がより採算を重視した「ミニ新幹線」方式に傾く。フル規格ではルートから外れる小諸市などは積極的にミニ新幹線方式の推進運動を展開した。しかし、長野オリンピック開催決定、懐古園の景観破壊などの影響もあり、北陸新幹線はフル規格での建設となった。
これにより、小諸駅が特急「あさま」の停まる拠点駅から、単なる中間駅へと転落することとなった。「新幹線」と「東京直通」という恩恵は極めて大きく、その後の佐久市と小諸市は対照的である。
新幹線誘致を諦めた小諸市は、せめて駅名に小諸を残して観光客を呼び込もうと、「小諸佐久駅」と「佐久小諸駅」を提案するも難航。当時の吉村午良知事の調停により、小諸市を含む佐久盆地一帯を指す「佐久平駅」となった。現在ではしなの鉄道・軽井沢駅―小諸駅間の列車が増発、接続が向上されたため、軽井沢駅利用でも便が良い。
小諸市は頑張ったんだよ・・・。
開票作業の迅速化
小諸市における選挙は、国政選挙でも地方選挙でも、開票作業が非常に、というか、異常に早いことが特徴である。人件費の削減という観点から開票作業の効率化に努めていて、年を重ねるごとにそのスピードは加速している。
近年の取り組みを挙げると、開票台を黒い布で覆い視認性を上げる、開票台の下に厚さ10cmの断熱材を敷き、立ったままの姿勢でも腰に負担をかけないようにする、ネクタイや名札を外し、運動靴を履くなど動きやすい身軽な服装を徹底させる、計器類が作業員の汗で故障したことがあるため、作業員にリストバンドを配布する、など最早アスリートの域である。
名所・史跡
イベント
友好都市
関連動画
最近は選挙の開票事務のスピードで全国1位を誇る。2010年(平成22年)の長野県知事選はわずか17分。
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
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