悟り又は覚りとは、
概要
仏教の教えを表象する代表的な仏教用語の一つである。対義語は「迷い」「迷妄」。日常用語としても使われるが、同義の代替語が多く、敢えてこの言葉が用いられた際は、仏教思想を強調した意味合いを含有することがある。それほど仏教と縁の深い言葉である。
「悟りを開く」「開悟する」「大悟する」という表現がよく用いられる。これらは仏教に於いて「真理を体得する」という意味である。仏教では教えを説く際に譬喩例話(たとえばなし)を多用するという特徴があり、この「悟りを開く」にも御多分に洩れず譬喩例話を用いた説法が多数ある。以下にその一例を示す[2]。
老師は、こんな夢を見たという。
はじめに地獄に行かれた。地獄でも、食卓には山海の珍味があふれんばかりに載っていた。地獄に堕ちた人は、与えられた長い箸で食べようとしている。だが、箸が長すぎて、自分の口に入らない。ご馳走を目の前にしながら、焦るばかりで食べられず、痩せさらばえていくばかりだ。
つぎに極楽に行かれた。意外なことに、極楽では、長い箸を与えられているのは同じだが、ご馳走は地獄ほどではなかった。けれども、極楽に往生した人は、みな、ふくよかで、にこやかに談笑している。
どうしたわけかと眺めていると、長い箸を使って、食べ物を相手の口に入れている。地獄の人は自分の口へ。極楽の人は相手の口へ。極楽と地獄のちがいは、ここだったのだ。
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関連項目
脚注
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