少弐資能(1198~1281)とは、鎌倉時代に活躍した武将である。
概要
武藤資頼(少弐資頼)の息子で法名は覚恵。豊前守、筑後守を経て1258年に太宰少弐に任じられる。筑前・豊前・肥前・肥後・対馬・壱岐守護。
父の跡を継ぎ鎮西奉行を務めていたとされる。そのため蒙古襲来に際しては、元や高麗からの使者との交渉にあたっていった。そして戦闘が開始されると、老齢ながら九州御家人の指揮にあたり、息子である少弐経資とともに活躍していった。
1275年ごろに守護職を少弐経資に譲り、弘安の役で負った傷がもとで1281年に亡くなることとなった。
関連項目
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