山崎烝とは新選組副長助勤である。諸士調役兼監察。
概要
生年不詳。山城国に生まれる。大阪で医療に従事していたとされる。
文久3年(1863年)末から元治元年(1864年)前半頃新選組に入隊。京都市中の探索を務める。
慶応元年(1865年)閏5月、上京した松本良順から医術を学ぶ。同年11月の長州尋問使に近藤勇らと共に同行。近藤の帰還後も山崎は探索を続け、第二次長州征伐における井伊軍・榊原軍の大敗を近藤に知らせるなどの活動を行った。慶応3年(1867年)には四公会議を批判する近藤の建白書を持って土方歳三と共に朝廷公卿に働きかけた。
慶応4年(1868年)1月の鳥羽伏見の戦いにおいて重傷を負い、大阪に運ばれた後富士山丸に乗船したが、11日前後に死亡したとされる。
関連項目
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