山下和彦とは…
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山下和彦(やました かずひこ)とは、元プロ野球選手である。
概要
大分B-リングス 監督 #85 | |
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山下和彦 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県宇佐市 |
生年月日 | 1962年11月29日 |
身長 体重 |
183cm 92kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト4位 |
引退 | 1998年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
柳ヶ浦高等学校へ進学。正捕手として活躍し、3年時には県大会決勝まで勝ち進んだものの敗退している。
卒業後は新日本製鐵大分に入社。1984年には控え捕手ではあったが都市対抗野球大会に出場し、準々決勝まで勝ち進んでいる。
1984年ドラフト会議にて、近鉄バファローズから4位指名を受け入団。
1986年、有田修三の移籍や、梨田昌孝の故障により開幕戦から出場機会を得ると、以降も一軍に定着。同年は70試合に出場した。
1987年、梨田に代わり正捕手に定着。116試合に出場し、打率.217、6本塁打、24打点を記録。
1988年、キャリア最多となる117試合に出場。打率.226ながら8本塁打を放った。
1989年、113試合に出場し、規定打席には届かなかったが、打率.262、6本塁打、35打点を記録したほか、20二塁打、21犠打を記録し、近鉄のパ・リーグ制覇に貢献。ベストナインにも初めて選ばれた。
1990年、野茂英雄のプロ初勝利・17奪三振の試合でマスクをかぶるなど、シーズン序盤は正捕手としてプレーしたが、中盤戦以降は光山英和や古久保健二らの台頭もあり、2番手捕手となる。
以降は2・3番手の捕手として、光山や古久保とポジションを争い、1991年には守備率10割を記録したが、徐々に出場機会が減少。
1994年オフ、チームからの引退してのコーチ就任要請を断り、金銭トレードで日本ハムファイターズへ移籍。
日本ハムでは、2番手捕手として若手投手やキップ・グロス相手にマスクをかぶり、出場機会が増加。1995年には2度目の守備率10割を達成している。
1998年、野口寿浩の加入で出場機会を失い、同年限りで現役を引退。
引退後は古巣の近鉄や、横浜ベイスターズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、地元大分の九州総合スポーツカレッジなどでコーチを務め、近鉄時代には藤井彰人を育てた。
人物・エピソード
相手の弱点や内角の厳しいコースを徹底的に突くリードで投手陣を引っ張った捕手。
そのしつこいリードから「マムシ」と呼ばれた。このマムシという呼び名は、「遠征先で練習中に現れたヘビを焼いて食べたから」と言われているが、真相は定かではない。
成績
通算打撃成績
通算:13年 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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NPB | 910 | 2003 | 1747 | 164 | 380 | 57 | 4 | 30 | 159 | 5 | 111 | 7 | 119 | 19 | 425 | 41 | .218 | .274 |
獲得タイトル・表彰
関連動画
関連項目
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