『悪魔の飽食』とは、森村誠一による書籍、およびそれを第1作とするシリーズ作品の総称である。
概要
いわゆる「731部隊」を扱った書籍として最も有名かつ最も売れたもの。
しかし、そのシリーズ作品中に731部隊とは無関係な写真が混入されていたために一旦絶版になる(その後該当部分を修正して再販され、2020年現在も販売継続中)など、紆余曲折のある作品でもある。
また本作の内容は「匿名の証言」に由来するものが多いため、731部隊の人体実験について匿名ではない証言や文書資料などが複数明らかとなっている現代においては、その有名さの割には内容が学術的に重要視されることはあまりない。
それでも「社会的には最も影響を与えた」書籍であることは間違いなく、また「最も有名」でもあるためか、本作に関してはインターネット上でデマも流布されている(後述)。
出版までの経緯
作者の森村誠一は江戸川乱歩賞や日本推理作家協会賞の受賞歴もある有名な社会派ミステリー小説家であった。
そんな森村が日本共産党の機関紙『赤旗』に小説『死の器』を連載していた際、同作中でわずかに「731部隊」について触れた。すると同部隊の生存者から「『死の器』に書かれている七三一部隊の実態は、あんなものではありません。もし実態を知りたければ取材に協力する」という申し出があった。
この申し出に応える形で『赤旗』の記者だった下里正樹と共同での取材がスタートし、取材に基づいて『赤旗』に連載。本作へとつながっていった。
1981年 第1作出版
1981年に第1作が光文社「カッパ・ノベルス」から『長編ドキュメント 悪魔の飽食 「関東軍細菌戦部隊」恐怖の全貌!』というタイトルで出版された。内容は、関東軍に存在した大日本帝国陸軍の部隊「731部隊」において残酷な人体実験が行われていたことを、元731部隊員(多くは匿名)らの証言を元にしてまとめ告発するものであった。
731部隊で残酷な人体実験が行われていた事は既に別の書籍などでも触れられていた(例えば家永三郎『太平洋戦争』岩波書店, 1968年)もので本作が初めての告発ではなかった。しかし、上記のように有名な作家であった森村が「カッパ・ノベルス」という大衆向けレーベルで本作を出版したこともあって本作は注目を浴び、発行部数300万部を超えるベストセラーとなった。
反応は日本国内だけにとどまらず海外のメディアにも紹介され、731部隊の人体実験についての国際的な認知度を高めたと言われる。
1982年 第2作出版と、無関係の写真の混入
翌1982年には、取材ノートや下里正樹との対談が掲載された『『悪魔の飽食』ノート』が晩聲社から出版された。さらに続編の『衝撃のノンフィクション 続・悪魔の飽食 「関東軍細菌戦部隊」謎の戦後史』が同じく光文社「カッパ・ノベルス」から出版された。
しかし、この『続・悪魔の飽食』に使用されていた元隊員から提供された写真に、731部隊とは関係ない明治43年(1910年)から翌年にかけて中国東北部でペストが流行した際の惨状の写真が混入されており、森村はそれを見抜けず掲載してしまっていた。
これが明らかになったことで攻撃が始まり、街宣右翼の街宣車の大行列が森村の家の前で連日拡声器で「国賊」「売国奴」「非国民」「日本から出て行け」と怒鳴り続け、抗議の電話が鳴り、窓に投石され、玄関ドアに赤ペンキがぶちまけられ、匿名の脅迫状や抗議文が届けられたという。
森村は誤った写真を掲載したことについて謝罪し、『悪魔の飽食』『続・悪魔の飽食』は一旦絶版となった。
1983年 復刊と第3作出版
しかし森村は「写真は誤用だったが、内容は真実である」との立場を崩していなかった。
1983年には角川文庫から、問題の部分を修正した『新版 悪魔の飽食』『新版 続・悪魔の飽食』が復刊された。この復刊を決定したとき、角川書店ではまず社長の身辺警護対策を講じたという。
さらに同年中には更なる続編『悪魔の飽食 第三部』も角川文庫から出版された。
1984年以後
1984年には晩聲社から『ノーモア悪魔の飽食』が出版。写真誤用問題や当時の状況などについて森村が語った書籍である。
2012年~2014年にはAmazonの「Kindle」や楽天の「Kobo」などと言った様々な電子書籍プラットフォーム向けに、KADOKAWAから電子書籍版の『新版 悪魔の飽食』『新版 続・悪魔の飽食』『悪魔の飽食 第三部』が発売されている。
本作に関するデマ
「概要」でも述べたように、本作についてのデマがインターネット上で流布されている。
「731部隊が人体実験をしたという話は全て本作を根拠としている」というデマ
本作は確かに、731が人体実験を行ったという話を最も広めた本かもしれない。
しかし本作以外にも731部隊が人体実験をしたとする資料は複数存在しているため、「本作だけを根拠としている」という話は明らかにデマである。
それら別の資料については「731部隊」の記事なども参照されたい。
「人体実験の被験者を指すマルタという単語は本作の創作」というデマ
731部隊は人体実験の被験者を「マルタ」(丸太)と呼んでいたとされる。この点について「本作が創作したものだ」と主張される場合がある。
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しかし実際には、本作よりもかなり前から「同部隊での人体実験の被験者を「マルタ」と呼んでいた」という記述は確認できるので、「本作で創作されたもの」というこの話は明らかにデマである。
国立国会図書館に収蔵されている資料のうち、OCR読み取りされた内容を検索することができるサイト「国立国会図書館デジタルコレクション」で「マルタ」「細菌兵器」などで検索すると、雑誌『真相』の1950年4月号に掲載された「內地に生きている細菌部隊」という記事にて、既に
これらの犠牲者は「マルタ」あるいは「特殊材料」とよばれ、部隊の正面にある口の字型三階建ての地下室に收容され、そこで最初の一週間は、栄養のあるものを、フンダンに與えられた。彼らの多くは、スパイ容疑で捕つたソヴエト人や、中共党員であつたが、與えられるものは、なんでも、默々とたべる。そして、みるみる肥る。一週間、十分栄養をとつたら、つぎには、一人づつ実驗室に送られる。
といった記述があったことがわかる[1]。
国会の議事録を検索できる日本政府のサイト「国会会議録検索システム」で「マルタ」を検索すると、昭和37年(1962年)の国会答弁において既に、731部隊に関連する文脈で「マルタ」が登場している。この国会答弁では「動向社」という雑誌社が発行した『ライト』という雑誌の昭和37年11月号に掲載された文章を読み上げているようであるが、
昭和十六年頃、人間の最低致死量を知るために、十人のマルタを使って実験された。第一回は〇・三瓦を投与したが、その結果は身体的異常は認められなかった。漸次増量して反覆実験して研究したところ、年令と体重によって限界量に差異があって、成人の場合は、〇・六〜七瓦ということが発見された。この量を嚥下すれば、頭痛、めまい、動悸がはげしくなって胸苦しいと云う初期中毒症状が起きるまでには、一分から一分三十秒を要し三四分後に呼吸が乱れて苦痛を訴え、次次に全員嘔吐して脈博は徐々に弱少となり、痙攣を発して意識を失い、死亡することを発見した。このデータは厳に秘匿された。終戦後は戦犯の捜査が開始されたので、研究員たちの口はさらに堅くなった。」
という読み上げ内容が、インターネット上で検索可能な国会会議録に残されている。[2]
また、憲兵の戦友会である「憲友会」の全国組織である「全国憲友会連合会」がまとめて1976年に出版された『日本憲兵正史』と言う書籍においても、石井部隊(731部隊のこと。部隊長の石井四郎の名に由来)において人体実験の対象となる者を指して「丸太」と呼んでいたという回想が記載されている。
まず、人体実験の問題が巷間噂され、現在も多くの出版物に面白く描かれているが、これは事実で、チチハル憲兵隊などから、ハルピン憲兵隊宛「丸太一本送る」と連絡があると、これは死刑囚を石井部隊へ送ることであった。しかも、この丸太である死刑囚は、石井部隊に送られると、起居就寝から食事運動に至るまで最高の待遇をされて、健康な死刑囚に仕立上げられる。部隊内の食事材料はすべて自給自足であった。その食事たるや栄養満点のものである。しかも、死刑囚の独房というより居室は、完全滅菌された部屋で、冷暖房から太陽の光線まで、これまた最高の設備である。さらに、医者はつねに健康管理を指導するのであるから、数ヵ月経過すると肉体的には完全に健康な死刑囚となる。この死刑囚にペスト菌をもつノミをくわせ、健康な人間がペスト病になっていく経過を記録研究する。この実験のやり方や収容されていた死刑囚そのものに、実は問題もあったのだが、これは憲兵史なので遠慮させてもらう。とにかく、細菌、毒ガスの研究が、学問的に見る限り素晴らしいものであったのは事実である。[3]
以上のように、「マルタ」「丸太」という用語は確実に『悪魔の飽食』以前から存在している言葉であるため、「『悪魔の飽食』において創作されたもの」ではないことがわかる。
また実際に戦時中にも「マルタ」や「丸太」という用語が使用されていたことを示す、通称『大塚備忘録』と呼ばれる「大塚文郎」という軍医の日誌の写しが防衛庁防衛研究所図書館にて保管されている。この『大塚備忘録』内の細菌兵器に関する部分に、1944年の記録として「マルタ実験」「丸太500名」「丸太使用実験」という記述が登場するという。この文書はインターネット上にスキャン画像等が存在しておらず、また現在では写しの公開もされていないため直接の確認は困難だが、公開されていた頃に閲覧して内容を転載した書籍や文書がいくつかあり、それらの書籍・文書の内容紹介というかたちでいくつかのウェブサイトに文面が掲載されている[4][5][6]。
「『悪魔の飽食』はフィクションであり作者もそれを認めている」というデマ
作者の森村誠一が「小説家」であり、当初「カッパ・ノベルス」から発売されたためか、本作について「フィクションであり作者もそれを認めている」と主張される場合がある。
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「グラビア写真がインチキであるから、内容も噓にちがいない。筆者は筆を折るべきである」と著名な学者までがグラビアを見ただけで雷同した。写真は誤用したが、内容は真実であると、徹底的な取材を踏まえて私は自信があった。マスメディアも内容についてはほとんど言及しなかった。
その後、多くの学究や研究者によって、七三一部隊の実態は余すところなく追究され、世に露出されている。これを世界に恥をさらす自虐的行為だと言う者もいるが、日本が犯した非人道的戦争犯罪を、臭いものに蓋(ふた)をするように隠す行為こそ日本の恥をさらすものである。[7]
と掲載しており、「写真は誤用したが内容は真実である」との立場を崩していない。
「写真の誤用について認め謝罪した」と言う事実に関する記述を見て、「フィクションだと認めて謝罪した」のだと勘違いした人がいたものか。
関連商品
- 「新版 悪魔の飽食 日本細菌戦部隊の恐怖の実像!」森村誠一 [角川文庫] - KADOKAWA
- 「新版 続・悪魔の飽食 第七三一部隊の戦慄の全貌!」森村誠一 [角川文庫] - KADOKAWA
- 「悪魔の飽食 第三部」森村誠一 [角川文庫] - KADOKAWA
晩聲社から出た『『悪魔の飽食』ノート』や『ノーモア悪魔の飽食』は2024年4月現在時点において電子書籍化されていないようだ。
関連リンク
関連項目
脚注
- *国立国会図書館デジタルコレクションの検索結果画面より引用
- *第41回国会 衆議院 法務委員会 第8号 昭和37年12月7日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム
- *日本憲兵正史 - 全国憲友会連合会. 編纂委員会 - Google ブックス/(引用した文章の一部ずつを「この書籍内から」の検索ボックスに入力して検索していくと、少しずつではあるが以下の文章全体がプレビューにて閲覧できる。なおOCR読み取りエラーと思われる誤植を数か所、引用時に修正した)
- *731部隊(4)高級軍幹部の証言 - 南京事件-日中戦争 小さな資料集:『季刊戦争責任研究』No2(1993年冬季号)に転載された内容を紹介している。
- *ぼんぼん雑記: 細菌戦関係史料:吉見義明・伊香俊哉『七三一部隊と天皇・陸軍中央』岩波ブックレット389(1995年)に転載された内容を紹介している。
- *西里扶甬子『生物戦部隊731』-2: さとし君の日ごろ:西里扶甬子『生物戦部隊731―アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』(2002年)に転載された内容を紹介している。
- *回想~悪魔の飽食~卑怯な匿名 | 森村誠一公式サイト
- 5
- 0pt
- ページ番号: 5582909
- リビジョン番号: 3266845
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