平資盛(1158? or 1161?~1185)とは、平安時代後期の武将である。
概要
平重盛の次男で、平清盛の孫。兄の失点を取り返すべく各地で軍務にあたり、離脱した兄と違って最期まで平家と共にした小松家の人間。
平重盛と藤原親盛の娘との間に生まれた。通称二条院内侍。なお、生年は『平家物語』等が「殿下乗合事件」などで保元3年(1158年)生まれ、『職事補任』で応保元年(1161年)と揺れがある。
彼で極めて有名なのが、嘉応2年(1170年)の摂政・松殿基房との「殿下乗合事件」である。つまり、公家のトップが平家の孫レベルの幼子と道合でトラブルになり、すったもんだの結果松殿基房側が一方的に叩きのめされたというあの事件である。
また、『平家物語』での建礼門院右京大夫との恋物語でも知られており、平家の公達の中では中世期から割合人気の高い存在でもあった。
とはいえ、以後公卿としては順調に昇格し、寿永2年(1183年)には従三位となっている。一方で、以仁王・源頼政の蜂起で平等院攻めの大将軍となったり、平家方の近江・美濃の再平定軍で平知盛とともに活躍したりと、軍才はそれなりのものであったうようだ。
しかし、平家の都落ち以後、彼も没落する平家と共に行動をともにし、壇ノ浦の戦いで死ぬこととなった。享年28歳とも伝わるが、事実かは不明。
関連項目
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