征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)とは、日本における軍事指揮官の役職の一つである。
概要
奈良時代・平安時代
征夷大将軍は天皇の勅令によって任命される役職である。その字の通り、元々は「夷を征討する(蝦夷征伐)」軍の指揮官に与えられた将軍職の一つ。厳密には東夷征伐の日本海側方面を担当する将軍で、太平洋側担当は征テキ将軍(鎮テキ将軍:「テキ」はけものへんに「火」)と称する。また、「大将軍」部分は時期によって、「将軍」「大使」とも記載されている。
征東(大)将軍の名義で任命される場合があるが、職掌は同様である。また、鎮東将軍を征夷大将軍と同一視する向きもある。
所謂大将軍と呼ばれる非常任の役職で、鎮守府将軍の上位に当たる。
文献上の初出は征夷将軍が養老4年(720年)、征夷大将軍が延暦13年(794年)である。この時代の征夷大将軍としては坂上田村麻呂(任:797-811)が有名。
幕府政治の頂点としての征夷大将軍
鎌倉幕府にて源頼朝が征夷大将軍を任官して以降、征夷大将軍が幕府で最上位の役職として用いられ、世襲制で受け継がれるようになる。ただし頼朝直系の将軍は3代実朝で断絶し、以後は執権北条氏によって京から宮将軍・公卿将軍が傀儡として迎えられることとなる。
鎌倉幕府崩壊後の建武新政期は後醍醐帝の皇子が宮将軍として任に就き、南北朝期の足利尊氏による室町幕府開府と北朝による征夷大将就任以後、再び世襲による将軍位継承が復活する。足利将軍家第3代義満の代でその権勢は絶頂期を迎えるが、次代以降は有力家臣の台頭・将軍後継争いなどによりその立場は不安定化し、応仁の乱以後は衰退の一途をたどることになる。
江戸時代においては、鎌倉・室町幕府とは異なり、征夷大将軍は武家政権の最高権力者として長期にわたって君臨し続けた(大御所政治と言う例外はあったが)。慶応3年(1867年)徳川慶喜が大政を奉還したことにより、幕府政治は終わりを告げる。その後、明治新政府により征夷大将軍職が廃され、正式に幕府制度が消滅した。
主な征夷大将軍一覧
奈良時代〜平安時代 | 鎌倉幕府 (1192-1333) |
室町幕府 (1338-1588) |
江戸幕府 (1603-1867) |
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北条政権 |
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建武の新政 (1333-1336) |
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- 註1:「征東(大)将軍」名義
- 註2:近年は、実際は「征東大将軍」であったとも言われる。
- 註3:建武新政期の一時期に「征東将軍」に任命されている。
- 註4:足利義材と足利義稙は同一人物。一度追放・解任されたのち復帰している。
関連項目
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