川田利明とは、日本のプロレスラーである。通称デンジャラスK。
入場テーマは、『フットルース』、『Holy War』(全日本プロレス所属時)、ドヴォルザークの「交響曲第9番」(全日本プロレス離脱以降)。
概要
足利工業高等学校卒業後に全日本プロレスに入団、同高校には先輩で三沢光晴がいる。
本来は中学卒業時点で新日本プロレスのプロテストには合格していたが、周囲が高校までは通っておけと言われたため、入団は断念したとワールドプロレスリングの特集での蝶野との対談の際に話している。
全日本プロレスにおいて1982年に対冬木弘道戦でデビュー、若手時代は天龍源一郎や冬木弘道らと組むことが多かった。1990年天龍源一郎や冬木弘道ら選手達がSWS移籍の為の大量離脱後を支え、三沢光晴、小橋建太、田上明とともに四天王と称された。三沢がタイガーマスクから元の素顔に戻る際、彼のマスクの紐を解いたの川田で、後に三沢が三冠を奪取した後の超世代軍同士の三冠戦以降は、90年代の全日本の名勝負として今でも語り継がれる試合を三沢・ハンセン・小橋らと行っている。
後に全日本やノアで活躍する高山善廣との対戦を最初にしたのも川田である。
寡黙で無骨な、冗談の通じないキャラクターだが、後にそれは作ったキャラであったと表明している。
全日本の経営陣との不仲から、三沢・小橋等の大量離脱後は日本人所属レスラーとしては淵正信とともに残留し、新日本プロレスと対抗戦を行うなどし存在を示した。全日本プロレス社長が武藤敬司に交代したのち全日本プロレスの所属を離れハッスルなどに参戦。以降はフリーとして活動していた。この時にG1-CLIMAXで蝶野正洋とも対戦しており、全日本の四天王の中では唯一シングルで闘魂三銃士達と対戦している選手となる。
高齢化の進むプロレス界においては未だリングで活躍できる年齢だが、何らかの病気によって体調を崩しており、病院通いを避けられない状態に陥っていた。実際川田が38歳の時、膝の手術を行った際には原因不明のウイルスによって臓器のほとんどが機能せず、臨死状態になったと後の天龍との対談で語っていた。
そのため、現在は東京都世田谷区で経営しているラーメンとから揚げの店「麺ジャラスK」に専念しており、リングからは遠ざかっている状態である。プロレスラーとして引退こそはしていないが、現状ほぼ引退状態であり、プロレスの舞台に上がっていないのはやはり三沢の急死からどんどんやる気というのが見えなくなったと語り、今ではほぼトークショウや他の選手の引退試合の客賓などでしかプロレスの会場では見かける事はなくなった。
2022年1月現在、自身のお店は営業をしており、コロナ禍の中Twitterなどで営業情報を発信している。お店はカレー風味鳥白湯ラーメンをはじめ、川田自身がおすすめする唐揚げや季節の料理などなんだかんだで10年以上お店を続けている。
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関連項目
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