概要
表の顔は夕方のローカルニュースを伝えるハゲウンサー。
しかしその素顔は世の無駄遣いを暴く正義の(?)ヒーロー、ムダブルーである。必殺技はハゲハゲビーム。
2013年3月31日をもって関西テレビを退社し、フリーアナウンサーに転身した。
現在の担当番組
- たかじんのそこまで言って委員会 (2013年6月~ 日曜 13時30分~15時 関東ほか一部地域を除く準全国ネット)
- セキララ☆新発見 ものしりティーチャー (2013年10月~ 関西ローカルほか地方7局で時差ネット放送)
- ヤマヒロのぴかいちラジオ (2013年10月~ 火曜 17時54分~20時50分 野球中継オフシーズン番組)
過去の担当番組
- アタック600 (1991年4月~1997年9月 月~金 18時~19時 関西ローカル)
- クロスファイア (1997年10月~1998年3月 水曜深夜 関西ローカル)
- ナンボDEなんぼ (2000年10月~2009年12月19日 土曜 13時~13時55分 関西ローカルほかネット局あり)
- スーパーニュースANCHOR (2006年4月~2013年9月 月~金 16時53分~19時 関西ローカル)
ヤマヒロの歴史
ここでは、ヤマヒロのアナ Pod cafeで語った内容を中心に、アナウンサー・山本浩之の歴史をまとめる。
ヅラウンサー前夜
まだフサフサだったころのヤマヒロは、関西テレビのアナウンサー試験に挑み、最終面接まで進んだ。
カメラテストでニュース原稿を読み終えるや否や、副調整室にいるアナウンス部長から前髪を上げておでこを見せるように言われ、言われるがままに前髪を上げ、15秒ほど生え際を見せた。
以下、次のような会話が続く。
部長「貴方のお父さんはどのような方ですか?」
山本「私や母と違って寡黙な人で…」
部長「何を言ってるんですか。見た目ですよ見た目。あなたのお父さんの見た目はどんな人ですか?」
山本「見た目は一言で言えばサザエさんに出てくる磯野波平です。…それが何か…?」
部長「いえいえ聞いてみたまでです。ちなみに…おじいさまやおじさん、親戚の方々はどんな感じですか?」
山本「うちは父方母方全員、磯野波平のような頭をしております」
部長「そうですか、わかりました。(…えーと、他にどなたかいらっしゃいますか?あ、ないですね。)山本君ありがとう。以上、結構です。ではお帰りください」
こうしてヤマヒロの最終面接は終わり、もう関テレとは縁がないと思って泣きながら家に帰った。
その2日後、ヤマヒロの元に内定通知の電話がかかってきた。
こうして、後にハゲハゲビームを繰り出すこととなる関西テレビアナウンサー、山本浩之が誕生した。
しかし、何が決め手で採用になったのか、自分自身、未だにサッパリわからないという。
ヅラウンサーの誕生
アタック600の担当になった数ヶ月後、先輩や上司から「頭部が寂しすぎる」という指摘を受ける。
先輩の桑原征平アナウンサーに相談したところ、頼んでもいないのに某大手カツラメーカーの営業部長宛ての紹介状を書かれ、あれよあれよという間にヅラを作成することになった。
以後、このヅラを着用して番組に臨むこととなる。
ヅラウンサー最大の危機
関西国際空港の開港を1ヵ月後に控えた1994年8月4日、関空の滑走路の上から全編生中継でアタック600が放送されることになった。
関空の強風の中でも飛ばないよう、メイクスタッフが整髪スプレーを5分ほど吹き付け続け、工事用ヘルメットのようにカチカチになったヅラを被って番組に出演した。
結局、ヅラも首も飛ぶことはなかったが、強風で女性キャスターやニュース原稿が風になびく中、ヤマヒロの頭だけがビクリとも動かないというあまりにも不自然なその映像は、間違いなく関西中のお茶の間に放送された。
ヅラウンサーからハゲウンサーへの転身
1997年9月いっぱいでアタック600を降板。その直後に担当したクロスファイアの中で、ハゲだったということを公表。
このことは後に「トリビアの泉」でも取り上げられた。
これをきっかけに硬派なアナウンサーからハゲのバラエティアナウンサーへと変化を遂げることとなる。
2000年10月から放送を開始した「ナンボDEなんぼ」ではハゲキャラを前面に押し出し、「ハゲハゲビーム」という必殺技を披露し、一躍人気キャラとなる。
2006年4月、新番組「スーパーニュースアンカー」のアンカーマンとして報道番組に再登板したが、彼にはもうヅラは必要なかったのであった…。
関連商品
関連項目
- 関西テレビ
- アナウンサー
- 地方ローカル記事の一覧
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