「岩谷徹」(いわたに とおる)とは、日本のゲームクリエイターである。
彼が手掛けた「パックマン」は”最も成功した業務用ゲーム機”としてギネス・ワールド・レコーズに認定されており、2010年には岩谷徹自身もパックマンの開発者としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。
概要
1955(昭和30)年1月25日に、NHKの技術者を父に持つ3人兄弟の末っ子として生まれる。
生誕・出身地は東京都目黒区だが、父の仕事の都合で幼少期に東北地方で過ごし、中学生の頃に東京に戻った。
東海大学工学部を卒業し就職したナムコには、ピンボールゲームをつくりたくて入社したものの、ナムコはピンボールには参入しておらず、ゲーム基盤の修理や知的財産権の管理業務をこなした後の1978年に、ビデオゲーム開発を担当する事となった。
ビデオゲーム開発では、長年開発を心待ちにしていたピンボールの要素を、当時大流行していた「ブロック崩し」に取り入れたナムコのアーケードゲームタイトル第1弾「ジービー」を開発(ゲームデザイン・グラフィック)し、日本国内だけで1万枚以上の売り上げを記録し、「ジービー」の続編にあたる「ボムビー」や「キューティーQ」を開発した。
1980年には、自身のそしてナムコの代表作となる「パックマン」を、舟木茂雄や甲斐敏夫ら3人と共に開発(ゲームデザイン・グラフィックを担当)した。
当時としては非常に珍しい「女性向け」をコンセプトにしたパックマンは、カラフルな色使いと「食」をテーマにした内容のドットイートゲームで、モンスターそれぞれに個別の思考ルーチンを仕込んで取り囲まれそうになりながら逃げるゲーム性を追及し、開発中にゲーム速度を変更してみたところ、速いほうが面白いという事になり、リリースされた際は、当初の2倍の速度でゲームが動いているといった内容だった。
日本ではふるわなかった「パックマン」だったが、北米市場で28万台リリースの大ヒットを記録し、TVアニメが制作される等「80年代のミッキーマウス」とまで呼ばれる程の大ブームを巻き起こし、数百億の売り上げを記録して、2005年には「最も成功した業務用ゲーム機」としてギネス・ワールド・レコーズに認定された。
1983年には、地面に釘を刺して陣地を奪い合う遊びをヒントにした芋を盗む敵を取り囲んで倒すゲームを原型に、ツインレバーという特殊な操作方法を用いて、北米向けにミッドウェイに持ち込んだ際に
良い作品ではあるが、良い商品ではない
と評された名作「リブルラブル」のゲームデザインとプロデュースを担当した。
「リッジレーサー」「アルペンレーサー」「タイムクライシス」のプロデュースを手掛けた。
現在は、大学教授として教鞭をとりながらゲーム開発に関する講演活動や、
といったプレイヤーが面白いと思うポイントや「観察」する事の重要性、作り手の人生観が与える影響の大きさゆえに、クリエイターを目指すならば、ゲーム以外の事にも挑戦して幅広い視野と経験を持つ事等を語って、後進育成に尽力している。
関連動画
関連項目
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関連リンク
- 【外部】Pacman, Original Pac Man, Pacman Online - パックマン ウェブ
- 【外部】ITmediaニュース:パックマンがギネス入り 「最も成功したゲーム」
- 【外部】パックマン生みの親もギネス認定 - ITmedia News
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