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岩嵜翔(いわさき しょう、1989年10月21日-)とは、千葉県出身のプロ野球選手(投手)である。現在は中日ドラゴンズに所属。
苗字の「さき」は「嵜」が正しいが、新聞などでは「岩崎」と書かれる。
概要
中日ドラゴンズ #16 | |
---|---|
岩嵜翔 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県船橋市 |
生年月日 | 1989年10月21日 |
身長 体重 |
189cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2007年高校生ドラフト1位 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
市立船橋高校では3年夏の県大会で7回ノーヒットノーランを達成するなどして甲子園に出場。甲子園では初戦敗退に終わった。
2007年の高校生ドラフトにおいて中田翔を外した福岡ソフトバンクホークスと佐藤由規を外した中日ドラゴンズが外れ1位で競合し、抽選の結果、福岡ソフトバンクホークスに入団。背番号41。
ソフトバンク時代
2008年(1年目)から二軍で12試合に登板し防御率1.93と好成績を残し、ファーム日本選手権ではMVPを獲得。一軍でも初登板初先発を任され3回3失点に終わったが、将来の右腕エースとして大いに期待される。
2010年は一軍の先発不足もあって、ローテーションの谷間で5試合に先発したが、0勝3敗の防御率8.06とその後は伸び悩んだ。オフに大場翔太と共にプエルトリコのウィンターリーグに派遣され、ツーシームを覚えたことで覚醒。最多勝、最優秀選手賞、ベストナインを獲得し、チームの監督から「プレーオフのときには戻ってきてくれ」と懇願される。
2011年、開幕ローテーション入りを果たし、4月17日の埼玉西武ライオンズ戦に先発。6回途中2失点に抑え、打線も8点を奪い待望の初勝利かと思いきや、リリーフ陣が揃って失点し9回に同点に追いつかれたため白星は幻と消えた。3試合目の5月13日の西武戦で6回2失点に抑え待望のプロ初勝利。ヒーローインタビューでは男泣きと共にホークスのエースとなることを宣言した。セ・パ交流戦中は日程の関係で登板機会がほとんど無かったが、交流戦後は再び先発ローテーションに入り、7月28日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で奪三振0でプロ初完封勝利を達成(55年ぶり)。その後は西武戦と楽天戦に優先して起用され、マジック1で迎えた10月1日の西武戦で7回無失点の好投を見せリーグ2連覇を決める勝ち投手となるなど、最終的に13試合に先発し6勝2敗、防御率2.72の好成績を残した。
2012年は熾烈な開幕ローテーション争いにギリギリで勝ち残り、開幕2戦目に先発して7回2失点で白星を挙げる。しかしその後は9回1失点完投負けなど無援護に泣かされるうちに調子を落とし黒星が先行。セ・パ交流戦では一旦ローテーションを外れて中継ぎに配置転換された。リリーフで好投したため交流戦明けから先発に戻るが、やはり無援護で黒星が続き、その後は中継ぎと先発を行き来した。最終的に29試合に登板(先発16試合)で5勝10敗3ホールド、防御率3.14という成績に終わった。
2013年から背番号が21になる。この年は開幕からリリーフとして起用され、前半戦は好調で主にセットアッパーを任され、6月下旬まで防御率1点台を記録。オールスターにも出場を果たしたが、ブライアン・ファルケンボーグの離脱で一時的に抑えを任されたあたりから調子を崩し始め、さらにチームの先発陣が壊滅状態だったため7月から先発に復帰。しかし先発では5試合で0勝4敗と結果を出せなかった。中継ぎに戻ったが調子は戻らず、後半戦は一軍と二軍の往復になった。最終的に47試合に登板、1勝4敗2セーブ14ホールド、防御率4.33。
2014年は開幕を二軍で迎えたが、5月に一軍昇格。5月15日の千葉ロッテマリーンズ戦でライバルの唐川侑己に投げ勝ち、地元千葉でようやく勝利を挙げた。夏場に故障者の都合で中継ぎに配置転換された。クライマックスシリーズ、日本シリーズでは無失点と好投し、日本一に貢献した。
2015年は一軍では6月に1試合先発(3回4失点KO)しただけで二軍落ち。9月に再昇格した後は中継ぎで投げたが、最終的に8試合で1勝2ホールド、防御率6.75という成績に終わる。二軍ではローテーションを務め10勝2敗、防御率1.66という成績で優勝に貢献、ファーム日本選手権で8回途中無失点の好投で2008年以来2度目のMVPを受賞した(ファーム日本選手権のMVP2度受賞は史上初)。オフに背番号を17に変更した。
2016年は主にロングリリーフとして好投。6月の終わりからチーム事情で先発に回され、7月7日のオリックス・バファローズ戦で5年ぶりに完封勝利を挙げた。それ以降は先発と中継ぎをいったりきたりで起用法が安定しない中、35試合(先発7試合)で4勝2敗9ホールド1セーブ、防御率1.95の好成績を残した。
2017年は開幕から8回担当のセットアッパーに定着。守護神のデニス・サファテとともにシーズンを通してフル回転し、やたらと接戦ばかりのチームにおいて6回終了時点でリードしていれば勝率9割5分以上という異次元の数字を叩き出す原動力となった。最終的にリーグ最多の72試合に登板、6勝3敗40ホールド2セーブ、防御率1.99の成績を挙げ、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。
2018年は前年のフル回転の影響か、開幕直後に右肘痛で戦線離脱。右肘鏡視下滑膜切除術・関節形成術を受け、その後のシーズンをほぼ棒に振った。10月にはさらに再手術を受ける。
2019年は前年の手術のリハビリを経て7月に実戦復帰。8月に一軍昇格し507日ぶりの一軍登板を果たすが、2試合投げただけで抹消され、その後は一軍に戻れずシーズンを終えた。
2020年は3年ぶりに開幕一軍入りしセットアッパーを務めるも、炎上が続いて防御率が15点台まで悪化し7月上旬で二軍落ち。二軍で先発登板などの調整を経て10月に一軍復帰後は、11試合9回1/3で2失点と復調して7回担当のセットアッパーに戻り、シーズン終盤のリリーフ陣を支えた。開幕当初の大量失点が響いて防御率は7.20に終わったが、17試合で0勝2敗10ホールドの成績を残した。
2021年は開幕からセットアッパーを務めていたが、森唯斗の長期離脱、さらに代役のクローザーをしていたリバン・モイネロが東京五輪予選のために5月下旬でチームを離れたため、クローザーを務めることになる。東京五輪でのリーグ中断までは抑えていたが、リーグ再開後に2試合続けて炎上、右肘の張りを訴えて登録抹消。短期間で戻ってきてからは7回担当セットアッパーに戻ったが安定感を欠き、10月5日の楽天戦で炎上したのを最後に二軍落ちしてシーズンを終えた。
中日時代
2021年オフ、FA移籍してきた又吉克樹の人的補償として中日ドラゴンズに移籍。奇しくもドラフト時の競合先への移籍となった。背番号16。
2022年は3月26日の読売ジャイアンツ戦で登板したが、先頭のグレゴリー・ポランコに四球を与えた後で右肘に違和感を覚えたことで降板。右前腕屈筋損傷と診断されリハビリを行っていたが、9月26日に手術を受けた。オフに育成選手となった。背番号は203。
2024年は開幕から二軍で登板し、6月4日に支配下選手となった。背番号は16。21試合に登板し1ホールドだった。
プレースタイル
斉藤和巳を彷彿とさせる投球フォームで、2011年の本人の宣言通り右のエースへの成長が期待されていたが、走者を出すと途端に不安定になるメンタル面の弱さなどから伸び悩むシーズンが続いた。2017年にようやくセットアッパーとして開花したが、その後は怪我に苦しんでいる。
直球の最速は156km/h、変化球はスライダー、スローカーブ、チェンジアップ、フォークを投げる。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
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ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧#1111 | 12526 | ![]() |
成績
年度別投手成績
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008年 | ソフトバンク | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 3.0 | 0 | 1 | 3 | 3 | 9.00 |
2009年 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 4.1 | 1 | 1 | 5 | 3 | 6.23 | |
2010年 | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 22.1 | 9 | 9 | 21 | 20 | 8.06 | |
2011年 | 13 | 13 | 2 | 1 | 6 | 2 | 0 | 0 | .750 | 79.1 | 22 | 33 | 27 | 24 | 2.72 | |
2012年 | 29 | 16 | 2 | 0 | 5 | 10 | 0 | 3 | .333 | 120.1 | 27 | 77 | 46 | 42 | 3.14 | |
2013年 | 47 | 5 | 0 | 0 | 1 | 4 | 2 | 14 | .200 | 68.2 | 14 | 54 | 39 | 33 | 4.33 | |
2014年 | 18 | 9 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 3 | .800 | 62.0 | 15 | 37 | 32 | 28 | 4.06 | |
2015年 | 8 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 10.2 | 4 | 5 | 8 | 8 | 6.75 | |
2016年 | 35 | 7 | 1 | 1 | 4 | 2 | 1 | 9 | .667 | 87.2 | 17 | 61 | 22 | 19 | 1.95 | |
2017年 | 72 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 2 | 40 | .667 | 72.1 | 16 | 66 | 16 | 16 | 1.99 | |
2018年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 2.0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0.00 | |
2019年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 2.0 | 1 | 2 | 1 | 1 | 4.50 | |
2020年 | 17 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 10 | .000 | 15.0 | 6 | 20 | 12 | 12 | 7.20 | |
2021年 | 48 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 6 | 14 | .286 | 45.1 | 11 | 56 | 21 | 21 | 4.17 | |
2022年 | 中日 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 0.0 | 1 | 0 | 1 | 1 | -.-- |
2024年 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .--- | 20.0 | 11 | 18 | 14 | 13 | 5.85 | |
NPB:16年 | 321 | 58 | 5 | 2 | 30 | 33 | 12 | 97 | .476 | 615.0 | 155 | 442 | 268 | 244 | 3.57 |
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関連項目
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