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山田真介(やまだ しんすけ、1979年6月15日-)とは、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)である。現在はジャイアンツアカデミーのアシスタントコーチを務める。
概要
OB | |
---|---|
山田真介 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府堺市西区 |
生年月日 | 1979年6月15日 |
身長 体重 |
178cm 70kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1997年ドラフト3位 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
上宮高等学校ではエースで5番だった。2年夏(1996年)の明治神宮大会で優勝を果たした。3年春の選抜大会(1997年)では準決勝で敗退した。
1997年ドラフト3位で読売ジャイアンツに内野手として入団した。背番号は37。
巨人時代
1998年から2001年までは一軍出場がなかったが、2001年に外野手にコンバートされた。
2002年8月20日の横浜ベイスターズ戦で代打でデビューし、8月22日の横浜戦で吉見祐治からプロ初安打を記録した。13試合の出場で打率.188、1打点だった。
2003年4月23日のヤクルトスワローズ戦でプロ初ホームランを記録したが、プロではこれが唯一のホームランだった。26試合の出場で打率.257、1本塁打、4打点だった。
2004年、2005年は打撃がネックとなり、二軍で大半を過ごした。
広島時代
2006年6月5日に木村拓哉とのトレードで広島東洋カープに移籍した。背番号は44。18試合に出場した。
阪神時代
2007年5月21日に喜田剛とのトレードで阪神タイガースに移籍した。背番号は55。
2008年は背番号を43に変更。一軍出場がないまま、10月2日に戦力外通告を受け、現役を引退した。
引退後
2009年から巨人で球団職員を務めながら、少年野球スクールのジャイアンツアカデミーのアシスタントコーチも務める。
人物
実績の割になぜか評価されていた。
例として、1回目のトレード相手が広島東洋カープに長年貢献してきた木村拓也だったり、その翌年2回目のトレード相手が前年まで2年連続でファーム三冠王を獲得した喜田剛だったりなど。
ちなみにトレード相手の木村、喜田両者共に移籍後に活躍している(詳しくは両選手の項目を参照)が、山田は広島移籍後28試合に出場したのみ。阪神移籍後に至っては移籍直後に4試合出場したきりだった。
ちなみに、高校時代は千葉ロッテマリーンズの渡辺正人と同級生だったらしい。
プレースタイル
山田の呪い
case1 上宮高校
なお、上宮高校はこれ以前に1989年春夏連続で甲子園に出場、春には準優勝も経験している。
case2 2006年巨人
山田が移籍した6月5日以降の勝敗
●●●●●●●●○●○●●●●●●●●●●○○●●●●●●●●●
case3 2007年広島
山田が移籍した5月18日以降の勝敗
●○●▲●○○●●●●○●●●●●○●●●●●●○●●○●●●●●●●
この年、広島は4位。昨年山田を放出した巨人と同じ順位だった。
case4 2008年阪神
10月2日(木) ←山田解雇
10月3日(金) ヤクルト ● 7-5
10月4日(土) ヤクルト △ 2-2
10月5日(日) ヤクルト ○ 3-8
10月6日(月) ヤクルト ● 3-1
10月8日(水) ヤクルト ● 3-1 同率首位決戦 2位転落 Vやねん
10月10日(金) 横浜 ● 4-3
10月11日(土) 横浜 ● 5-4
10月12日(日) 中日 ○ 4-1
10月18日(土) 中日 ● 0-2 クライマックスシリーズ 第1ステージ 第1戦
10月19日(日) 中日 ○ 7-3 クライマックスシリーズ 第1ステージ 第2戦
10月20日(月) 中日 ● 0-2 クライマックスシリーズ 第1ステージ 第3戦 敗退
成績
通算打撃成績
通算:6年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 75 | 143 | 124 | 23 | 28 | 3 | 1 | 1 | 5 | 4 | 5 | 0 | 8 | 6 | 29 | 2 | .226 | .304 |
関連動画
関連項目
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