廃線とは廃止又は休止中にある鉄道路線や関連施設、および鉄道などの路線が廃止されることをいう。
概要
- 1つは、営業当時の前面展望や写真・鉄道PVなどの動画。タグの付けられた現在から見て、廃線ということ。
- もう1つは、廃線跡を歩いてみた動画や写真である。鉄道施設が廃墟として残っている事もあるが、見学には危険を伴う。場所によっては、朽ち果てた線路を橋として、川を渡るような芸当が要求されることもある。
廃線の原因
廃線の生じる原因にはさまざま存在するが、最も多い理由が赤字であることは鉄道に詳しくなくとも想像がつくはずである。
国鉄末期、日本各地に多くのローカル線が存在したが、その中にはある利益を得るのにその数倍~数十倍の費用を要する赤字路線が多数存在した。そのような路線は「特定地方交通線」として並行する道路が未整備だったり積雪で通れなくなるいくつかの路線を除いてすべて廃止されるか第3セクター(ごく一部が民鉄)に移管された。
また、赤字経営が慢性化していたうえ、補助金が打ち切られたことでとどめを刺された路線もいくつか存在する。
次の「不要不急線」も、その言葉の意味するとおり間接的には不採算が休止理由である。
第二次世界大戦中、レールを兵器の材料にしたり、他の重要路線の建設に充てるためにローカル線や観光路線は「不要不急線」として休止され、レールが撤去された。戦後、国鉄線はその多くが復活したが、私鉄では再開するための費用が捻出できず、そのまま廃止となった路線も多い。
また、長野新幹線以降、新規開業した新幹線に並行する在来線は原則として第3セクターに移管されることになっているが、信越本線横川-軽井沢間は第3セクターに引き継がれることなく新幹線開業と同時に廃止された。
そのほかの理由としては、路線のルート変更や線形改良による古い区間の廃止、自然災害による線路の損壊(と厳しい経営状態)による放棄、ダム建設による水没(路線の途中ならばルート変更を伴うことが多い)、稀なケースでは事故による運行停止処分もある。
廃線のその後
廃線跡の設備の多くは廃止後撤去されるが、駅舎は廃線後も取り壊されずに長きに渡って利用されることがある。広い敷地を持つ主要駅であればバスターミナルに転用された例が多く、他にも公民館などの公共施設や地元企業が駅舎を利用したところも多い。北海道などには「鉄道記念館」等と称する博物館が鉄道路線から遠く離れたところに複数あるが、多くは駅舎など鉄道施設の跡を転用したものである。(移築再現されたものも含め)モニュメントとして保存されている廃駅舎もある。
路盤は後に車道やサイクリングロードとして整備されることが多く、橋梁など特徴的な施設は駅舎同様保存されることもある。一方で市街地の再開発や農地の区画整備によって廃線跡が跡形もなく消されてしまうことも少なくない。
ただ、それ以外の用途に使うには幅が狭くて使い勝手が悪いため、新たな用途が定まらないまま荒廃し、自然に還りつつある廃線跡も多い(特に70年代頃までに姿を消した地方私鉄の路線は、単線であるうえレール幅が通常(1067mm)より狭い路線も多かったので尚更である)。
トンネルなどは入り口をコンクリートで塞いだり柵を作るか放置したり逆に遊歩道にして通れるようにするかのケースが大半だが、稀に道路トンネルの拡幅・切り替え工事のベースとして使ったりプロジェクションマッピングの会場にしたりワインの貯蔵庫にするケースも有る。通れるようになっている場合でもトンネル内に照明が設置されないケースも多いので足元を照らすライトを持ってくるといい(スマホのライトは少し心もとないので)
赤字で廃止された路線は撤去費用の問題から線路や信号機などを含めた設備が長期間放置されて廃墟と化すことも多い。このような廃線の沿線では、地元の有力者が再び汽車や電車を走らせてくれるといったことがまことしやかに囁かれることもあったという。しかしながら、実際に廃線から復活するケースは可部線可部駅~あき亀山駅間のような特殊事例を除けば他に事例がなく、需要予測や費用対効果の面から見ても非現実的なものと言わざるを得ない。日本では少子化や過疎化が進んでおり、廃線後しばらくはそれなりに人が居た地域でも現在ではほとんど人が居なくなっているという例も少なくなく、そういった場所に列車を走らせても利益は出せないであろう。
関連動画
前面展望
鉄道歴史シリーズ
鉄道PV
歩いてみた
関連項目
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