平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―とは、日本の世界遺産(文化遺産)である。2011年6月登録。
概要
11世紀末から12世紀にかけて平泉に拠点を置いた奥州藤原氏は、仏教、特に浄土思想の考えに基づいた建造物や庭園を数多く建立した。
初代清衡は平泉を中心とした東北地方に、仏教的な平等主義と平和主義を掲げる「理想世界」を創り出そうとしていた。中尊寺は、戦乱の犠牲者が敵味方関係なく浄土へ往生することを願って建立された寺院で、平泉の中心的存在である。
また平泉における仏教は、海外からの影響を受けて独自に発展したものであり、他の地域に類を見ないとされる。
このことが世界に評価され、2011年に世界遺産として登録された。
登録までの経緯
2008年 「登録延期」
2001年に世界遺産の暫定リストに掲載され、2006年に世界遺産センターへの推薦が決定する。登録名は「平泉 - 浄土思想を基調とする文化的景観」とし、構成遺産は中尊寺、毛越寺、無量光院跡、金鶏山、柳之御所遺跡、達谷窟(以上平泉町)、白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡(以上奥州市)、骨寺村荘園遺跡と農村景観(一関市)の9件(後に毛越寺から観自在王院跡が分離し10件)とした。
しかし、2007年に行われた国際記念物遺跡会議(ICOMOS)の視察・審査で「登録延期」を勧告される。これについてICOMOSは、保全状況などは問題ないとした一方、世界遺産登録基準に基づく日本の主張について証明が不十分であることを理由に挙げた。
この年登録された石見銀山遺跡とその文化的景観では、「登録延期」勧告を受けながらの逆転登録となった。本件も翌年の世界遺産委員会での逆転登録を目指したが、補足説明が不十分であったことや、2年連続となる日本政府の強い働きかけが逆効果となり、「登録延期」決議は覆らなかった。
なお、本件は日本政府が推薦して登録とならなかった初のケースとなった。
2011年 「登録」
世界遺産委員会での決議を受け、本件は2011年の再審議を目指すことになる。
推薦内容を練り直した結果、登録名は「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」と変更され、ICOMOSの勧告に従い達谷窟、白鳥舘遺跡、長者ヶ原廃寺跡、骨寺村荘園遺跡と農村景観の4件を除外した。これらの文化財は将来の拡大登録を目指している。
2010年、2度目となったICOMOSの視察が行われ、翌年に条件付きでの「登録」勧告(柳之御所遺跡の除外など)が出された。これを受けて審議された世界遺産委員会では、柳之御所遺跡を除く文化財5件の登録が決議された。
東日本大震災直後の登録となったことについて、岩手県知事の達増拓也氏は「復興への大きな勇気を与えてくれる」とコメントした。
構成遺産の一覧・関連動画
すべて平泉町に存在。
名称 | 画像 | 概要 | 国指定文化財 |
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中尊寺 (ちゅうそんじ) |
sm22555961 |
奥州藤原氏ゆかりの寺で、平安時代の浄土教建築に代表される金色堂が非常に有名。金色堂の須弥壇内部には藤原清衡、基衡、秀衡の遺体と泰衡の首級が納められている。 | |
毛越寺 (もうつうじ) |
画像募集中 | 藤原秀衡の代に完成し、「我が国に並ぶものがない」と言われるほどの壮大な伽藍を有していたが、相次いだ火災で当時の建築物はすべて焼失している。浄土式庭園は国の特別名勝。 | |
観自在王院跡 (かんじざいおういんあと) |
画像募集中 | 毛越寺の東に存在した寺院跡。藤原基衡の妻によって建立されたと伝わっており、阿弥陀堂内壁には京都の名所が描かれていたという。 |
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無量光院跡 (むりょうこういんあと) |
画像募集中 | 藤原秀衡が京都・宇治の平等院を模して建立した寺院。2つの橋と中島、本堂、金鶏山が一直線に配されていたが火災によって焼失しており、現在は土塁や礎石だけが残っている。 | |
金鶏山 (きんけいざん) |
画像募集中 | 無量光院の西側に藤原秀衡が一晩で築かせたという伝説の残る山で、標高は98.6m。秀衡が山頂に雌雄一対の金の鶏を埋めたと伝わっており、名前の由来にもなっている。 |
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関連項目
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