張栩(ちょう う)とは、日本棋院に所属する囲碁棋士。1980年1月20日生まれ。台湾出身。林海峰名誉天元門下。イケメンである。 平成四天王の1人。
妻は女流タイトルを多数獲得した小林泉美。娘は女流棋士の張心澄。義父は名誉三冠の小林光一九段。
概要
林海峰の影響もあり、プロになる為に10歳で来日。1994年に14歳でプロ入りする。
周囲の期待を裏切らずメキメキと成績を上げ、23歳時に初タイトル本因坊獲得。その後もタイトルを撮り続け、ついには2008年、名人・天元・碁聖・王座を保持。そして2009年4月に十段位を獲得し、史上初の五冠達成。ついには趙治勲以来、日本囲碁史上2人目のグランドスラム達成。(主要7つの棋戦タイトル全てに獲得経験のある事。)
通算7大タイトル獲得数23回の大棋士なのだが、天元位を山下敬吾に、碁聖位を坂井秀至、名人位・棋聖位・十段位・王座位を井山裕太に奪われ、五冠達成からわずか3年後に無冠となってしまった。
2014年10月現在、リーグ戦や本戦では上位の成績を残すものの井山裕太が六冠と快進撃を繰り広げてることもあり今だ無冠である。
嫁は女流囲碁棋士の小林泉美(婿入り)で、 小林光一9段は義理の父に当たる。結婚当時は小林が女流本因坊を持っていたので「本因坊カップル」と言われた。
プロ意識の高い棋士であり、近年の成績不振と娘の教育も踏まえ、
生活の基盤を台湾に移し、対局時には日本へ向かうという生活を始めた(2015年)
リアル塔矢行洋
2009年に史上初の五冠王となる。これは『ヒカルの碁』の塔矢行洋と重なりリアル塔矢行洋と言われた。しかも獲得したタイトルも同じである「名人・十段・碁聖・天元・王座」
棋風
一つは単純に考慮時間をあまり使わない事。
これは布石の研究をしっかり行い、確実な答えの出せるヨセや死活、難解な中盤に時間を割く為
また、詰碁マニアらしく読みが非常に早く正確。細かい部分での決断力もある。
五冠の時にNHKトップランナーに出演した時、 「棋士の序盤における消費時間の平均が117分。張栩は63分」とあり、
特に序盤は打つのが早い。
そしてNHK杯初出場・初優勝という実績が物語るように早碁が得意。
序盤で時間を使う旧来の棋士の美徳よりも、
限られた時間の中で結果を出す現代棋士としてのプライドがそれを後押ししている。
二つ目の理由は、序盤に足早に稼ぎ逃げ切る棋風からである。
師・林海峰のように・・・とは違うかもしれないが、
激しい戦いよりもヨセ勝つ冷静な棋風。
上記したように、前半戦で残した考慮時間は
中盤戦をまずまずのワカレにして、後半のヨセに持っていく為に用いられる。
布石に関しては、彼が4段~6段格の時に「張栩流」「張栩スペシャル」と呼ばれる布石をよく使っていた。
自身がその布石を用いて名人位を失った事、「致命的な欠陥が見つかった」事を理由に、最近は封印しているようだ。
海外ではよく研究されているとかなんとか。基本布石辞典にも型が載っている。
そんな彼の最大の武器は、後述する多数の詰め碁に裏づけされた読みの深さにある。
特に局地戦でその成果は現れ、勝負手で形成をひっくり返す。
趙治勲曰く、「張栩さんは井山にぶっ壊された」らしく、
近年では防衛のプレッシャーから開放されたせいか、かなり意欲的な手を研究している。
一例として2014年に用いられた5-7。
星や小目へのカカリの他、黒番で4連打して変形ブラックホールのような手もNHK杯で披露した。
囲碁一家
結婚した相手は小林泉美(女流タイトル多数)。この泉美の父は小林光一名誉三冠。母は小林禮子七段。この小林禮子の父は木谷道場主宰の木谷實九段とトップ棋士だらけ。
さらに2020年自身の長女である張心澄がプロ入り。親子4代にわたるプロ棋士(親子棋士)となった。
年表
※色付きがタイトル獲得。最=最優秀棋士賞、優=優秀棋士勝、勝=最多勝利、対=最多対局、連=連勝、哉=秀哉賞 単位は万円。
棋聖 | 十段 | 本因坊 | 碁聖 | 名人 | 王座 | 天元 | 棋道賞 | 賞金対局料 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001 | 王銘エン | 2698 | |||||||
2002 | 優 率 勝 対 哉 | 3034 | |||||||
2003 | 加藤正夫 | 王銘エン | 最 率 対 | 7789 | |||||
2004 | 王立誠 | 依田紀基 | 依田紀基 | 山下敬吾 | 最 哉 | 10495 | |||
2005 | 高尾紳路 | 小林覚 | 山下敬吾 | 最 | 12343 | ||||
2006 | 依田紀基 | 高尾紳路 | 山下敬吾 | 優 勝 連 | 5781 | ||||
2007 | 横田茂昭 | 高尾紳路 | 最 対 連 | 7969 | |||||
2008 | 山下敬吾 | 井山裕太 | 山下敬吾 | 河野臨 | 最 | 11337 | |||
2009 | 高尾紳路 | 結城聡 | 井山裕太 | 山田規三生 | 山下敬吾 | 最 | 7969 | ||
2010 | 山下敬吾 | 山下敬吾 | 坂井秀至 | 山田規三生 | 最 哉 | 9049 | |||
2011 | 井山裕太 | 井山裕太 | 羽根直樹 | 8645 | |||||
2012 | 高尾紳路 | 井山裕太 | 7604 | ||||||
2013 | 井山裕太 | 井山裕太 | 3524 | ||||||
名前・発音に関して
ちなみに張栩の字の読み方であるが、本来は日本読み・中国読み共に「ちょうく」が正しい。
何故「ウ」と発音されているかと言うと、来日時にとリンちゃん林海峰先生に
「チョークとからかわれるぞ」と言われた事が原因だとか。
故に日本では「ちょうう」と名乗っている。
更に更に細かく追求するならば、発音はZhang Xu(チャン・スー)。東洋囲碁での表記はJang Hsu。どちらが正しいかは不明だがとりあえず日本棋院ではChang Hsu(チャン・シュー)となっているので、これがまず正しい、とみていいだろう。
周りからは「うっくん」と呼ばれるらしい。
プライベート・人柄
若干釣り目気味だが、笑顔がカッコイイ。
キリっとした顔立ちで、公の場ではよく黒系のスーツで身を固めている。
元々スタイルがいいので、めちゃくちゃ決まってる。超カッコイイ。
2008年8月30日の時事通信によると、理知的で礼儀正しく、声が細いとある。でもひとたび盤面に向かうと大胆な勝負手を打つ事もしばしば。相手を同様させ、逆転勝ちを決める様がまたまたカッコイイ。
筆者のベスト対局は(ry少女漫画の彼氏候補みたいな男である。タバコが大嫌いという萌え要素欠点を持つ。
趣味は詰め碁創作。
前述した局地的な読みの鋭さは詰め碁の賜物だろう。
カメラ付きケータイを買ったのは、写真で詰め碁のやり取りをする為だとか。
小林さんとはデート後に自作の詰め碁を山ほど渡して「次までに解いてこい」と言っていたらしい。やりすぎだろjk
現在は結婚し、娘が二人いる。ええい男の子はまだか!というのは余計なお世話だろうか・・・
最近はよんろのご(4路の碁)という児童向け・初心者向けにしてはなかなか難しいという噂の詰め碁本および玩具を出版、販売している。幼児にも詰め碁をさせる気マンマンである。
iphone版「黒猫のヨンロ」も配信中。ヨンロという黒猫がかわいい。
キャッチコピーは「チョー(張)!! おもしろい!! 4×4線の『囲碁パズル』だよ」。
子供が出来たらこれやらせて、藤沢センセのとこみたいな強豪になるかもね。
トリビア
- 4連覇した後に不幸がくるジンクスがある。4連覇中の碁聖タイトルは坂井秀至に奪われ、同様に連覇中の王座タイトルも5連覇目を4冠の井山裕太にストレートで奪われた。
- 嫁の小林泉美さんについて補足。生後11ヶ月でアタリがわかったと言われる神童である。
- 結婚前にタイプの男性を聞かれ、「父より碁が強い人」と語っていた。
当時は小林光一9段の全盛期であった。 - Q 「彼との初デートはどういったものでしたか?」
- 泉美 「まず地合いの計算について熱く語り始めました。」 「『これ何目?』って言われて何題か解いてたらいつの間にか食事になり、」 「最後に難解な詰め碁をドッサリ宿題として出されました。」
- 娘の名前は心澄(コスミ)ちゃん。手厚い名前である。
- グランドスラムや5冠達成時、アンチからはこの活躍ぶりを
「当時、彼に勝てる人がいなかっただけ」という、なんだかよくわからないDISられかたをされていた。 - 台湾美男美女組の一人である。
もう一人は林漢傑先生。知的でCOOLでカッコイイ。60期NHK杯の写真が特にステキ。
女流枠で謝依旻。
え?そんな事どこで言われてるかって?俺の中でだよ。 - 小林9段の影響もあってか、趙治勲曰く「早く消えて欲しい人」。
NHKで爆弾発言 トーナメントで当たってしまった時の一言
対局
ファン歴の浅い私の中のベスト対局がこれ↓ http://cgi2.nhk.or.jp/goshogi/kifu/igs.cgi?d=20120205 下辺から左辺にかけてえげつない進入を許し、趙治勲先生の勝ちパターンに入る。 劣勢の中で試行錯誤する中、131手、133手で消しにまわる。 しかしこれは139手の為の味付けだった。 勝負手の左下進入に、解説役・淡路修三 九段が「無理だ無理だ」という中で粘り、 最終的に中央を犠牲にしコウに勝つ。 結果、黒番張栩の7目半勝ち。趙治勲が消えて欲しいと願うのも納得の一局だった。
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関連項目
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