小野小町(おのの こまち)とは、平安時代前期の女流歌人である。
概要
絶世の美女として知られており、美人の代名詞とも言える人物だが、平安時代の女性のご多分に漏れず、生没年をはじめその素性はほとんど明らかにされていないなど、その人物像には謎が多い。同じく百人一首に選ばれた小野篁の孫とも言われるが、多くの学者からは矛盾点が多いため否定されている。出生地も諸説あるが、秋田県湯沢市がもっとも有力とされ、あきたこまちなどの名前の由来となっている。第54代天皇の仁明天皇から、その子である文徳天皇、孫の清和天皇の三代の時代に宮中で仕えていたと言われており、仁明天皇の更衣(父親が身分の高くない天皇の后)だったという説もある。
小野小町のエピソードとして特に知られているのが、深草少将の百夜通いである。小町に惚れていた求愛した少将は、小町から百日間毎日通い続けたら受け入れると言われ、毎日欠かさず小町の元へ足を運び続けたが、百日目に大雪のため願い叶わず凍死してしまったという伝説である。この話はフィクションであるが、少将のモデルとなった人物は存在したと言われており、同じく六歌仙にして交流のあった遍昭がその候補者に挙げられている。
その一方、小町は長命であったと言われているが、その晩年を描いたエピソードは乞食となって落ちぶれた、地方各地を放浪して行き倒れになったなど、美人と謳われた全盛期とは一転して不遇なものが多い。その反面、故郷の東北に帰って静かに隠棲した、百夜通いで命を落とした少将を弔って90歳近くまで生きたなど、穏やかな晩年を描いた話も少なくない。
在原業平と同様に、彼女の有名な作品は多数あるため代表作を挙げるのは難しい。その中で、百人一首にも載せられた「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」は、年老いてかつての美貌が色褪せていく自分の境遇を嘆く歌で、百人一首の中でも有名かつ特に女性に人気の高い作品である。
紀貫之は古今和歌集の仮名序で、小町を「哀れなるようにて、強からず。言わば、良き女の悩める所あるに似たり。強からぬは、女の歌なればなるべし(弱々しいが、女性だから仕方ない)」と六歌仙のメンバーの中では割合フォローしており、さほど批判はしていない。しかし、小町の歌の多くは情熱的かつ奔放で、貫之の批評は正しくないと指摘する学者も多い。
また日本では、小町を楊貴妃・クレオパトラと共に世界三大美人のひとりに挙げているが、残念ながらこれは日本国内だけの設定である。一般に世界三大美人のもう一人は、ギリシア神話におけるトロイア戦争のヒロイン・ヘレネとされる(但し、ヘレネは架空の人物である)。
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