概要
自衛隊出身で、ウエイトリフティングをやっていたが、関本大介に憧れて大日本プロレスに入団。
2008年6月にデビューすると、瞬く間に大日本のストロング部門の主軸となり、関本の正パートナーとしてタッグ戦線に躍り出る。2010年に東京スポーツ制定プロレス大賞新人賞を授賞。
2011年に入ると関本と共に全日本プロレスに参戦開始。結果を残すのには時間はかからず、3月21日・両国国技館大会でアジアアッグ王座を奪取。同年のプロレス大賞最優秀タッグチーム賞を授賞。2012年にはシングルでチャンピオンカーニバルにも出場。
大日本プロレス内では2009年に関本大介と、2012年には忍と組んでBJW認定タッグ王座に就く。
2013年6月15日、大日本横浜にぎわい座大会にて平田一喜とのシングル戦に勝利。このとき平田はDDTのKO-D無差別級王座に挑戦できる「いつでもどこでも挑戦権」を持っていたが、岡林の勝利により挑戦権が移動。7月21日DDT後楽園大会にて入江茂弘に挑戦するも敗れてしまう。
2014年1月にはプロレスリングNOAHにも初参戦したが、同月のドイツ遠征で肩を負傷。全治1年の長期休場を余儀なくされる。
プロレス以外では「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の企画「笑ってはいけない」シリーズに2回出演し、松本人志ら5人を笑わせている。
得意技
ウエイトリフティングで鍛え上げた肉体から繰り出す、パワー殺法を得意とする。だが、関節技やグランドレスリングには弱い一面もある。特に大日本きってのテクニシャンである石川晋也には、イップスかと言いたくなるくらい弱い。
- ラリアット(関本は右腕を使うのに対し、岡林は左腕を使うょ
- アルゼンチン・バックブリーカー(その状態のままジャンプしてダメージを倍増させる事も)
- ゴーレムスプラッシュ(主なフィニッシュホールド)
- オクラホマスタンビート
- ブレーンバスター
- パワーボム
エピソード
- 旧入場曲はGamma Rayの「Heading for Tomorrow」。現在はオリジナル曲の「Angry Golem」を使用している。
- 2歳のときにはもう、10kgあるミカン箱を隣の部屋まで運ぶ怪力ぶりを発揮していた。
- 子供の頃は3回死にかけたという。最初は寝ていたときに外の七輪で魚を焼いていた煙を吸いこんで一酸化炭素中毒になったというもの。次はカレーライスを食べているときにジャガイモをのどに詰まらせたというもの。のどにモノを詰まられることは5回以上あったという。
- いとこに宮城野部屋の力士がおり、父親が監督をしていたため小学校ではわんぱく相撲をしていた。最初は嫌々だったが、小学3年生からは面白く感じるようになり、県大会で3位に入賞する。ことのき優勝したのは限・豊ノ島である。
- とはいうものの、髷を結うのがかっこ悪いと思っていたので力士になるつもりは皆無だったとか。
- プロレスとの出会いは、かくれんぼをしている最中、焼却炉の中で見つけた週刊プロレスが最初。当時は民放が3曲しかなくてテレビではプロレスが観られず、ビデオでアメリカンプロレスを見まくっていた。
- 中学生時代は柔道ばかりで全く勉強しておらず、最後の頼みの私立高校にギリギリ合格するも、そこでも勉強せずに留年してしまう。
- ちなみに高校入試で解けた問題は「ここにマッチが三本あります。ここからマッチを一本取ったら何本になりますか」というものだったという。岡林は素直に「二本」と解答したと語っている。
- 高校時代、先生から「何か部活をやって、授業中寝ずにいたら卒業させてやる」と言われて入ったのが、後のバックボーンとなるウエイトリフティング部だった。
- 高校3年のとき、国体で全国3位となる。大学からスカウトも来て、最初は進学も考えていたが自衛隊体育学校からの勧誘(重量挙げの世界では知らぬ人はいない、三宅義行氏も欲しがっているというもの)に乗って自衛隊入りする。
- ところが、三宅氏云々は勧誘の口実で、最終的には体育学校に進めたものの最初は姫路駐屯地に配属された。
- 体育学校在籍中、練習中は全日本選手権の記録をクリアできるほどの力を発揮していたが、いざ本番になるとケガなどで本領を発揮できずじまいだった。
- 体育学校をクビになって部隊に配属されたとき、偶然手にした週プロに関本大介(関本のプロレス入りが当時、テレビのニュースで流れていてそれで知っていた)が載っているのを見て、プロレス熱が再沸して、大日本プロレスに入門する。
- 口ぐせは「ピッサリ」。主な意味は「気合い」だが、あらゆる局面で使われるある種の万能語と化している。
- あのバラモン兄弟をして「お前の目は純粋な少年の目をしてて怖えーよ!」と怖れられている。
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関連項目
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