よりニコニコできるような記事に編集していきましょう。 |
警察「せんせーい!!我々警察官一同は桜の代紋に誓って山口組を壊滅させることを誓います」
山口組「やってみろやコラァ!!舐めくさりよって いてまうぞボケェ!!」
さてみなさんはどちらを応援しますか?
六代目山口組とは、神戸(兵庫)県神戸市灘区篠原本町に本家本部を置く指定暴力団である。
代紋は『山口』の二文字を菱形にデザインした『山菱』と呼ばれる代紋を用いている。
通称: 菱(ビシ)、ヒシモンジなど
不肖私めが概要を書かせていただきやす!!オヤジ
言わずと知れた日本最大のヤクザ組織で、その知名度は表、裏社会関係なく全国にとどろいている。
一般の人にも「暴力団といえば?」と質問されたら大多数が山口組と答えるだろう。
組織は2011年現在、構成員数が約17300人(前年比1700人減)、準構成員数は約17600人(同200人増)の合計約34900人(同2600人減)となり,その数は全暴力団構成員数約78600人(同2300人減)のうちの44.4%を占めている。
山口組の傘下組織は約1,600団体と言われ、広島県と沖縄県の2県を除いた45都道府県に傘下事務所が置かれているといわれている。なぜ広島県と沖縄県にないのかというとはっきりとした答えはない・・・一応自分が思う考えはあるが間違っていたら申し訳ないのでやめておきます。(はっきりとした答えがわかる人は教えてください)しかし、この二県は昭和の中期に地元組織と山口組(ほぼ代理抗争だけど)の大きな抗争の舞台になったっていうのは事実である。
指定暴力団(22団体が指定)のなかでも、山口組(約34900人)、住吉会(約12600人)、稲川会(約9100人)の三団体を三大組織、ビッグスリーなどと呼ばれている。※()の中の人数は準構成員も含む
ちなみに構成員数は17300人と書いてあるがそれは山口組系(傘下組織)も含めての数なので間違いないように。山口組本家の正規組員は当代である六代目組長から盃を頂いた者たちだけなので数は組長(親)、舎弟(弟)6人に若中(子)79人の計86人である。
当代を除くこの85名は直参とも呼ばれ、自分がトップとして組、会、一家を率いている。これらは直系組織(二次団体)となり直系組織によっては数十名から千名を超える(四代目山健組、二代目弘道会、二代目宅見組、秋良連合会、三代目倉本組、五代目國粹会など)構成員を誇る組織までさまざまである。それによって勢力や資金面にも直系団体によって格差も出てくる。
他団体の義理場などに姿をあらわす際、直参は胸に山菱の代紋を入ったピンバッチをつけるが本家直参に付いている二次団体の最高幹部、直参は金のバッチをつけ、本家直参はプラチナのバッチをつける。
本家の最高幹部はプラチナのバッチの上に小さな銀の鎖のような物をつけており、もし新神戸駅などで(最近は公衆の前ではあまりつけないらしいが)山菱のプラチナバッチをつけている人を見かけたら確認してみるといいだろう。
警察関係者(特に組織犯罪対策部の警察官)などは本家直参のことを単にプラチナと呼ぶこともある。
ちなみに神戸を走っているタクシーの運ちゃんに「山口組の総本部まで!!」って言ったら運ちゃんに変な奴に思われるかもしれないが一切道も間違えずに篠原本町4-3-1に連れて行ってくれますよ~~それぐらい有名ってことですな【ちなみに総本部の住所は警察がホームページで公表しているので書いても大丈夫☆本家は4-3-30ね(本家の住所は公表されていないけど目と鼻の先だから載せておきます】ぜひ兵庫(神戸)に旅行に行く人は神戸プリンでも食べながらこの裏の観光地を計画に加えてはいかがだろうか・・・?
(注意)勝手に忍び込んだり総本部の前で挙動不審みたいにウロウロしていると沢山の監視カメラがあるので部屋住みの怖い兄ちゃんが出てきたり、警察を呼ばれたりするから気をつけてね。
ちょっとした豆知識を語らせてもらいます!!オヤジ
映画などでヤクザの組員が親分のことをオヤジと呼ぶのは一般にも知られているが、一般的にヤクザの盃事(擬似血縁)は兄舎弟の盃、親子の盃の二種類あり(手打ちの盃などもあるがここでは割愛)舎弟は親分の弟、子の盃は親分の子供を現す。
舎弟の盃を受けたものは親分の弟にあたるので親分に対して兄貴と呼び、子の盃を受けたものは親分の子供のあたるので親分のことを親父と呼ぶ。
子の盃を受けたものは舎弟の盃を受けた者に対して、親分の弟である舎弟に対して伯父貴(オジキ)と呼ぶ。
盃を受けたものは親分に対しては絶対服従であり親分が言うことはたとえドスグロイことを言われても親分の言うことは必ず正しいことであり、たとえ黒い事も白い事と思い行動しなければならない【山口組の本家直参クラス個人にはそのような命令はないが枝の組織になってくるとこのヤクザの掟が顕著になってくる、例えば鉄砲玉に行け!!そいつの命(タマ)を取ってこいなどといった自らが死ぬかもしれない、長期の社会不在(懲役)が免れない命令など】
もちろんのことだが親分の意に反したり、多大なる迷惑をかけてしまったら破門、絶縁などの処分を受ける。
破門(赤字)、絶縁に処されたらヤクザとして生きられなくなり自分で率いていた組も解散、縄張り内からも永久追放されすべてを失ってしまう。(特に絶縁された者は、所属していた組の縄張り内にいたら身の安全の保障がない)
除籍、破門、絶縁は本家の直参に対しても行われることで処分された直参は強制引退、何代と繋いできた組の名前も残せずに解散してしまう。絶縁、破門された者を他団体の組織が拾うことは、処分を下した組織に対しての反逆行為と見なされ、それが原因で抗争になることも多い。
そのような場合は、解散した組の若頭や舎弟頭がその地盤を受け継いで新しい組を起こし直参昇格ということもあり得る(しかしそのような場合は組織力がある組だけで疲弊していた組はそのまま解散し他の二次団体に吸収される)
山口組の役職名の簡単な説明 (六代目山口組の場合)
山口組は暴力団組織だが、組織というからには役職はある。
親分(当代)を筆頭に、
- 次期跡目候補でもあり親子の長男にあたる若頭
- 顧問の中でも選ばれた長老にしか就けない最高顧問
(先日、最高顧問を務めていた親分がお亡くなりになったので現在空席) - 前の代などで最高幹部などを務めて多大なる貢献をし今現在も現役として隠然たる力を持つ長老である顧問
- 舎弟衆のリーダーでありかなりの発言力を持つ舎弟頭(現在空席)
- 舎弟頭を補佐し最高幹部の一角である舎弟頭補佐(現在空席)
- 総本部の責任者であり本部に流れてくるを金の管理の責任者で山口組の金庫番である総本部長
- 若頭を補佐し各地方のブロック長も務める若頭補佐
- 直参として3、4、5代目と組に貢献してきた大ベテランである舎弟(最高幹部経験者も舎弟に直ることもある)
- 六代目体制で新設されてベテランから若手隔たりなく重要な役職に付き次期若頭補佐の登竜門といわれている幹部
- 六代目山口組を支えている若中(組織図はまた後から書きます)
特に若頭、最高顧問、顧問、舎弟頭、総本部長、舎弟頭補佐、若頭補佐は最高幹部と呼ばれ組の中で隠然たる影響力を持っている。
二万人近い構成員の中から本家の直参(現在85名)に昇格することは並大抵のことではない、直参親分として見合う実績、自分が率いている組の組織力、実力、資金力、器量、運の良さなどが重ならないととてもじゃないけどそこまで這い上がることはできない。
例えば、実力、資金力、器量が直参級でも様々な運や実績がないと昇格できない、それだけ追い越し追い越され、裏切り裏切られの実力、競争社会である(一般社会も同じではあるが・・・)。
上がり(上納金)
山口組の直参(というよりすべての暴力団組織)はいつ払うかわからないが毎月経費という名目で上納金を本家に納めている。それは二次団体でも三次団体でも四次団体でも同じであり納めないと組に組の意に背いているということで処分される。
山口組の場合は若中、幹部で85万円、舎弟を含む最高幹部は105万円と言われている。
この上納金で毎月の総本部、本家の維持費(水道光熱費等)などに使われているといわれている。
毎月の上納金だけではなく義理場へのお金、慶弔事、引退した直参への功労金その他諸々など毎月かなりのお金が本家に払われており、1年間に換算すると十億を超えるといわれている。
ちなみに企業舎弟が起こしている会社、山口組が関与しているフロント企業などの収益をすべて合わせると年間8500億円を超えると言われている(噂では1兆円企業のTOYOTA並みの収益とも・・・)。
本当にちっさい豆知識
山口組は東洋信用実業株式会社、株式会社山輝で通称山口組カンパニーと言われている株式会社がある。
株主は山口組の本家の直参で一般の皆さんは買おうと思っても買えません!!残念でしたぁ~~
事業内容は総本部、本家、総本部の駐車場の土地の管理である(2社に分けて管理を行っている)
いくつかのマンションも買っているらしい・・・
6月の定例会ではちゃんと株主総会もやっていて、収支報告をした後
「それでは質問はありますか?」「異議なし!!!!!!」
で終了する(いわゆるシャ〇シャ〇会議っいうやつですね!!わかります)。
もちろん2社とも代表取締役は山口組の最高幹部である。
私、今だ任侠道の修行の身若輩者ですが歴代組長を書かせてもらいやす!!
初代山口組組長 山口春吉 | |
二代目山口組組長 山口登 | 山口春吉初代の実子 |
三代目山口組組長 田岡一雄 | 全国港湾荷役振興協会副会長兼神戸支部長・甲陽運輸社長・神戸芸能社社長・元日本プロレス協会副社長・元株式会社ひばりプロダクション副社長など 田岡三代目を指してしばしば『山口組中興の祖』と呼ばれる |
四代目山口組組長 竹中正久 | 初代竹中組組長 三代目山口組若頭補佐→若頭 昭和60年1月26日一和会(山口組から分裂した幹部、直参が起こした組織)のヒットマンの銃撃を受け翌27日死亡→山一抗争に繋がる |
五代目山口組組長 渡辺芳則 | 二代目山健組組長 四代目山口組若頭補佐→若頭 |
六代目山口組組長 司 忍 | 初代弘道会会長 五代目山口組若頭補佐→若頭 銃刀法違反で収監(2011年四月九日出所) |
親父!!この未熟者の私が綱領を書かさせてもらいやす!!
山口組には三代目時代に制定された5ヶ条からなる『山口組綱領』があり山口組に所属する組員の基本精神である。
毎月の総本部で開かれる定例会(幹部会)や組行事の際は、この場にいる直参達が一緒にこの山口組綱領を必ず唱和する。
綱領
依って組員は各項を体現することを要す
一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ
一、外に接するに愛念を持し信義を重んず
一、長幼の序を弁え礼に依って終始す
一、世に処すに己の節を守り諍を招かず
一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる
以上 山口組
他にも毎年変わる組指針(四文字熟語)があって12月13日に開かれる事始め式に決められる(六代目が社会不在なので現場復帰するまでは納会という形で行われる)。
二十一年度の組指針は『脚下照顧』(自己を顧みて進む道を誤らず、常に自分を直視すること)
二十二年度の組指針は『倹徳献身』で意味は(身を引き締め、世のため人のために尽くすこと)のこと。
今年二十三年度の組指針は『慶複協心(けいふくきょうしん)』と発表され、四文字熟語辞典に載っていないオリジナルだが、「司六代目親分の復帰を皆で慶び、心を一つに協力して事に当たる」という趣旨になる。
上の綱領を簡単に説明していくと、冒頭から始まって
- 『内を固むるに和親合一を最も尊ぶ』
和に勝る争いはないのだから一致団結することで悪を浄化していこう!!
※和親合一という四文字熟語は田岡三代目の好きな熟語。 - 『外に接するに愛念を持し信義を重んず』
言葉の通り組以外の者たちとの付き合いを大事にしていこう!! - 『長幼の序を弁え礼に依って終始す』
目上の人に礼節を重んじる日本の伝統的な美風を忘れるな!! - 『世に処すに己の節を守り諍を招かず』
山口組の代紋に恥じることのない行動をとるように!! - 『先人の経験を聞き人格の向上をはかる』
個人の足跡をたどれば誤ることはないんだ!!
簡単に書くとこのような意味をあらわしている。
このような一見実にシンプルなように見えるが「この5ヶ条の中に、ワシらが守っていかなければならない精神がすべて語られていると思う」と語る山口組関係者も多い。
五代目の末期から六代目収監までの組暦を簡潔に書かせていただきやす
平成十六年 2月24日 司忍若頭補佐(当時)に銃刀法違反事件の控訴審で大阪高裁が懲役六年の逆転有罪判を下
す(最高裁に上告)
3月23日 銃刀法違反事件で大阪地裁が滝沢若頭補佐(当時、芳菱会会長)に無罪判決(検察側が控
訴)。最高裁で懲役七年の有罪(銃刀法違反)が確定した三代目山健組組長桑田兼吉若頭
補佐(当時)が東京拘置所に収監される。
4月21日 抗争に巻き込まれた被害者が上部団体トップに損害賠償を問える『改正暴対法』が国会で成
立。
11月12日 「警察官誤射射殺事件」(平成7年8月25日に起きた事件)の民事訴訟の上告審で、最高裁が
上告棄却を決定。渡辺芳則五代目山口組組長の使用者責任を認定する
11月28日 緊急直系組長会を開催。渡辺五代目が休養に入り、執行部の合議制で組織運営を行うことが
決定
平成十七年 3月10日 弘道会の高山清司若頭(当時)が、二代目弘道会継承することが決定
4月5日 司忍若頭補佐(当時)弘田組組長就任(弘田組は自身の上告審が控えているので高山氏に二
代目弘道会を継承させて直参昇格させるための形だけの組で事務所も組員もいない)が発表
5月10日 定例会で司忍若頭補佐が若頭に就任。“宅見事件”以来約8年ぶりに親若頭が誕生
6月6日 定例会で二代目宅見組・入江禎組長(大阪)、二代目弘道会・高山清司会長(愛知)、極心連合
会・橋本弘文会長(大阪)の三人の若頭補佐昇格発表。
7月25日 総本部で最高幹部会が開かれ、司若頭の六代目就任が決定
7月29日 臨時直系組長会を開催。渡辺五代目が引退を表明し、司若頭の六代目継承が正式に発表
8月8日 最高幹部会で、親若頭に高山若頭補佐が就任することが決定。“宅見事件”で山口組を絶縁
された中野会・中野太郎会長(大阪)が引退、解散届を大阪府警に提出
8月27日 総本部で『六代目継承式』と『盃直し』の儀式が執り行われ、名実ともに司六代目が誕生
この六代目体制発足を機に、四代目山健組・井上邦雄組長、二代目健心会・江口健治会長
二代目近藤組・掛野一彦組長、茶谷政一家・茶谷政雄総長が直参昇格
9月4日 司六代目と最高幹部らが姫路市の竹中正久四代目の墓に参り、六代目継承を墓前で報告
9月5日 六代目体制発足後初の定例会が開かれ、新執行部人事が正式発表されるとともに、幹部ポス
トの新設と、九人の直系組長を発表
9月7日 総本部で司六代目と、関東の指定団体(指定暴力団)・國粹会の工藤和義会長との盃事が執り
行われ、國粹会が直系として山口組の電撃加入。工藤会長は最高顧問に就任
10月11日 総本部で司六代目と五代目会津小鉄会・図越利次会長との盃事が執り行われ、図越会長が
司六代目の代紋違いの舎弟となる
11月29日 司六代目の銃刀法裁判で最高裁が上告を棄却。懲役六年とした二審の有罪判決が確定
司六代目の年内収監が決まる
12月4日 最高幹部会(執行部会)が開かれ、井上邦雄幹部(四代目山健組組長)の若頭補佐昇格を決定
12月5日 司六代目が大阪府警に出頭。大阪高検による収監手続きを経て、大阪拘置所に収監される
12月27日 総本部駐車場で全国の直系組長らが参加してもちつき大会が開かれ、近隣住民も招待される
ちょっとした組織図を書かしてもらいやす・・・・・オジキィィィィィィィィィィ!!!
最高幹部、幹部、舎弟
六代目山口組組織図 (十二月現在) 数字は直参になった時期(Sは昭和、Hは平成)
六代目組長 | 司 忍 | 元・初代弘道会会長、弘田組組長 S59.6 |
若頭 | 髙山 清司 | 二代目弘道会会長(愛知県名古屋市中村区宿跡町) H17.4 |
総本部長 | 不明 | |
顧問(舎弟) | 尾崎 彰春 | 心腹会会長(徳島県徳島市鷹匠町) S43.11 |
顧問(舎弟) | 石田 章六 | 章友会会長(大阪府大阪市北区兎我野町) S44.7 元五代目山口組舎弟頭補佐 |
顧問(舎弟) | 大石 誉夫 | 大石組組長(岡山県岡山市厚生町) $45.6 元五代目山口組舎弟頭補佐 |
若頭補佐(大阪南ブロック長) | 橋本 弘文 | 極心連合会会長(大阪府東大阪市長堂) H17.4 |
若頭補佐(大阪北ブロック長) | ||
若頭補佐(九州ブロック長) | 青山 千尋 | 二代目伊豆組組長(福岡県福岡市二西中洲) H5.5 |
若頭補佐(関東・北海道ブロック長) | 鈴木 一彦 | 旭道会会長(北海道旭川市三条通) H4.2 |
若頭補佐(阪神ブロック長) | ||
若頭補佐(中京・北陸ブロック長) | ||
若頭補佐(中国・四国ブロック長) |
舎 弟 | 川合 康允 | 川合組組長(岐阜県大垣市) S54.8 |
幹部 | 大原 宏延 | 大原組組長(大阪府大阪市生野区田島) H1.12 |
幹部(総本部長補佐) | ||
幹部(組長付) | 光安 克明 | 光生会会長(福岡県福岡市博多区博多駅南) H13.12 |
幹部(慶弔委員長) | ||
幹部(総本部長補佐) | ||
幹部(若頭付) | 江口 健治 | 二代目健心会会長(大阪府大阪市浪速区) H17.8 |
幹部(若頭付) | 森尾 卯太男 | 大同会会長(鳥取県米子市富士見町) H17.11 |
幹部 | 藤井 英治 | 五代目國粹会会長(東京都台東区千束) H19.3 |
幹部(組織委員長) | 高野 永次 | 三代目織田組組長(大阪府大阪市中央区) H18.9 |
幹部(組織委員) | 高木 康男 | 六代目清水一家総長(静岡県静岡市清水区庵原町) H14.10 |
兵庫若中(七団体)
若中 | 中村 天地朗 | 二代目大平組組長(兵庫県尼崎市昭和南通) S61.10 |
若中 | 細川 幹雄 | 細川組組長(兵庫県尼崎市南清水) H1.12 |
若中 | 柴田 健吾 | 柴田会会長(兵庫県加古川市寺家町) H3.12 |
若中 | 清水 武 | 二代目岸本組組長(兵庫県神戸市中央区加納町) H19.10 |
大阪若中(十七団体)
若中 | ||
若中 | 浅井 昌弘 | 浅井組組長(大阪府大阪市北区堂島) H4.2 |
若中 | 川口 和慶 | 三代目小車誠会本家会長(大阪府大阪市西成区太子) H11.3 |
若中 | 野村 孝 | 三代目一会会長(大阪府大阪市北区神山町) H14.3 |
若中(慶弔委員) | 髙木 廣美 | 五代目早野会会長(大阪府大阪市浪速区恵比寿西) H15.4 |
若中(組織委員) | 布川 皓二 | 二代目中西組組長(大阪府大阪市中央区島ノ内) H15.12 |
若中 | 佐逹 秀正 | 三代目大野一家総長(大阪府大阪市港区夕凪) H16.10 |
若中(総本部当番責任者) | 里 照仁 | 二代目中島組組長(大阪府大阪市淀川区十三元今里) H18.5 |
若中(慶弔委員) | 奥村 修 | 二代目勝野組組長(大阪府大阪市西成区山王) H19.5 |
若中(総本部当番責任者) | 亀井 利臣 | 三代目松山組組長(大阪府東大阪市高井田本通) H20.10 |
若中 | 能塚 恵 | 三代目一心会会長(大阪府大阪市中央区宗右衛門町) H20.11 |
若中 | 秋良 東力 | 秋良連合会会長(大阪府大阪市浪速区大国) H20.11 |
若中 | 飯田 倫功 | 倭和会会長(大阪府大阪市中央区瓦谷町) H21.2 |
若中 | 井村 一男 | 四代目南一家会長(大阪府大阪市中央区難波千日前) H22.4 |
若中 | 南 匡樹 | 三代目吉川組組長(大阪府大阪市淀川区宮原) H22.10 |
他都道府県若中(三十六団体)
若中 | 青野 哲也 | 七代目一力一家総長(静岡県浜松市中央区参野町) S59.6 |
若中 | 尾崎 勝彦 | 尾崎組組長(徳島県徳島市八萬町下福萬) H1.5 |
若中 | 根本 辰男 | 二代目川内組組長(福井県あわら市東温泉) H1.12 |
若中 | 北島 虎 | 二代目杉組組長(愛知県名古屋市中村区大秋町) H5.11 |
若中(慶弔委員) | 金光 哲男 | 金光会会長(福岡県福岡市博多区石城) H5.11 |
若中 | 正田 悟 | 二代目松山会会長(愛媛県松山市) H8.10 |
若中 | 貝本 健 | 貝本会会長(愛知県名古屋市中村区下中村町) H11.3 |
若中 | 船木 一治 | 三代目誠友会会長(北海道札幌市中央区南七条西) H13.12 |
若中(慶弔委員) | 篠原 重則 | 三代目若林組組長(香川県高松市東浜) H14.5 |
若中(総本部当番責任者) | 菱田 達之 | 二代目愛桜会会長(三重県四日市市西浜田町) H17.3 |
若中 | 山本 克博 | 五代目豪友会会長(高知県高知市廿代町) H17.3 |
若中(慶弔委員) | 田保 伸一 | 二代目昭成会会長(石川県金沢市涌波) H17.5 |
若中 | 掛野 一彦 | 二代目近藤組組長(岐阜県岐阜市鍵屋中町) H17.8 |
若中(総本部当番責任者) | 茶谷 政雄 | 茶谷政一家総長(北海道札幌市白石区菊水七条) H17.8 |
若中(慶弔委員) | 落合 勇治 | 二代目小西一家総長(静岡県静岡市葵区南安倍) H17.11 |
若中 | 木村 阪喜 | 木村會会長(愛媛県松山市勝山) H17.11 |
若中(総本部当番責任者) | 田中 三次 | 三代目稲葉一家総長(熊本県熊本市細工町) H19.6 |
若中 | 宮本 浩二 | 四代目北岡会会長(熊本県鹿本郡植木町) H19.7 |
若中 | 田堀 寛 | 二代目名神会会長(愛知県名古屋市中区栄) H20.3 |
若中(組長付) | 清田 健二 | 十代目瀬戸一家総裁(愛知県瀬戸市孫田町) H20.3 |
若中 | 津田 力 | 二代目倉心会会長(和歌山県和歌山市元寺町西ノ町) H20.10 |
若中 | 良知 政志 | 良知組組長(静岡県榛原郡吉田町大幡) H20.11 |
若中 | 塚本 修正 | 藤友会会長(静岡県富士宮市杉田) H20.11 |
若中 | 一ノ宮 敏彰 | 一道会会長(福岡県福岡市中央区春吉) H20.11 |
若中 | 髙山 誠賢 | 淡海一家総長(滋賀県大津市長等) H21.1 |
若中 | 山嵜 昌之 | 三代目益田組組長(神奈川県横浜市中区長者町) H21.4 |
若中 | 富田 丈夫 | 国領家一家総長(静岡県浜松市中央区荻丘) H21.8 |
若中 | 生野 靖道 | 四代目石井一家総長(大分県別府市石垣東) H21.9 |
若中 | 浜田 重正 | 二代目浜尾組組長(神奈川県横浜市中区松影町) H21.10 |
若中 | 薄葉 政嘉 | 十一代目平井一家総裁(愛知県豊橋市仁連木町) H21.11 |
若中 | 河内 敏之 | 三代目倉本組組長(奈良県奈良市西九条町) H22.2 |
若中 | 波入 信一 | 七代目奥州会津角定一家総長(福島県会津若松市門田町) H22.3 |
若中 | 中山 和廣 | 三代目矢嶋組組長(愛媛県今治市黄金町) H22.6 |
住所に付いてはいくつか知っている組織もあるが、何丁目何番地~号など全部載せてしまったらさすがにマズイので載せられるところまで載せてときやした。
一応簡単ではあるがこのメンバーが現在(平成22年12月現在)の山口組本家に属している直参組員である。
いわばこの面子はヤクザ社会ではかなりのエリートであり、それぞれ何十人から何百、何千の子分を持っていてここに載っている組組織が本拠地を置いている場所に住んでいる。住民の皆さんにはこの組のことをよく知っている人もいるだろう・・・
ここに載っている二次団体(直系組織)だけではなく、直系組織の傘下の三次団体の中にもいつ直参に昇格してもおかしくない実力を持った組織は沢山あり、三次団体ではあるが二次団体の組織を超える程の全国に轟かす知名度を持つ団体もある。
そういう組織は直系組織から内部昇格という形で直参に昇格することもあるが、六代目体制になってそれが極端に少なくなっている
警察vs山口組(新・頂上決戦)
警察と山口組の攻防は長きに渡る。
古くは、昭和四十年代に行われた、警察庁が先頭に立って山口組の幹部・枝の組員関係なしに大量検挙を行い壊滅を目指し、当時の三代目山口組にかなりのダメージを与えた第一次頂上作戦と呼ばれる戦いが有名。
警察側は以後、何回か頂上作戦を展開してきたが、あまり成果は得られなかった。
しかし、2010年に入り、2011年4月の司六代目出所を睨んで、警察庁長官の安藤隆春警察庁長官が警視庁をはじめ各県警にあらゆる法令を駆使して徹底的に検挙を目指すよう促し、新・頂上作戦とさえ呼ばれる大攻勢に出た。
特に力を入れているのは「組織の人的基盤崩壊」「支援基盤の壊滅」「資金源の遮断」「暴力団の孤立化」でヤクザと関係が深い風俗業や建設業などの洗い出しを進めている。
2011年だけで直参(最高幹部も含む)が22人逮捕されており、中には年内で三回も逮捕された直参組長もいるほどで、山口組に何が何でもダメージを与えようとする警察側の姿勢が見て取れる。
特に、山口組髙山清司若頭が二代目会長として率いている二代目弘道会(構成員約1,700人・準構成員を含むと約4,000人)に対する攻勢は凄まじい。去る4月1日、二代目弘道会が本拠を置く名古屋市において、管轄である愛知県警捜査四課内に「弘道会特別対策室」が設置され大きな話題となった(「弘道会壊滅戦略」と呼ばれる愛知県警が作成した文書が、全国の警察の担当部署に配布されていると言われている)。
今年の上半期だけで1,022人の関係者が逮捕されている。
安藤長官は、「山口組を実質的に支配しているのは山口組若頭である高山清司氏が率いる二代目弘道会であり、弘道会の弱体化なくして山口組の弱体化はなく、山口組の弱体化なくして暴力団の弱体化はない」と宣言している。
そして、11月18日早朝、淡海一家らによる恐喝事件でみかじめ料名目で四千万円を脅し取ったとして、恐喝の疑いでついに山口組高山清司若頭が京都府警組織犯罪対策2課に逮捕された。
逮捕までの経緯は以下の通りである。
この恐喝を行ったのは、二代目弘道会で舎弟頭補佐を務め、2009年1月に内部昇格という形で直参昇格していた、淡海一家の高山誠賢(本名:高山義友希)であった。当初は彼が恐喝容疑で逮捕(組織犯罪処罰法で起訴)されたのだが、その後の調べで彼は、被害者である建設関係者に「(みかじめ料)を名古屋の頭(高山若頭)にも届ける」などと言っていたことが判明(被害者とされる男性がICレコーダーを持っており、その会話の模様を録音したとされる)し、脅し取った現金を高山若頭に渡ることを伝えたと判断された。このことから、高山若頭が恐喝を共謀、あるいは何らかの関与を持っていたとして、逮捕に至った。
髙山容疑者は犯行を全面否認している。
若頭逮捕は警察庁の悲願であるが、弘道会の本拠でもある愛知県警でも若頭逮捕に苦戦していたのに、関係が薄い京都府警に逮捕されたので愛知県警は面子を潰された形となってしまった。
さらに12月1日、暴力団対策法に基づく大阪公安委員会の命令に従わず、抗争事件で服役中の組員側に金銭を渡していた容疑(暴力団対策法違反の暴力行為の賞揚等禁止命令違反)で、山口組総本部長入江禎二代目宅見組組長が逮捕された。
ただ、この容疑に関しては起訴までに持っていくのはほぼ不可能で罰金刑で済むと言われている。
髙山若頭が逮捕以後、起訴されるのか注目を集めていたが12月8日恐喝罪で京都地検に起訴された。
本人は全面否認をしているため髙山若頭の弁護人も「無罪を全面的に主張する方針」だという
起訴内容を本人が否認している以上ほぼ保釈が認められないとの考えで長期社会不在が決定的となった(11年3月現在も保釈は認められていない)
ちなみに四千万のうち五百万円分の恐喝容疑の共犯とされた淡海一家組員には懲役四年の有罪判決が言い渡されていることからも、髙山若頭が有罪となった場合はそれ以上の懲役刑になる可能性が高い。
12月22日、起訴は無いであろうとみられていた山口組総本部長の入江禎(二代目宅見組組長)が暴力団対策法違反罪(暴力行為の賞揚等禁止命令違反)で起訴された。
二日後の24日には、保釈申請が認められ、保釈金一千万円を支払い同日に保釈され現場復帰をした
入江総本部長は当初、容疑を否認していたが起訴状によると禁止命令が出されるまでは入江総本部長ら宅見組幹部三人の名義で振り込まれ、その後、幹部(服役中の組員)の内妻が振り込み役となり、平成二十二年五月以降は別の幹部がホテルなどで直接内妻に手渡していたとされる。
22日に起訴された入江本部長が、天皇誕生日を挟んだ24日に保釈が認められたのは否認から一転して起訴内容を認めたからだという。
3月10日、暴力団対策法違反の罪に問われた入江禎総本部長の判決公判が大阪地裁(三沢節史裁判長)で開かれた。
判決は懲役10ヵ月、執行猶予3年で検察側が懲役10ヵ月の実刑判決を求刑し弁護側は執行猶予付きの判決などを求めていたので弁護側が求刑する判決となった。
他に共犯として逮捕された二代目宅見組幹部二人は入江総本部長が起訴されたときに略式起訴され罰金五十万の略式命令で済んだ。
このように普通は起訴にまで持っていけないような容疑でも、現在の警察は積極的に逮捕して、刑務所には送れずとも拘置所に数週間なり抑留しようとするので、直参にとってはかなりキツイことであろう。
司六代目は4月8日に刑の満期を迎え、翌9日朝に府中刑務所を出所する。
出所したら六代目に捜査が及ばないように総裁制を導入するとか執行部を若手に組織改革をするとかいろいろ噂があるが今後の成り行きに注目である。
弘道会と山健組の対立、分裂
2015年、司六代目組長の出身母体であり髙山若頭の傘下でもある弘道会と渡辺五代目組長の出身母体である山健組が対立。井上山健組組長に加え、それを支持する12人の直系組長が離脱し、井上組長のもと「神戸山口組」を結成した。離脱した直系組長の中には最高幹部である入江総本部長や7人の若頭補佐のうち過半数の4人が含まれるなど、完全に分裂という結果となった。神戸山口組の結成式には山口組に次ぐ勢力を持つ住吉会の傘下である幸平一家の加藤総長も出席したとの情報もある。
山口組直系団体の愛桜会の菱田組長が11月に殺害されるなど、組長クラスの人物に対する抗争も勃発している。
2017年4月30日には神戸山口組傘下の山健組の織田元副組長を代表とする任俠団体山口組(後に任侠山口組→絆會と改称)が発足、山口組系組織は3団体に分裂することとなった。
これら3団体はいずれも山菱を代紋としていたが、絆會は後に代紋を変更している。
神戸山口組とは特に激しい抗争状態にあり、2016年3月から2019年末までにそれぞれの傘下団体が関係する事件が72件発生している。なお、これはあくまで警察庁が感知しているものなので、水面下ではさらに事件が発生している可能性もある。抗争の結果、一般住民にも危険が及ぶ可能性があることから、2020年1月に神戸山口組とともに特定抗争指定暴力団に指定されることとなった。
その後、2020年7月に池田組、2022年8月に徳誠会、9月に宅見組、2023年2月に百八竜会が神戸山口組から脱退して独立団体となり、その他にも神戸山口組傘下から山口組傘下へと移籍する団体も出てきており神戸山口組は弱体化の傾向にある。ただし、池田組は脱退後に神戸山口組と親戚関係を結ぶなど友好関係にあり、2022年8月には神戸山口組と同様、山口組との間で特定抗争指定暴力団に指定されている。
なお、山口組の分裂騒動は初めてのことではなく、よく知られているものとして1984年に竹中若頭(当時)が四代目組長襲名の際に、山本組長代行(当時)を支持する勢力が組長襲名に反対し山口組から離脱、一和会を結成し山口組と対立、通称「山一抗争」と呼ばれた抗争があった。記事があるので詳細はそちらを参照。
関連動画など貼って何の意味があるんですかい?兄貴ィィィィィィ!!!!!
コミュニティーって何ですかい?姐さぁぁぁぁぁぁぁぁんんんんん!!!!!
山口組の関連コミュニティーなんてあるわけがないやろ!!ですよね親父ぃ
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