概要
名古屋市の北西部にある典型的な郊外にある市である。名鉄で名古屋駅まで最短11分程の近距離(運賃700円)でベッドタウンでもある。ちなみに愛知県で最も面積の小さい市(10.78平方キロメートル)であり、日本でも10番目である。市の面積が狭いため生活に必要な施設が集中しており、自転車で全域を回れるという。市内には岩倉駅、大山寺駅、石仏駅の三つの駅があり、名古屋空港へのアクセスが容易。
市のマスコットキャラクターに「い~わくん」がいる。五条川の妖精という設定で、男の子である。モチーフになっているのは、のんぼり洗いの幟。岩倉市及びい~わくんのテーマソングとして「いわくらだいすきい~わくん」があり、市のイメージビデオや防災無線なとで聴く事ができる。岩倉市役所の保留音にも使われている。
「いわくらしやすい」を標榜に掲げており、子育て支援の充実に注力。子供が生まれる前から助産師や担当保健師の助言を受けられる体制を確立。市内には14ヶ所もの保育施設が存在し、未就学児への教育も熱心に行っている。保育施設から離れた場所に住んでいる家庭には、くるくるい~わ号という送迎バスが送り迎えをしてくれる。登録制だが、乗り合いバス(のり愛い~わ号と呼称)が運行されており高齢者や妊婦の移動を助けている。
市内では岩倉武将隊なるボランティア団体が組織されている。よくある武将隊と違って市役所や商工会議所からの支援は一切受けておらず、身銭を切ってイベントを開催したり市内の清掃活動を行ったりしている。
歴史
弥生時代ごろから人が住んでいたのか市内には古墳や遺跡が点在する。戦国時代では織田氏が守護代として治めていたが内紛により分裂。岩倉織田と清洲織田に分かれ、1478年から支配権を巡って対立していた。同時期、織田敏広によって岩倉城が築城された。やがて内紛が終わり、織田敏広が岩倉城の城主となって尾張北部を治世した。そのため織田氏ゆかりの地でもあり岩倉城跡は市の史跡に指定されている。しかし清洲織田氏の中から織田信長が現れ、1555年に清洲城の城主となる。岩倉城の城主・織田信安や信賢と対立し、両者の関係は修復不可能となる。1558年、尾張の統一を果たすべく信長は岩倉織田を攻撃。翌年、岩倉城は落城し、岩倉織田は滅亡。信長の手で尾張が統一された。
妻の内助の功で戦国大名に出世した山内一豊の出生地で、岩倉市もそれをPRにしている。岩倉城落城の際、15歳だった一豊は何とか落ち延びた。その後、織田信長に仕えた。
江戸時代から山車夏祭りが行われ、市内を巨大な山車が巡航する。
1892年、岩倉村から岩倉町へ昇格。1906年5月1日、周辺地域との吸収合併により現在の岩倉市とほぼ同じ地域となる。大東亜戦争末期、名古屋がB-29の爆撃の標的になったため丹羽郡岩倉町へ学童266名の集団疎開が行われている。1971年12月1日、岩倉市となり現在に至る。
戦後は名古屋の近距離にある事からベッドタウンとして発展したが、まだまだ田舎である。
名物、観光地
岩倉市内は五条川が流れており、ここでののんぼり洗いや日本さくら名所100選の桜の並木が知られる。7.6kmに渡って伸びる五条川の両岸には約1400本の桜が軒を連ねており、毎年4月に岩倉桜祭りが開催される。また、江戸時代から約400年続いている山車曳きが夏に行われている。
岩倉史跡公園や前述の岩倉城など史跡も多い。かつては養蚕も盛んであった。余談だが養鶏が盛んで、ゆで卵の生産数日本一である。そして、全国にファンがいる名古屋コーチンの本場であり、名古屋コーチンを使ったすき焼き「ひきずり」が名物料理。
日本ヨーヨー連盟本部の所在地でもある。そのため、現在「ヨーヨーの町」として町おこしを行っている。
そのため、市のゆるキャラであるい~わくんをあしらったヨーヨー(ヨーヨーファクトリー・ONE)が市役所内で販売されている他、岩倉市と地元企業2社によるコラボレーションヨーヨー(リワインド・サクラストリーム)が開発されている。
出身有名人
- 大島忠一(元プロ野球選手)
- オスカル智(元プロレスラー)
- 加藤鯛一・勘十(左翼活動家)
- 柴本浩行(声優)
- 夏すみれ(プロレスラー)
- 川村知砂(元アイドル)
- 三居弘典(ヨーヨーマスター)
- 山内一豊(戦国武将)
- aiueo700(YouTuber)
- 月居優弥(集スト相談センター代表、Youtuber)
- 岩倉サンタ(外国人YouTuber)
- 松田旦哲(プロ野球選手)
関連動画
関連項目
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https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E5%B2%A9%E5%80%89%E5%B8%82