概要
高校卒業後出版社に勤務していたが東宝教育映画に入社し、助監督や制作進行をしながら数々の東宝作品に参加し『馬喰一代』で監督デビューする。
その後平山亨プロデューサーが担当する特撮テレビ映画の監督を手がけるようになり『悪魔くん』や『ジャイアントロボ』や『キャプテンウルトラ』などの作品に携わった。
それから『仮面ライダー』政策のため立ち上げられた東映生田スタジオの東映映像企画代表取締役に就任し中心監督として活躍し、その後も昭和仮面ライダーシリーズやスーパー戦隊シリーズの多くの作品に参加しベテラン監督として長きに渡り第一線で活躍する。
だが還暦を迎えた頃に嗌にガンが見つかり、ローテーションしていた作品から離脱することになり、一年のブランクの経て復帰したが『超獣戦隊ライブマン』を最後に自ら引退し、1995年8月25日嗌頭癌のため亡くなった。
作風
- 『仮面ライダー』で仮面ライダーに倒された怪人が最後に爆発する描写を初めて用いた。
- ミニチュアの爆発が好きで、脚本に書かれてなくても爆発を入れていた。
- ロケハンに熱心で、暇さえあればロケで使えそうな場所を探していた。
主な担当作品
関連動画
関連商品
関連項目
- 0
- 0pt