平井卓也とは、日本の政治家である。衆議院議員(香川1区選出、当選6回)。自民党所属。
概要
四国新聞および西日本放送のオーナーとして県内のメディアを牛耳り、三代続けて国会議員を輩出している香川県屈指の名門一族・平井家の御曹司。平井太郎元郵政相の孫、平井卓志元労相の長男、富田信夫元中京銀行頭取の甥、平井二郎香川証券会長・平井延幸テレビ愛媛社長の従甥、平井龍司四国新聞社CEOの兄にあたる。
電通マンを経て29歳の若さで父・卓志から西日本放送社長の座を受け継ぐと、1996年には新進党から総選挙に出馬。この時は苦杯を嘗めたが、続く2000年の総選挙で無所属ながら初当選を飾ると、「加藤の乱」後の論功行賞で自民党入党を認められる。以後4期連続で当選し、現在は自民党香川県連会長を務める。
メディア業界の出身者ということから党内では広報・メディア対策関係の役職を任されることが多く、2010年9月から2013年10月まで自民党ネットメディア局長兼自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)代表として、J-NSC会員(いわゆる「ネトサポ」)を統率しながらネット上での情宣活動を取り仕切っていた。
自民党の中堅・若手議員の有望株の一人とみなされており、いわゆる大臣待望組の中でも近い将来の入閣有力候補として名を挙げられるなど順風満帆な政治家人生を歩む一方、最近は平井家の後継者候補である二人の息子たちの不行跡とそれによる自身のイメージ悪化に頭を悩ませる日々が続いている。
経歴
平井家の御曹司として
元々平井家は曽祖父・実の代から実業家として知られていたが、その家格を飛躍的に高めたのが祖父・太郎である。太郎は戦前に土建屋「玉藻組」を起こすと、軍部との太いパイプを生かして飛行場や造兵廠の建設を受注し、戦後はキャバレーや映画館の経営にも乗り出すなど実業家として成功を収め、平井家繁栄の基礎を築き上げた。
その後1950年の参院選全国区に吉田自由党から出馬し初当選を飾ると、1955年の自民党結成に参加。1956年の参院選からは香川県選挙区に転出して当選を重ね、参議院議員を4期23年務めた。これと並行して1953年にラジオ四国(現在の西日本放送)を設立し、四国新聞社の社長に就任するなど、県内メディアの掌握にも努めた。
太郎は男子に恵まれなかったため、秘書の穴吹卓志を長女の娘婿として迎え入れ、自身の後継者とした。1973年12月に太郎が亡くなると卓志は四国新聞社社長の職を引き継ぎ、さらに翌月の補欠選挙で当選して参議院議員の職も引き継いだ。議員としては5期24年在職し、1998年に引退している。
卓也はこの卓志の長男として、祖父・太郎が未だ健在だった1958年1月25日に生まれた。
政界への道
高松一高から上智大学外国語学部に進み、卒業後は広告代理店最大手の電通に入社した。1987年11月、父・卓志の後を襲い若干29歳にして西日本放送社長の座に就く。
1995年2月、自民党香川県連会長を務めていた卓志は突如として新進党への移籍を表明、党を除名される。表向きは小沢一郎が掲げていた保守二大政党制の理想に共鳴しての移籍とされているが、小選挙区制の導入に伴い総選挙で卓也が自民党の公認を得られる見込みが無くなったことも移籍の理由にあったと指摘されている[1][2]。
父と共に新進党に入党した卓也は、翌1996年の総選挙で同党の公認を受け香川1区から出馬する。当選すれば親子揃って国会議員となるところだったが、自民党現職の藤本孝雄に敗北、人生初の挫折を味わう。新進党が崩壊すると卓志は小沢率いる自由党に参加したが、小政党では一人区の香川県選挙区で勝つことは難しいとの判断から、1998年の参院選出馬を断念、政界を引退した。これにより国会から平井家の議席は失われることになった。
失地回復を目指す卓也は続く2000年の総選挙に同じく香川1区から無所属で出馬。加藤紘一率いる宏池会が党公認の藤本(番町政策研究所所属)を無視して応援に回ったことや、民主党・自由党が独自候補を立てず相乗りする構えを見せたこともあり、約1万4000票差で藤本を破り雪辱を果たした。
自民党入党
当選後は保守系無所属会派「21世紀クラブ」に身を置きつつ、「加藤別働隊」と呼ばれた自民党の議員グループ「明日を創る会」にも参加していたが、ほどなくして加藤は森内閣に対する倒閣クーデター(加藤の乱)を起こす。
平井は自民党執行部の切り崩し工作に応じ、宏池会の少なからぬメンバーと共に加藤を見限って森内閣不信任案に反対票を投じた。加藤の乱は失敗に終わり、総理総裁の有力候補とみなされていた加藤は失脚。これを機に中道派の名門・宏池会は分裂・弱体化し、代わって右派の清和政策研究会が自民党内を掌握していくことになる。
乱後の論功行賞で平井は自民党入党を認められ、香川1区の公認枠も彼のものとなった。以後2003年の総選挙から現在まで毎回当選を続けている(ただし2009年は民主党の小川淳也に敗れて比例復活)。一方、ライバルの藤本は2003年の総選挙で比例四国ブロック単独16位に回され落選、政界を引退した。
近況
閣僚や党の重要ポストへの起用は未だにないものの、第1次安倍改造内閣から福田康夫内閣にかけて国土交通副大臣を務めたほか、2012年の総選挙後には衆議院内閣委員長に就任している。
2010年5月には江藤拓・西村康稔両衆議院議員らと共に、脱派閥・世代交代を掲げる新グループ「新世紀」を立ち上げたが、今のところ目立った成果は残せていない。また後に国政政党としての日本維新の会の母体となった「道州制型統治機構研究会」にも参加、自民離党かと騒がれたが、結局は自民党に留まることを選んだ。
電通マンを経て西日本放送社長を務めた経歴から党内では広報・メディア関係の役職を任されることが多く、自民党下野後の2009年9月に党広報戦略局長兼IT戦略特命委員長に就任すると、2010年9月には広報本部長代理兼ネットメディア局長に昇進。同時にJ-NSC代表に任命され、自民党におけるネット対策の責任者となった。
ネットでの選挙運動が解禁された2013年の参院選では選挙対策としてスマホ向けアプリ「あべぴょん」を制作・公開し、一定の反響を得た。また安倍首相がフェイスブックを通じて保守的・右翼的なネットユーザーなどと積極的に対話を持っているのは平井の進言があってのことと囁かれている[3]。
その一方、2013年参院選直前のニコ動でのネット党首討論会において他党党首への誹謗中傷コメントを自ら流していたことが発覚して謝罪に追い込まれたほか、同年9月には長男が元女優・二谷友里恵の自宅前で騒動を起こし、インターホンを破壊して逮捕されるなど、自身や身内の不祥事が相次いで発覚している。
2013年10月の人事異動でネットメディア局長およびJ-NSC代表のポストを金子恭之衆議院議員に譲り、自身はIT戦略特命委員長に復帰した。
不祥事
次男の恐喝事件
衆参同時選挙を避けるための総選挙年内実施が囁かれるようになっていた2003年9月、思わぬスキャンダルが平井を襲った。高校3年生になる平井の次男Y[4]が学内で恐喝事件を起こし、退学に追い込まれていたことが週刊文春によってスクープされたのである。
Yは慶應幼稚舎からエスカレーター式で慶應高校に進学していたが、途中で身を持ち崩して不良グループと行動を共にするようになり、学内でも素行の悪さで知られていた。Yらは下級生に因縁をつけてトイレに連れ込み、血が出るまで暴行を加えたり、タバコの火を押し付けるなどして約10万円を脅し取ったという。皮肉なことに金に困った被害者が同様の恐喝事件を起こしたことでYらによる事件も露見し、Yは自主退学に追い込まれた[5]。
平井王朝の後継者候補による不祥事ということで地元でも話題を集める…かと思われたが、このスクープ記事を掲載した週刊文春は香川県内にほとんど出回らなかったという。四国タイムズニュースの取材によると、発売と同時に平井の選挙事務所運動員が県内各所の本屋を訪れ、週刊文春を買い占めて去って行ったとのことである[6]。
同年11月9日に行われた総選挙で平井は民主党公認の小川を約1万6000票差で破り、再選を果たした。
誹謗中傷コメント事件
2013年6月28日、ニコファーレで開催されニコ生で配信されたネット党首討論会において、中継会場にいた平井は自らのスマートフォンからニコ生にコメントを流した。内容は安倍首相に対して「あべぴょん、がんばれ」などと肯定的なメッセージを送る一方で、社民党の福島みずほ党首を「黙れ、ばばあ」と罵り、欠席した日本維新の会の橋下徹共同代表を「橋下、逃亡か?」と揶揄するものだった。
なお平井は2010年5月に放送されたニコ生討論番組「徹底討論!ネット上での誹謗中傷を考える」に自民党を代表して出演していたほか、2013年6月16日付で以下のようなツイートを発信していた[7]。
自民党は他者の批判はせず、自分の政策を丁寧に訴えるのみです。RT @corosanta01 今や権力者である総理大臣や所轄の副大臣が、単なる民間人やNHKをSNSで批判してはいけませんね。 RT @hiratakuc… http://tl.gd/m2fnl8
東京新聞の取材に対して平井は申し訳なかったと謝罪しつつも、「国会のヤジみたいなものだし、(ニコ生の)画面にも流れていなかったはず」と釈明した[8]。
長男の器物損壊事件
2013年9月21日、元女優の二谷友里恵とその夫で「家庭教師のトライ」グループ創業者の平田修の自宅前で、「出てこいよ」などと叫びながら暴れてドアやインターホンを破壊したとして、平井の長男・Xが器物損壊容疑で逮捕されるという事件が起きた。
Xは弟・Yと同じく学生時代にドロップアウトし、高校時代には誰彼構わず殴りかかるような危険な人物として恐れられていた。
Xは平田が所有するバーや平井の影響力が及ぶ店で飲み歩き店の備品を破壊したりするなどの狼藉を重ねていった。
たまりかねた店側がXを出入り禁止にしたところ、事件当日に酩酊状態で店に現れたXは激昂し、「オレは店のオーナー(平田)を知ってるんだ。そいつと話し合う!!」と叫ぶと、店から歩いて数分の場所にある平田邸に向かい、そこで冒頭の事件に及んだものだった[9][10]。
逮捕から5日後に事件が報道されると、平井はブログで関係者に謝罪するとともに、Xは数年前から鬱病の疑いで通院しており、今回の事件は飲酒と服用中の薬の相互作用によって引き起こされたものだと主張した[11]。また同年10月にはXが入院治療を受けていることを明らかにした[12]。
なおこの事件と同時期にタレントのみのもんたが次男の窃盗未遂事件で番組降板に追い込まれており、平井は「自民党のみのもんた」と呼ばれた。ちなみに平井とみの、そしてそれぞれの子供たちには共通点が多い。
- 平井は次男と長女を、みのは長男と次男を、いずれも附属から慶應に通わせていた。
- 平井の次男は高校時代に恐喝で退学となり、みのの次男は高校時代に万引きで停学処分を受けた。
- 平井の次男とみのの次男はいずれも高校時代にドロップアウトしながらも、後に父親と縁の深い一流企業(電通・日本テレビ)にコネ入社した。なおみのの次男はコネ入社であったことをみの自身が明かしている。
- 平井の長男とみのの次男はいずれも刑事事件を起こし、2013年9月中旬に逮捕された。また逮捕時の年齢はそれぞれ30歳・31歳と非常に近かった。
関連動画
関連チャンネル
関連項目
外部リンク
脚注
- *平井代議士の厚顔無恥ぶり - 四国タイムズニュース2003年12月号
- *1994年の小選挙区制導入に伴い、香川県の衆議院議員定数は2選挙区6議席から3選挙区3議席に圧縮された。1995年1月の時点で自民党に所属する香川県選出の衆議院議員は4人おり、全員が再選を目指していたため、卓也が自民党の公認を得て総選挙に出馬することはまず不可能な情勢となっていた。
- *自民党が本気出した安倍首相アプリ 「あべぴょん」制作費は1000万円!!? | 【EXドロイド(エックスドロイド)】
- *週刊文春2013年10月10日号「二谷友里恵宅で30歳の息子が暴れて逮捕された自民党のみのもんた」
- *週刊文春2003年9月11日号「慶応高校を恐喝で退学になった自民党有力二世議員の息子」。なお平井は三世議員であり、二世議員とした記事タイトルは誤りである。
- *幻の週刊「文春」、店頭に現れず - 四国タイムズニュース2003年10月号
- *https://twitter.com/hiratakuchan/status/346416823333449728
- *東京新聞:自民・平井氏ネット党首討論に投稿 福島氏に「黙れ、ばばあ」:政治(TOKYO Web)
- *週刊ポスト2013年10月11日号「深夜『二谷友里恵さん宅』を襲撃して逮捕された自民大物議員の"御曹司"」
- *脚注4参照。
- *私の息子逮捕の報道について - 平井たくや|衆議院議員 自民党IT戦略特命委員長
- *10月15日 第185臨時国会召集 - 平井たくや|衆議院議員 自民党IT戦略特命委員長
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