常石勝義とは、JRA(日本中央競馬会)に所属していた元騎手である。
概要
1996年中尾正厩舎所属騎手として3月にデビュー、同期には福永祐一、和田竜二、細江純子、増沢由紀子(旧姓・牧原)柴田大知・未崎兄弟たちがいる。
初騎乗は3月2日の自厩舎でのタニノレセプションで16頭立ての7着だったが、連闘で挑んだ3月10日に初勝利した。8月までに12勝と順調に勝利を重ねていたが、8月4日に落馬事故で脳挫傷を起こし一時意識不明の状態に陥るが、1997年に復帰し小倉3歳ステークスをタケイチケントウで重賞初制覇を果たした。
その後2003年に中山グランドジャンプをビッグデーストでJ・G1)を勝利し、夏の新潟で関屋記念をオースミコスモで勝利した。しかし2004年の8月に小倉競馬場の障害レースで再び落馬、脳挫傷、外傷性くも膜下出血などで重体になり1か月ほど意識不明だった。
懸命な治療などもあって2005年には木馬に騎乗しその後3年間の期間を要して騎手としての復帰を目指していたが、2度目の落馬による脳挫傷等で左半身の麻痺や記憶障害等も患い、高次脳機能障害の診断を有する事になり、騎手免許の更新の規定によって2007年2月に引退となった。
騎手としての成績は怪我等もあり、1503回の騎乗で82勝(重賞3勝)であった。
引退後もしばらくは生活習慣は体が覚えていて、朝4時の起床、散歩としてトレセンまで2時間歩いていた。
競馬の取材や解説などをして1年経ち気持ちも落ち着いたが、それでも馬に乗りたいという気持ちがあった。2013年に馬術を始めたところ、タイミングよく一つの転機が訪れる。
パラリンピック選手を目指して
2013年の9月に2020年に東京でオリンピック・パラリンピック開催決定のニュースが伝わると、常石は「これに出たい」と母親に話し目標ができた。
リハビリでマラソンもしていて、幾分かは麻痺も和らいでいた。
馬術のパートナーの性格を知るうえで騎手時代の経験が役立っているという、その一方で騎乗スタイルは騎手時代の癖を体が覚えていて騎手としての前傾姿勢から、馬術としての美しさの騎乗フォームへの変化に苦労している。
また幾分かは和らいだとはいえ麻痺の影響で馬へのコースの指示や、記憶障害の影響でコースが覚えにくい等なかなか思い通りにはいかないが、それでも出たいという目標で続けている。
馬との関係も騎手時代の「共に・対等」という間柄のパートナーから、麻痺でうまく指示できなかったり記憶障害でコースに迷いが生じても、馬が「フォロー」をしてくれるパートナーへと馬術で変化したとインタビューで語っている。
1週間のうち半分はトレーニングをし、2019年にはドイツまで行ってトレーニングもした。
パラリンピックに出るための標準記録62%以上の得点にはまだ足りないものの、周りの人たちから必ずとれると言われ代表選考を目指し、2020年3月までにクリアできるように励んでいる。
パラ馬術には障害の重さからパラ馬術グレード1~5までランクがあり、演技内容等に違いがある。常石勝義はグレードの3である。
その傍ら競馬の取材もしていて、netkeiba.comで2012年から現在もコラムをも書いている。
常石勝義が見つけた競馬の職人(netkeiba.comコラム)
新型コロナウイルスの影響で2021年に延期になったパラリンピックであったが、常石勝義は出場枠には入ることはできなかった。その選ばれた代表の一人は同じく元JRA騎手で藤懸貴志と同期の高嶋活士が選出の一人だったりする。
パラリンピックの出場は叶わなかったが、2022年の世界選手権に向けてチャレンジをするとの事である。
「せっかくもらった命」元JRA騎手・常石勝義さん、聖火に込めた情熱と決意(netkeiba.com)
2021年になりnetkeiba.comで新コラムを執筆するようになった。
元JRA騎手 常石勝義の『日々是好日』(netkeiba.comコラム)
関連動画
第6回中山グランドジャンプ
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関連項目
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