少弐資元(しょうに・すけもと 1491~1536)とは、肥前国の戦国武将である。少弐家16代当主。
少弐家15代当主・少弐政資の三男。兄に少弐頼隆、少弐高経。子に少弐冬尚、千葉胤頼、少弐政興、少弐元盛、松浦鎮がいる。
ここでは兄2人についても記述します。
概要
7歳の時に父や2人の兄が亡くなり、少弐氏一門衆の横岳資誠(少弐家11代当主・少弐満貞の甥)により匿われて養育される。
少弐氏は滅亡寸前まで追い詰められるが、家臣の奮闘や大友氏の援助もありなんとか繋ぎ止め、翌年には勢福寺城にて再起を図る。
また、畿内においても将軍家や細川家で内紛が起きていたため、少弐氏討伐どころの状態ではなくなった。
1507年には幕命により大内氏と和睦し、ひとまず少弐氏は安定期を迎えた。
こうして着々と力をつけて勢力を取り戻していき、大宰府を一時的に回復するが筑前国を回復するまでにはいかなかった。
更なる勢力回復を企図していたが、1530年に大内義隆が家臣に命じて大軍を率いて肥前に攻め込んでくると、家臣の奮闘もありこれを撃退した。(田手畷合戦)
ただ、この合戦は旧少弐一族が大内方に寝返って討っただけに過ぎず、その場凌ぎという様であった。(庇護者であった横岳資誠は大内方に寝返って討死している。)
1534年になると再び義隆が大軍で攻め込んできたため進退窮して龍造寺家兼や大友義鑑らの仲介で降伏する。
しかし和睦は破られて陶興房に攻められて多久城にて自害に追い込まれた。
5人の子供たちは奪われることなく血脈は保たれ、少弐氏の命運は嫡男・冬尚に託されることとなった。
補足
5作品に登場。
長らく1535年没扱いであったが、1536年没と判明したため、変更となった。
それでも登場するシナリオはかなり限られている。
政治でしか使えなかったが、近年ではやっとまともに使える程度へと能力が高くなった。
注)天道はMAX=120、創造はMAX=100で武勇以外は軒並み高くなっている。武勇も割合として比べれば実は高くなっている。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録 | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 79 | 戦闘 | 61 | 智謀 | 24 | 政治 | 48 | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | 102(B) | 智才 | 48(C) | 政才 | 116(B) | 魅力 | - | 野望 | - | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世記 | 采配 | 23 | 智謀 | 31 | 政治 | 49 | 野望 | - | ||||||
蒼天録 | 統率 | 15 | 知略 | 26 | 政治 | 51 | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | 45 | 武勇 | 47 | 知略 | 22 | 政治 | 50 | ||||||
創造 | 統率 | 58 | 武勇 | 45 | 知略 | 40 | 政治 | 55 |
少弐頼隆の生涯
少弐頼隆(しょうによりたか ?~1497)少弐政資の嫡男。
父に従い各地の戦地で従軍する。
1497年に大内義興が侵攻すると、筑前国で応戦するも支えきれず、肥前多久合戦で戦死した。
少弐高経の生涯
また、大友政親の援助もあり東九州の大半を支配下に収める活躍も見せた。
1497年の大内義興の侵攻では軍を率いて戦うが敗れ、執拗な追撃により勢福寺城、次に晴気城、更に多久城に逃れるも、多久城で裏切りが発生し、更に再起を図って逃亡するも大内軍に捕捉されて討死または自害して果てた。
関連項目
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