隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
山月記とは、1942年に発表された中島敦の短編小説である。
精緻な文章から、国語の教科書などに掲載されることが多い。
概要
人間が狂乱して虎のようになるという逸話は東アジア・東南アジアではポピュラーなものである。
中島敦は、中国でのそうした説話「人虎伝」から着想を得て、独自のストーリーを加えて山月記を上梓した。
主人公李徴(りちょう)の生い立ち、時代背景や人物関係、内面の描写が繊細かつ簡潔にまとめられている。
全体的に漢文調の古風な表現が使われており、科挙制度の語句を始め、現代の日常ではあまり見かけない単語や読みも頻出するため(故人:とも、恃むところ:たのむところなど)、注釈抜きで読むのは難しいかもしれない。
概略
唐の時代、隴西(いわゆる西涼)の李徴は博学で才もあったため若くして科挙に合格し官吏に就くが、役人とその職務を"賎吏"として蔑んでいた。やがて賎吏で無為に一生を費やすよりも詩人となって杜甫・李白に及ぶ名声を残そうと思い立ち、山野に隠棲した。しかし年経ても大成せず、糊口を凌ぐためまた"賤吏"に戻ってしまう。かつての部下は上役に昇進し、自身は下吏となって元部下に顎で使われる日々を送ったため、鬱憤が溜まり遂に李徴は発狂して山野に逃げこんだ。
後年、官吏の袁傪(えんさん)は道中急ぎのあまり「人食い虎」が出るという道を強行する。果たして大虎に襲われかけるが、虎の側が足を止めて藪に逃げ込む。人食い虎は彼の旧友、李徴の成れの果てであった。彼曰く、自身が抱えていた「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」により、遂に浅ましき人食い虎に成り果ててしまったのだという。
☆Tips 1 『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』について
人物の解説を長々とせず、注意深く読まないと人物の関係性や立場が分かりにくいが、ストーリー全体は短く大きなひねりもないので理解しやすい。そのため国語の練習問題としてよく用いられる。例題としては、文章から読み取れる袁傪の社会的地位、他者を蔑んで憚らなかった李徴が袁傪を故人(とも)と呼んだ理由、李徴の能力の各人の評価、虎として生きていかねばならないことをどう思っているか、などが考えられる。
その中でもこの上記2文は李徴が虎になるに至った理由であるため、確実と言っていいほどテストで問われる内容である。李徴のどんな行動が『臆病な自尊心』と『尊大な羞恥心』にあたるのかを理解する必要がある。
本文から引用して、李徴が自己申告した事柄それぞれのうち『臆病な自尊心』を赤字で、『尊大な羞恥心』を青字で塗り分けてみると
人間であった時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
といったところになろうか。
つまり『臆病な自尊心』とは「自分には才能があるはずだという自尊心を持ってはいるが、その才能が否定されてしまうことを恐れるあまりに、本格的に才能を磨くことができない」といったことを指し、そして『尊大な羞恥心』とは「自分は才能がある傑物なのだ、と信じているために、凡人と肩を並べて付き合うことを恥ずかしく思ってしまう」ことを指している。
この李徴の行動基準は文章のいたる所にみられる。プライドが邪魔をし、一流に属する高い才能を活かせず職の選択や研鑽の方法を誤ってしまい、詩も職も蔑んでいた者に追い抜かれ、自虐し、後悔、恐怖、焦燥の念に駆られる。そのような虎の姿に共感を覚えたものも多いのではないだろうか。
☆Tips 2 山月記と人虎伝
前述のとおり、本作は人虎伝を下敷きに執筆された作品である。人虎伝のさらに元になった宣室志も含め「虎になってしまった昔の友人と再会し、虎になった経緯を聞き、別れる」という大筋は同一である。では何が違うのかといえば、李徴が虎になった理由が異なるのだ。
この物語には複数の版が存在するため細部は異なるが、おおむねどのバージョンでも旅の途中に奇病や狂気に侵されて虎に変化し、空腹に耐えかねて山の動物や人間を襲ううちに徐々に心まで虎に変化していく。この部分を自尊心と羞恥心という人物の内面に置き換えたのが中島敦の翻案の肝である。
さらに細かい点を言えば、人虎伝の李徴はまず袁傪に家族を託したのち、世に出ぬまま散逸したであろう自らの詩を誰かに知ってもらうために書き取らせる。その詩は「文甚高く、理甚遠し。閲して歎ずる者、再三に至る。(文は格調高く、内容も非常に深い。読んで感嘆することが何度もあった。)」と称えられている。まず詩から伝え、その詩にもわずかに足りない部分があった山月記の李徴とは逆である。
理不尽あるいは因果応報により虎となり、そのまま本物の獣に転げ落ちた人虎伝。詩に執着し、不足を知りながらも心の中の劣等感や傲慢さを育て続けた末に虎へとなり果てた山月記。両者を読み比べることで李徴という人物がよりくっきりと感じられるのではないだろうか。
人虎伝も山月記と同様に無償で読める作品となっているので、一読をお勧めしたい。
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