尾崎紀世彦(1943年1月1日~2012年5月31日)とは、神奈川県茅ヶ崎市出身の歌手である。
長いもみあげ→ふさふさのヒゲ、卓越した歌唱力が特徴。
声を維持する為に30年間禁煙を貫き、2000年代に入っても原曲のキーで歌を披露している。『ザ・ヴォイス』の異名を持つ歌手、トム・ジョーンズになぞらえ、「和製トム・ジョーンズ」と評された。
概要
父が英日ハーフ、母が日本人のクオーター。父はバレエダンサー/演出家、母は日劇のショーダンサーと、華やいだ世界に慣れ親しんで育ち、幼い頃からジャズやハワイアンに触れていた。
13歳の時にウクレレを買ってもらい、友人とハワイアンバンドを組んだのが最初の音楽活動になる。17歳でセミプロデビューし、1967年にコーラス・グループ「ザ・ワンダース」のメンバーなった。
その後1970年にソロデビューし、業界で注目。ところがこの年に交通事故に巻き込まれて4ヶ月入院する羽目になり、ヒットは生まれなかった。
しかし翌年の1971年に『また逢う日まで』がリリースされると、100万枚を売り上げる大ヒットを飛ばした。これが後に尾崎の代表作となる。
その後も順調にヒットを重ね、70年代から80年代にかけての歌番組に多数出演。ソロ活動以外にも、慣れ親しんだハワイアンやカントリーミュージックとのジョイントコンサートを定期的に開催するなど、テレビ以外でも活動していた。
1983年の『宇宙刑事シャリバン』では演出家の小笠原猛と「タケちゃん」「キヨ」と呼び合う親友だった縁もあり、挿入歌を担当。また本人もイガ星人・マリオとして出演している。
1995年にはフジテレビ系列で放送をされたアニメ『空想科学世界ガリバーボーイ』の主題歌も歌っており、これにより若者層にも改めて知られるようになる。
しかし2011年に体調悪化によりコンサートをキャンセル。一時は失踪かと騒がれたが、後に1年以上前から入院していた事、肝臓がんである事が判明した。
2012年5月31日に入院先の病院で死去。享年69歳であった。2度の結婚と離婚によって家庭とは縁遠かったが、晩年には最初の妻(ハワイ在住のアメリカ人女性)が看病し、家族に囲まれて看取られたという。
同年9月には別れの会が開かれ、長年親交のあった歌手や音楽関係者が多数出席。同年の日本レコード大賞にて特別功労賞が送られた。
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