概要
彦根市(2024年1月時点) | |
---|---|
面積 | 196.87km2 |
人口 | 111,085人 |
市の花 | はなしょうぶ |
市の木 | たちばな |
隣接 市町村 |
滋賀県 米原市 東近江市 犬上郡:多賀町、甲良町、豊郷町 愛知郡:愛荘町 |
彦根を語る上で外せないのはやはり彦根城であろう。現存12天守の中でも、江戸時代に築城された頃の姿をよく残しているといわれており、国宝に指定されされている。規模は意外と小さめだが、市はこの彦根城を世界遺産とするため日々活動しており、市内の名神高速には運動促進を図る立て看板が設置されている。また、2000年代後半からは築城400年を祝うイベントで登場した「ひこにゃん」がゆるキャラブームの波に乗って全国区の知名度を獲得、新たな地域振興の形を提示したことでも知られるようになった。
この歴史の通り彦根は彦根城・井伊氏20万石の城下町として繁栄してきたことで知られるが、井伊氏の入封以前には石田三成の佐和山城などが建てられた地でもある。この佐和山城は名が示す通り彦根駅北方の山の上に築城されている他、井伊直政の彦根入り時に徹底的に破壊されたため遺構もあまり残っていない。一方、鳥居本や高宮は中山道の宿場町として栄え、特に高宮は現在の多賀町にある多賀大社信仰が高まるとともにその玄関口として知られるようになった。現在でも高宮宿の街には多賀大社の一の鳥居が建てられている。鳥居本は和漢薬「赤玉」の発祥の地として有名で、創製者の子孫が現在でも彦根で赤玉を販売する製薬会社を営んでいる。
維新後は湖北と湖東地域北部を管轄する「犬上県」の県庁所在地になったこともあったが、明治初期のころに大津を県都とする大津県への統合が決定。この時、県庁所在地になることを嫌ったため、大津が県庁所在地となり「滋賀県」となった経緯がある。しかし、大津はあまりに京都に近い他、この地が城下町だった経緯もあり滋賀県を担当する官公庁の一部は彦根に置かれた。「彦根地方気象台」や「彦根高等商業学校(滋賀大学経済学部の前身)」などはこの彦根に置かれたものが現在に至るまで脈々と続いている。また、繊維をはじめとした工業も興隆、現在でもスクリーン駅の両側にあるブリヂストンやスクリーンなどの大規模な工場が市内に多数立地している。特に盛んなのは「バルブ」と呼ばれる弁の生産。
市域北西側は琵琶湖に広く面しており、湖岸には水泳場や漁港のほか、中心地に近づくと商業施設や住宅街も立ち並び、滋賀県立大学や県内のAMラジオ送信所なども建っている。彦根の沖合には多景島が浮かび、滋賀大学近くから島に渡る船が出ている。
また晩夏の風物詩となっている鳥人間コンテストの開催地は多景島への船着き場近くにある松原水泳場。放送は8月終わりだが、大会そのものは7月終わりに行われており、飛ばなきゃいけないワケがある学生や観戦客で周辺は賑わいを見せる。この松原水泳場などのある市街地に近い湖岸一帯はかつては琵琶湖の内湖が広がっており、彦根城の守りの要として機能していたが、戦後に干拓され現在の姿となっている。
彦根駅でJRに接続する近江鉄道は現在でも地域の足として頑張っているが、かつては貨物輸送で栄えた鉄道会社だった。鉄道貨物の斜陽化とともに貨物用に用いる電気機関車や貨車は御役御免となったが、彦根駅構内にある車両基地に保存され、後に「近江鉄道ミュージアム」として一般公開されていた。現在、ミュージアムは八日市駅に移されたが、近江鉄道の特徴である高い技術力の源である鉄道工場は健在である。
また、琵琶湖線や湖西線の駅前にはほぼ必ずある平和堂の創業地・本社は彦根市内。彦根駅から少し離れた市街地には「彦根銀座店」が創業以来現在も営業しており、本社にして旗艦店の「ビバシティ彦根」近くには南彦根駅が立地している。もちろん、彦根・河瀬・稲枝の各駅前には駅前平和堂もある(ただし河瀬は少し離れたところにある)。食文化では「近江ちゃんぽん」が有名。「ちゃんぽん亭総本家」の創業の地であるが、ちゃんぽん自体はちゃんぽん亭が発祥のものではない。
交通
鉄道
道路
高速道路
一般道
出身有名人
関連動画
関連コミュニティ・チャンネル
関連項目
関連リンク
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 1
- 0pt