慈照寺・観音殿銀閣 |
概要
京都東山は大文字山の麓にある臨済宗相国寺派の寺院。正式には「東山慈照寺」という。「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されている。
代表的建物である観音殿は通称「銀閣」として知られ、慈照寺の通称である「銀閣寺」もここからとられている。鹿苑寺の金閣と対に扱われることが多いが、金閣には金箔が貼ってあるのに対して、銀閣には銀箔が貼られているわけではない。恐らく幼少時に勘違いしていた人多数だと思われる。
「銀箔を貼る予定だったが資金不足により断念した」「銀箔を貼る前に義政が死去した」などの通説があるが、当時の禅宗やわびさびを基調にした文化などを鑑みて、もともと貼る予定がなかった可能性が高いともいわれる。
銀閣以外にも池泉回遊式の庭園も見所のひとつで、本堂(方丈)の前庭には白砂の砂盛り向月台や、波紋を表現した銀沙灘が見られる。ただし現在の庭園は江戸時代に改修されたもので、創建当時の姿とは異なる。
2008年2月から2010年3月まで、総事業費約1億4000万円をかけて観音殿(銀閣)の屋根葺き替え、内部の黒漆塗り、耐震補強などの工事が行われた。
歴史
応仁の乱が終わった直後の1482(文明14/延徳元)年、先代将軍であった足利義政が山荘・東山殿の建築を開始。翌1483年に義政は完成を待たずにここに移り住み、茶の湯や書画、華道などを楽しんだ。山荘の工事は義政が没した1490年まで継続された。なお観音殿銀閣が完成したのは義政の死後だった。
義政の没後、その遺言により東山殿は禅院・慈照院となり、翌1491年に慈照寺と改名された。
その後室町末期の戦乱によって銀閣と東求堂を残し消失、室町幕府の衰退とともに慈照寺も荒れ果てたが、江戸時代に入った1615(慶長20)年、丹波守であった宮城豊盛によって大改修が行われ、ほぼ現在の姿になった。
ギャラリー
観音殿銀閣と庭 |
銀閣寺の紅葉 |
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関連項目
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