尾上菊五郎単語


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尾上菊五郎とは、歌舞伎役者の名跡である。屋号は音羽屋。
江戸時代中期に初代尾上菊五郎が名乗って以来、280年以上に渡って続いている。
初代、三代目、五代、六代の菊五郎がそれぞれの時代を代表する役者として高い評価を受けており、市川團十郎と並ぶ歌舞伎界を代表する役者とみなされている。
初代が立役と女形双方で当たり役を取った事から二代四代目を除き代々の菊五郎は立役と女形両方の役を演じている。
当代の菊五郎は七代

歴代の尾上菊五郎

尾上菊五郎(初代)(1717–83)
京都太夫座の出方(案内係)の音羽屋半平息子として生まれる。
1730年に尾上菊五郎を名乗って以降、当初は女形として活躍する。
1741年に大坂に来ていた二代市川團十郎の相手役を演じて絶賛された事から江戸に活躍の場を移す。
ところが、女形役が不評だった為、立役に転向して再び売れっ子になった。
しかし、1766年に副業として経営していた屋が火事となり、中村座と市村座を焼失させた事から関係者の怒りを買い、京都に戻った…(因みにこの事件は当時の人々に「五郎見世火事」とネタにされたとか)。
4年後、再び江戸に戻ってくるも市川座で四代目松本幸四郎舞台上で小具を投げ、殴り合いをしてしまった(原因は幸四郎側にあったとされるが詳細は諸説がある)。
最後は大坂京都で活躍し、大阪舞台出演中に死去した。
尾上菊五郎(二代)(1771–87)
初代の後妻の連れ子。実は二代大谷次。
初代尾上之助を名乗って初舞台を踏む。その後女形として活躍し父親の死から2年後に二代を襲名するもわずか19歳で急逝してしまった。そのため、菊五郎の名跡は28年もの間途絶えることになる。
尾上菊五郎(三代目)(1784–1849)
初代菊五弟子の初代尾松助(初代尾緑)の養子。
代尾栄三郎を名乗って初舞台を踏む。その後父の名跡である二目尾松助を襲名すると、女形としてメキメキ実力を付けて初代菊五郎の俳名である三代目尾上梅幸を襲名し、1815年には、二代の死後に養が預かっていた「菊五郎」の名跡を28年ぶりに襲名する。
初代譲りの立役と女形の役に加え、父譲りの怪談物早変わりでも当たり役を出し、
「立役、女形、老役、若衆方、立敵から三枚まで、そのままの姿で替ります」
とまで言われ「兼ネル(何でもできる)菊五郎という称されるほどの万タイプ役者だったという。
も映画化されるほど有名な「東海谷怪談」を始めとした尾家の家芸は、ほぼこの人が作った。
またかなりのイケメンexitだったらしく、
はどうしてこんなによい男なのだろう?」
ナルシストな発言をしても周囲の人が
が見てもいい男なのだから、方自身がそう思うのはもっともなことだ」
と納得してしまうほどイケメンexitだったとか…。
その一方で
  • 突如引退して屋を開いてみたかと思うと、「大川蔵」と名乗って復帰する
  • 共演相手よりも高額な出演料を要する
  • 共演する役者が気に入らないと仮病で休む
などなど容貌と演技力があるが故のワガママで突飛な一面もあったという。
(因みに現の尾の戸籍上の苗であるは三代目が隠居した寺村にちなんでいる)
の舞台から帰る途中の掛川で死去した。
尾上菊五郎(四代目)(1808–60)
三代目婿
最初は初代中村歌六に師事した後三代目婿となり、三代目尾上三郎を襲名する。
その後四代目尾上梅幸を襲名した後、義の死後の1855年に四代目を襲名する。
に女形を中心として活躍した為か、歴代の菊五郎の中で急逝した二代と同じく立役を演じてない
また、幸時代が非常に長かった為か「幸菊五郎」とも呼ばれている。
1853年に死去。奇しくも奥さんも同日に亡くなったという。
四代目の死後、菊五郎の名跡は再び15年もの間途絶えることになる。
尾上菊五郎(五代)(1844–1903)
十二代市村羽左衛門長男。本名:寺島
三代目の孫(次女の子供)に当たる。
7歳でから名跡を継いで十三市村羽左衛門を襲名して市村座の座元になる。
しかし、本人が役者志望である事、経営難で大量の借金を背負いたくない事三代目の縁者から望まれた事もあり、市村羽左衛門の名跡と借金を実押し付けて譲り、1868年に四代目の死後15年ぶりに五代を襲名する。
三代目譲りのお芸に加え世話物を得意とし、明治時代以降に盛んとなった写実的な描写を持ち込むなど、九代市川團十郎、初代市川次と共に「菊左」と呼ばれ歌舞伎にも出演するなど一時代を築いた。
一方で「散切り物」と呼ばれる(当時の)現代劇を多く演じたり、演出で関西歌舞伎の特徴である宙乗りなどのケレンを用いる、劇中でもアドリブ銀座の事を語りだすなど、かなりハイカラ想のいい自由人な一面があった。
一方で、私生活では最初小説「残菊物語」の主人公でもある尾上 秀作(二代尾上菊之助)を養子にしたが、29歳の若さで急逝したため、もう一人三代目の孫に当たる寺島 之助を養子とした。
しかし、之助を養子にした3年後にから実子の寺島 幸三が誕生してしまい、ややこしい事となった。結局、お家騒動を避ける為に実子である幸三が菊五郎を、之助には菊五郎の俳名である幸を、それぞれ分け与える形になった。
(因みに俳名の名跡を襲名後、本来の名跡を襲名せず、結果として俳名のみ名乗った役者過去にいたものの、本来不可分である名跡と俳名を端から別々に分離させて襲名させたのは歌舞伎史上初の出来事であった。)
晩年は脳出血もあり、立つ事も不自由ななまま舞台を務めた事もあった。
1903年に死去。
ちなみに映像、写真で残る最古の菊五郎でもある。exit
尾上菊五郎(六代)(1885–1949)
目の次男。本名:寺島 幸三
、昭和時代を代表する歌舞伎役者。
幼少かのライバルである九目市川團十郎に師事し、実質的團十郎の芸の後継者となった。
目の死後の月に師であ團十郎の尽力もあり六目を襲名する。
しかし、同年團十郎が死去した事により後盾を失い、田村成義の誘いもあり市村座へと移籍する。
そこで出会った初代中村吉右衛門と共に芸を磨き、得意の世話物狂團十郎に仕込まれた舞踊で能を発揮して市村座に「菊吉時代」という一大ブームを巻き起こした。
その後田村の死やライバル吉右衛の市村座脱退後は市村座の座元も兼ねる形で孤軍奮闘したりもした。
(因みに本人は元を辿れば市村座の座元である市村羽左衛家でもあり、父親が借金が嫌で手放した座の経営を紆余曲折を経て息子が受け継ぐ形になったのは何の因果なのだろうか?)
しかし、役者としては天才的な素養を持つ六目も経営者としてはからきしダメで天文的負債を抱えてしまったため、1927に松竹に移籍する。
竹移籍後は当代随一の役者とし父譲りの家芸の世話物に写実的な描写を加えて洗練し、師であ團十郎から時代物や舞踊と「肚芸」を受け継ぎ、現代に伝わる多くの歌舞伎のを完成させた人物として歴史に名を残している。
(だが、家芸である妖怪物に関してだけは苦手殆ど演じる事はなかった)
彼の卓越した演技力は現在、舞踊の方がまだ二目尾丑之助時代に影された「紅葉狩」の山神役exitと、小二郎全盛期の1935~36年に撮した「春興鏡獅子」のお小姓弥生後ニ獅子の精exitが残っているほか、時代物としては七代松本幸四郎、十五代市村羽左衛門と共演した「勧進帳」の源義経映像として残っているので是非ご覧頂きたい。

の余りの功績の大きさに歌舞伎界では特記がない限りは「六代」といえば通常六代五郎し示す程の特別扱いを受けている(他にこの特別扱いを受けているのは師である九代十郎のみである)。
また、尾上菊五郎一座を率いて多くの当たり役を持ち立役から女形まで幅広い芸歴があることから養子である七目尾上梅幸、実子である二目尾上九朗右衛門、芸養子の二目尾緑と二目大橋蔵、二目西鯉三郎、十七目市村羽左衛、三代目市團次、七目中村芝翫といった一門はおろか、十一目市川團十やライバルである初代中村吉右衛門の婿である十七目中村勘三郎や二目中又五郎にも芸を仕込むなど多くの有望な若手を育てた。

一方で性格父である五目以上に陽気で開放的か真爛漫であり、
などその手の逸話は枚挙に暇がない。
1949年に死去。六目の死により菊五郎の名跡はみたび24年もの間途絶えることになる。

当代の菊五郎

尾上菊五郎(七代)(1940–)
六代の義理の孫。本名:寺島 秀幸
意外にも歴代の菊五郎の中で初めて尾上菊之助から菊五郎になった人だったりする。
1948年に五代尾上之助を名乗り舞台を踏む。その後1965年四代目尾上菊之助を襲名する。
当時六代市川新之助(十二代市川團十郎)と初代尾上之助(三代目尾上)と共に「三之助ブーム」を巻き起こし、大河ドラマ源義経」で演を務めた。そしてその時共演した富純子(当時は純子)と後に結婚する。
そして1973年に六代の死後24年ぶりに菊五郎を七代として襲名する。
以後、お芸である世話物などで活躍をする。
寺島しのぶ息子は五代尾上菊之助一家全員役者という芸能一家でもある。

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尾上菊五郎

1 ななしのよっしん
2024/05/27(月) 19:34:10 ID: f98ODY2V4O
五郎が同時に2人もいるとは重な機会よな。

歌舞伎俳優 尾上菊之助さん 来年「八代尾上菊五郎」襲名へ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240527/k10014462151000.htmlexit

>人気歌舞伎俳優尾上菊之助さんが、来年、歌舞伎の大名跡八代尾上菊五郎を襲名することになり、会見で抱負を述べました。また、当代の菊五郎さんは七代として今と同じ名跡を名乗り続けることになりました。

>「尾上菊五郎」は、歌舞伎の大名跡で、七代尾上菊五郎さん(81)が昭和48年に襲名して以来、50年にわたり活躍していますが来年、長男の菊之助さん(46)が八代五郎を襲名します。

>これにあわせ菊之助さんの長男尾上之助さん(10)が、六代菊之助を襲名します。

>一方、当代の菊五郎さんは名前を変えず、そのまま、七代として今と同じ名跡を名乗り続けるということで、八代の襲名後は、2人の菊五郎が存在することになります。
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
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2 ななしのよっしん
2025/01/09(木) 18:50:30 ID: dPxObQXMs+
七代のお様以来席になってる尾上梅幸名前を(元々は菊五郎の俳号)を松本白鸚市川翁みたいな名跡にして、七代五郎→八代幸へ襲名してもよかったと思うんだけどね。菊五郎幸の分裂騒動なんて当事者たちはとっくに亡くなってるし、この機に統合してもいいのでは?
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