島左近とは、日本の戦国時代の武将である。
左近は通称であり本名は清興(きよおき)、勝猛(かつたけ)とも。
概要
大和国出身(対馬説もあり)で、畠山家・筒井家に仕える。
筒井家の重臣として「左近右近」と称された(右近は松倉右近重信)。
主君・筒井順慶の死後浪人、その後石田三成に仕える。
俸禄4万石の三成が2万石で召抱えたという逸話もあるが、定かではない。
三成に優遇されたことは間違いなく「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近に佐和山の城」と謳われている。
関ヶ原の合戦では一軍を率いて奮戦するが敵の銃撃に合い討ち死にしたと伝わる。
ただし、左近の首も遺骸もみつかっておらず生き延びたとする説もある。
隆慶一郎の歴史小説『影武者徳川家康』では関ヶ原合戦後も生き延び重要人物の一人として登場する。
ニコニコ動画における島左近
ゲーム等では猛将として設定されており、また義の人であるためプレイ動画でもよく登場する。
主君・石田三成、三成の親友・直江兼続、傾奇者・前田慶次、日ノ本一の兵・真田幸村との5人で
「義レンジャイ」と呼ばれているとかいないとか。
戦国大戦
「男なら、腹をくくれ!」
Ver1.1で織田家として参戦。なおVer1.20現在石田三成を差し置いての参戦。
とは言え筒井順慶が同じVerで織田家に出ているので、彼の部下としての参戦なのだろう、多分。
織田家の騎馬隊としては武力7統率7無特技は高い方(織田家の騎馬隊は数が少ない上に武田と比較すると見劣りする)だが、Ver1.2で気合を引っ提げて帰ってきた鬼玄蕃こと佐久間盛政と同コストというのが災いし出現率は下がった。当時は今孔明4枚も主流デッキだったが単色の騎馬は鬼玄蕃が採用される事が圧倒的に多かった。左近ェ…
計略の「奇襲」は、相手から特定状況以外で見えなくなる忍状態になり、更に隠れている間は徐々に武力が上がる長時間計略。ただ騎馬隊は突撃するとどうしても忍状態は解除しなくてはならないため、今一噛み合っていない。
これが全体化したのが島津家久の「釣り野伏」である。
なお高山右近で有名な高山重友と比較すれば大分マシな扱い(スペック的な意味で)。
関連動画
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関連項目
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