意識高い系とは意識高い言動をする人、意識高い言動をするが実が伴っていない人を揶揄した言葉である。
あなたが意識高い系について最低限知っておくべきこと(概要)
「意識高い系」とはここ数年で急速に広まり定着したネットスラングである。今ではネットスラングの域を飛び出し、NHKのドラマのテーマになるなど更に普及しつつある。
この言葉が使われるようになったきっかけは、大学生の就職活動において「意識高い系」と呼ばれるようになる学生が実際は大して凄くもないのに自分をすごく見せようと小難しいビジネス用語を積極的に使ったり、本当にそれ好きでやったの?と思えるような趣味やボランティアをドヤ顔で語ったり、あまつさえ起業に踏みだそうとしていたのを見てモヤモヤしていた他の就活生などがその特徴ある言動に対して名前をつけたものである。
その他にも「スタバでMacbookAirを使って仕事しているのをアピール(ドヤリング)」しているイタい人たちを揶揄するのに使われたのもこの言葉が普及するのにも一役を買った。
「意識高い系」の人々は、語る言葉だけを捉えれば確かに「意識が高い」人物である。しかし、実際はそうでないからこそ「意識高い系」なのである。また、その言動は実際に「意識高く成功した」人たちの模倣であることも多い。
「意識高い系」的な行為はごく少数の本物の「意識が高い」人も発展途上中に取ってしまうことがあったり、また普通の人でも気づかずにやってしまう場合がよくあるので、安易に意識高い系とレッテル張りをしてはならない。
あなたが是非知っておくべき「意識高い系の成り立ち」
「意識高い系」のおこりは平成不況が一旦の収束を迎えた2000年代前半。
上の世代が就職活動や社会で生き残るのに苦戦する姿を見ていた学生の中に、「今後また不況が来た時に就職や社会の中で生き抜くためには、高い能力や豊富な経験を持たなければいけない」と危機感を抱き、自発的に就職や起業に関しての学習グループ・互助会を組織し、講演などを行っていたのが始まりである。
初期の意識高い系学生は原義通りに実際に目的意識や行動力が高い人が多かったのだが、それでも彼らの高い意識や行動にぶら下がって自身の就職を有利に進めようとする、後年の蔑称としての「意識高い系」に通ずる人も居なくはなかった。
状況が変わったのはリーマンショックとその後の景気回復失敗により2008年以降数年に渡る就職市場の急激な買い手化と、同時期に日本にFacebookやTwitterと言ったアメリカ発祥のSNSが上陸したことが上げられる。
原義での意識高い系学生が想定していた状況が実際に起こった時、彼らの中に混じって「実際の目的意識や行動力は低いが、セルフブランディングと発信力とアピールに長けた『見せかけだけ意識の高い学生』」が多数出現した。
この学生群こそが現在の蔑称としての「意識高い系」の祖である。
彼らは初期の意識高い系学生や「時代の寵児」の行動等を模倣しているものの、目的意識が希薄だったり、実際の行動よりもそのアピールに力を入れ、高いのは目的意識より他人からの評価に対する意識という状態だった。
やる気と行動力はあるが目標やその道程がわからず表面的行動しか出来ずに空回る学生・大言壮語するものの有言不実行型の学生・SNSを使いこなして自身のブランドイメージを誇張する学生等が大学内や就職市場に台頭したことにより、2000年代後半には「意識高い系」と言う言葉は蔑称へと変質していった。
2010年代に入ると東日本大震災以降のSNS人口の爆発的な増加、世界のグローバル化の進展、ネットにおいての個人の情報発信がお金を得る手段としての確立と「インフルエンサー」と言う職業ネット発信者の出現、そして2009年の「もしドラ」を皮切りにした自己啓発・ビジネス本ブーム等の社会変化や流行が起こり、意識高い系はこれらの影響を受けて学生と言う枠を超えて社会全体に増加、そして言動が悪化してゆく事となる。
常見陽平氏の新書『「意識高い系」という病』が出版され、「意識高い系」と言う言葉が世間に原義とはかけ離れた意味で広まったのもこの時期(2012年)である。
2010年代半ばも過ぎると概念の膾炙と時流の変化もあって、典型的なグローバルビジネス人材気取りの「意識高い系」の人は見なくなってきたが、「意識高い系的なモノ」自体は時流の変化に合わせてどんどん分化してゆき、2022年現在ではこの言葉自体は半ば死語となりつつも、その根底にあるもの自体は未だに社会やネットの色々な場所に息づいている。
意識高い系の9つの特徴
ここで述べる特徴は複数の意識高い系の人の間でよく見られる特徴であり、複数の特徴は備えていても全員がこの特徴全てを備えているというわけではない。
- 必要ないときまで専門用語や外来語を使いたがる
意識高い系の代名詞とも言うべき行動。専門用語やビジネス業界で使われる外来語を引用して、自分をデキる人間であると演出する。
もちろんその用語が普通に使われるような場で使うのは問題ない。 - 問題提起・社会貢献をアピールし、これらをしない人間を下に見たり、啓蒙しようとする
問題提起や社会貢献自体は基本的に社会善であるし、主張の尖鋭化や貢献先の迷惑になる行動でもしない限りはそれ自体に罪はない。
だが、それを積極的にマウンティングや自己アピールの道具にするのは偽善もいいところである。
特に下心丸出しの啓蒙行為は意識高い系が鬱陶しがられる大きな原因の一つである。 - 努力や忙しさの過度なアピール努力。アピール自体が目的にすり替わることもある
『こんなに頑張ってる自分』『こんなに忙しい自分』をSNSで逐次報告したり自慢げに話す。
忙しさに耐えかねて少し愚痴ったり弱音を吐くのは仕方ないが、自慢ありきが見え透いたものは鬱陶しい。 - 自分の実績も過度にアピール
過去の実績を過剰に盛ったり、プロジェクトに少し関わっただけでも中心に居たかのように紹介する。
事情を知らないものには有効な行為だが、確実に当時の関係者や仲間から嫌われるようになる。
特にそれを各所で吹聴しはじめると完全に信用を失うようになる。 - 自己啓発にハンパにのめりこむ
自己啓発で生活や価値観を変えるのは悪ではないし、その内容を自分のものにして生活や価値観が改善できればその人は人間的にも成長できている。
だが大半の意識高い系の人は自己啓発本を読んだ「だけ」か、内容を噛み砕いて自分のものにせず、ただ本に書かれている具体的項目を少し実践しただけで満足し、次の自己啓発本に手を伸ばす。という自己啓発ジプシーに陥ってる場合が殆ど。
さらに酷いとそんな状態で自己啓発を周囲に勧めたり、上から目線で啓蒙をはじめるので余計に鬱陶しがられる。 - 仕事してる感を演出したがる
前述のようにスタバなどでMacbookやタブレットを使って仕事をしてみたり、SNSで仕事をしていることを報告する。
ちなみに昨今はWifiやコンセント完備でテーブルも広い喫茶店も多く、パソコンを使って仕事をする人は結構居るので、安易な認定はしない方が良い。 - グローバル志向で、無闇に国際的な視野を持ちたがる
やたらと国際的な視野から発言して日本の後進性を語ったり、意味のない場面で国際的視野を要求する。
しかし実際にはその国際的視野は特定の国(しかもその中でも特定の先進的な地域など)しか見えておらず、その場合でも国や地域特有の事情や背景などを勘案しなかったり、その情報自体が不完全だったりする。
『海外厨』の項目も参照。 - 新自由主義を礼賛する、極端な合理的思考の拝金主義者
上記のグローバル志向と併発して新自由主義経済志向で、新自由主義経済の申し子的な職業(IT企業経営者、金融業界人、コンサルタントなど)に憧れる。さらに拝金的かつ極端に合理主義な考え方をするため、ビジネスで役立つ外国語やスキルは積極的に教育に取り入れることを提言するが、純粋な教養や文化などのお金と直結しないものには冷たかったり、興味がない。
(実際は国を問わず地位の高い財界人ほど教養や文化に通じ、積極的投資を行う人も多いので、彼らのビジネスパーソンとしての底の浅さを指摘されたりする) - 人脈づくりに熱心
意識高い系の代名詞的行動その2。SNSのフォロワー数=自身の影響力と考えているフシがあり、SNSのフォロワー数を自慢し、時にはそれを戦闘力のように扱う。
またとにかく大勢の人と知り合い、自らの人脈の育成と拡大をしようとする性質もある。これが行き過ぎちょっと会話した程度の人まで人脈に加えて自慢したため「人脈おばけ」と揶揄された者もいる。
意識高い系が馬鹿にされる、警戒される○つの理由
まず本当に意識高い人と意識高い系の大きな違いの一つとして「自発的かつ具体性のある目的意識があり、積極的に行動ができるか」と言う物が上げられる。
意識高い人は具体的に「社会で生き残り、役立つために○○をする・△△を実現するために頑張っている」などの目標があったり、或いは具体的目的意識がなくとも「自分なら出来ると思ってXXをやってみた」と積極的な行動を行っていくことで、周囲の人間を巻き込んでゆくのである。
しかし意識高い系の人々は、やる気こそ十分にあるものの「周りにデキる人材に見られたい・(業務内容等に大した思い入れもなく)起業して成功する」等のふんわりした目的や承認欲求ベースの行動理由が主で、行動自体を起こせても、自身を目立たせることに力を入れる割には行動の内容は中身の薄いものが多い。
しかしそれでも良い方で、大半は目的意識や具体性のあるアクションを起こすことも無く、同類の友人達と過ごしてビッグになった気で居たり、具体性がないので脈絡がない「研鑽」や人脈拡大、中身のない自己アピールに終始する。
最悪のケースでは、やる気こそあるが自発性や目的意識の具体性が無い事を浸け込まれ、「成功者」と名乗る人間に唆されるがまま情報商材を買わされて「起業」や「副業」と称した詐欺行為や悪質転売等に手を染めたり、「時代の寵児」と称される人々のサロンに入ってそのまま彼らの信者化し、彼らの不透明な事業や信者内で彼らに奉仕して「自己のステージを上げる」ような行動に多額のお金を投資したり、彼らの甘言に唆されるがまま自身の学業や生活基盤を捨ててしまうと言う例も多数見受けられる。
また、同時に詐欺目的情報商材や投資の説明等は得てして意識高い系に該当するような説明を行っており、将来の成功や社会貢献などの聞こえがいい言葉を連ねて肝心の収益性の確実さ、初期費用、入会する時、辞める時のリスクを巧みに隠しているような手法をとっている。意識高い系と思われる説明はそれだけで詐欺ではないか?と警戒されやすい。
また「能ある鷹は爪を隠す」という言葉があるように一般的に実力はむやみに晒さず隠すべきだという考えがあるため、自分の実績と行動をアピールしたがる意識高い系の行動はその観点から恥ずかしいことのように感じられる。
そしてもし能があるならまさに「ぐうの音」も出ない状態で馬鹿になんかできないが、意識高い系の場合その能がないため馬鹿にされるのだ。
また、能が無いように見える大きな要因としては、実際に実績があるかということ以上にその「専門用語(特に英語由来の起業・経営などに関するビジネス用語)を使いたがる」という特徴にある。本当に能がある人はむやみやたらに専門用語を使わずに話す相手が知らないならば対象が分かる言葉で説明するだろう。しかし意識高い系の人々はそこに配慮せず「専門用語を使う自分」に酔っているだけなのでただ難解なだけの話になってしまう。
そして専門用語を使えばいいと思っているだけなので日本語の言い換えの方が遥かに伝わりやすい場合でもカタカナの言葉をとにかく使おうとし、まさに芸人のルー大柴の「ルー語」のようになってしまうのだ。それもまた滑稽で馬鹿にされる要因のひとつになっている。
対義語?「意識低い系」
上記のように意識高い系が嫌悪される風潮の中、直球すぎる、実用性一点張り、ブランドに拘りがない等意識が高いといわれる要素の対極的な存在として「意識低い系」というものが存在する。食品に多い傾向がある。それらの特徴として
- 直球的な用語を使い、質より量を重視する傾向
「大容量」「業務用」「激安」「がぶ飲み」等誰もがその言葉を見てわかるようなフレーズだけを使い、とにかく通常よりたくさん、安いなどを大きな文字で説明する。 - 健康度外視、質が悪いのを隠さない
砂糖、脂肪分、炭水化物がたっぷり、カロリーが1食や間食で食べてもいい数値ではない。添加剤もたっぷりと、およそ健康や病気を気にする人は受け入れられないような成分を含んでいる。 - 有名ブランドの後追い、ノーブランド品
いわゆる世界的に有名なメーカーや商品に対して色合いや名前が似ているが会社は全くの別であるという商品が該当する。用途は同じだが価格はあきらかに安い傾向がある。
これらの商品はおよそ意識が高いと言われる人がおよそ手にしないようなイメージを持つことから「意識低い系」だと呼ばれている。意識高い系とは相いれないものだとみなされている。逆にいえばわかりやすい、価格や量を重視していることが明確、質は劣るのも明確だからそれを選択するのは自己責任であることから好む人もいる。もちろんこれらは一人や友人等で使用するのには問題がないが、公式な場などで用いると意識高い系を好む人より評価が下がる可能性がある。
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