尾上菊之助(おのえ きくのすけ)とは、歌舞伎役者の名跡である。屋号は音羽屋。
主に尾上菊五郎の子息が名乗ることが多い。
その為、現在では市川海老蔵同様に「菊五郎を襲名する前に名乗る名跡」と思われがちだが、
歴代の尾上菊之助の中で実際に菊五郎を襲名したのは四代目(七代目菊五郎)ただ一人である。
歴代の尾上菊之助
尾上菊之助(初代)(1829~58)…三代目尾上菊五郎の次男。
姉の婿に当たる四代目尾上菊五郎の養子となったが、飯田で公演中に倒れ、浜松で死去した。
尾上菊之助(二代目)(1868~97)…初代の甥の養子。 本名:尾上 秀作
1871年(明治3年)五代目尾上菊五郎の養子となり、翌1872年(明治4年)に二代目尾上菊之助を襲名する。
幼少時から御曹司としてチヤホヤされ若くして若衆役として人気を誇った。
しかし、そんな人気絶頂の18歳の時に養父に実の息子(後の六代目尾上菊五郎)が生まれた事により、彼の人生の歯車が狂って行くことになる。
義弟の誕生により、菊五郎襲名が閉ざされた事もあったのか、何と義弟の乳母と禁断の関係になってしまった…。
当然養父からは勘当され、ドサ回りを余儀なくされる。
その後、あまりの境遇を不憫に思ったのか十二代目守田勘弥などの仲介もあって明治24年に養父と復縁する。
(但し、駆け落ちまでした妻と離縁する事が条件だった)
しかし、6年後の明治30年に30歳の若さで病死してしまった。
小説「残菊物語」の主人公は言うまでもなく彼である。
尾上菊之助(三代目)(1915~1995)…二代目の甥(義弟の六代目尾上菊五郎の養子)。本名:寺島 誠三
1921年(大正10年)四代目尾上丑之助を名乗って初舞台。
1935年(昭和9年)に三代目尾上菊之助を襲名した。
父菊五郎の芸の内、主に女形と若衆、舞踊の芸を継いだ。
1947年(昭和22年)に七代目尾上梅幸を襲名した。
最も本人曰く「菊之助という名前を非常に気に入っていた為、一生涯菊之助で通そうと思っていた」との事。
梅幸襲名以降の事については該当記事を参照。
尾上菊之助(四代目)(1942~)…三代目の長男。本名:寺島 秀幸
1948年(昭和23年)に五代目尾上丑之助を名乗り初舞台を踏む。
その後1965年(昭和40年)に四代目尾上菊之助を襲名する。
菊之助時代は六代目市川新之助(十二代目市川團十郎)と初代尾上辰之助(三代目尾上松緑)と共に「三之助ブーム」を巻き起こした事もあり、60代以上の方は菊之助時代の活躍の方が記憶に残っている人も多い。
前述の様に1973年(昭和52年)に歴代の菊之助の中で唯一菊五郎を襲名している。
当代の尾上菊之助
尾上菊之助(五代目)(1977~)…四代目の長男。本名:寺島 和康
1984年(昭和59年)に六代目尾上丑之助を名乗り初舞台を踏む。
1995年(平成8年)に五代目尾上菊之助を襲名する。
同い年の十一代目市川海老蔵があちらこちらで問題を起こしているのに対してスキャンダル1つでない優等生。
実父と共に数多くの舞台を踏み、音羽屋の芸を演じる。
2013年には二代目中村吉右衛門の四女と結婚し、長男も生まれた。
その為、近年では実父に加えて岳父吉右衛門との共演も多い。
菊之助の名跡について
上記の項目からもご覧いただけるように全員が菊五郎の子息が襲名する名前にも関わらず2017年現在、四代目以外は何故か誰も菊五郎を襲名していないという状態となっている。
これには本人たちの置かれた環境や当時の劇界の状況に加えて尾上菊五郎の系譜が大きく関係してくる。
菊五郎は大きく分けて
・初代と二代目
・初代の高弟の養子である三代目と婿養子の四代目
・三代目の外孫の五代目と六代目
・現七代目
と大きく4つの時代に区分できる。
そして、菊五郎以外の名跡を名乗らなかった初代を除いて菊五郎襲名前の名跡を見てみると
二代目…尾上丑之助
三代目…尾上榮三郎、尾上松助、尾上梅幸
四代目…尾上榮三郎、尾上梅幸
五代目…尾上九朗右衛門、市村羽左衛門 、市村家橘
六代目…尾上丑之助
七代目…尾上丑之助、尾上菊之助
と五代目を除くと菊五郎の前に名乗る名跡は大きく分けて「尾上丑之助」と「尾上榮三郎」と2つのグループに分かれているのが分かる。(梅幸の名跡は時代ごとで性質が異なる為、省略)
これは二代目と三代目、四代目と五代目、六代目と七代目の間に20年以上の空白期間がある事や、
弟子や娘婿、遠縁の親戚、実子、養子が継いでいる為に名跡が固定化できず、当時名乗っていた名跡から菊五郎を襲名している為である。
つまり、つい最近まで菊之助はあくまで「尾上家の名跡の1つ」であって「菊五郎を継ぐ前の名跡」ではなかった。
現在、「尾上丑之助」の名跡は菊之助の前に襲名する名跡としてすこし格が落ちるもののまだ残っているが、
もう1つの「尾上榮三郎」の名跡は戦前に襲名した七代目、八代目が相次いで急死した事から「不吉な名跡」として現在止め名となっている。
(それを言ったら名乗ったらほぼ菊五郎にはなれない菊之助こそ不吉ではないかと思うのだが…)
現五代目が将来菊五郎を継げばこの名跡も安定する…かもしれない。
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