戦後レジームとは、主に、第二次世界大戦に構築された体制(レジーム、仏:Regime)を指す。戦後体制。戦後国際政治を決定づけたものとして、ヤルタ会談・ポツダム会談を挙げ、ヤルタ・ポツダム体制(YP体制)ともいうことがある。具体的に、いつごろから使われだしたかは不明だが、日本政治史においては、第二次世界大戦直後のGHQによる占領政策やその後の冷戦構造期において主にアメリカから“押し付け”られた、社会制度・法体系について非難する意味合いをもって使われる。
言葉の由来
“戦後レジーム”という言葉を、いつごろから誰が言い出したかは不明だが、レジームという言葉は、フランス革命と関係したアンシャン・レジーム(旧体制)という言葉に由来する。この場合のアンシャン・レジームとは、フランス革命以前のブルボン朝の絶対王政政治を意味して使われる。
具体的には?
論者の立ち位置によって異なる。日本の戦後政治史においては、特にアメリカ合衆国の影響が大きいことは、立場を限定せずとも、政治家や学者たちに共有されている前提と言える。しかしながら、では何がアメリカ合衆国の影響で、何をどう直していくべきかは、百家争鳴と言える。
それでも、大雑把に言えば、日本国憲法、在日米軍や経済政策を中心とした対米関係についての論争であって、そこで大きく総論賛成各論反対が多々生じていると言える。
立場ごとに、レッテル貼りとも言われる言葉を挙げるとすれば、日本国憲法を自発的に作り上げた(アメリカ合衆国の影響を認めても、協力関係だった)と考えるものは、護憲派ないしは戦後民主主義者と呼ばれ、時には“一国平和主義”、“お花畑”と揶揄される。これは主に、日本国憲法第9条を指して、自衛隊は違憲、在日米軍も当然違憲、現在では少数派だが、ここからさらに非武装中立を唱える立場を採る。
反対に、日本国憲法は、GHQの指示によって書かれており、日本国の歴史と伝統が反映されておらず、さらに言えば占領政府によって押し付けられた憲法(押し付け憲法論)であり、無効であるから、即刻自主憲法制定すべきとする立場を採る。論理的には、非武装派や逆に革新派も入ると言えるが、政治的には国際政治でいう現実主義者、タカ派が多く、一般に保守派と言われる立場の人が、自主憲法制定を唱える。ただし、具体的な政策でいうと、自衛隊を自衛軍ないしは国防軍にすることまでは一致するものの、在日米軍については、駐留を積極的に認めて、対米関係をより深化させようとするもの、逆に在日米軍は一時的あるいは永久的に駐留を認めないか、そこまではいかなくても日米地位協定や日米安全保障条約をはじめとしたアメリカ合衆国との関係を一旦切断、是々非々で変えていくべきとする立場までバリエーションがある。こちらは、同じ保守派でも前者は、対米従属・アメポチと揶揄されたり、後者も自称は愛国者・真正保守というのもあるが、反米保守とその立場の現実性を問われることもある。
また、教育については、文部省(現・文部科学省)と日本教職員組合(日教組)といわれる保革を中心とした勢力が意見を分かつことがある。主に、保守派は、日教組を戦後教育を自由・平等・個人主義によって悪化させた、教科書採択において自虐的な教育を推進したと言い、革新派は、文部省を教科書検定により、歴史教育を歪ませたという。
経済政策については、牛肉オレンジ交渉に始まる、日米経済摩擦について、主に保守派が、自由貿易体制重視・関税交渉によって日米協調すべきとする立場なのに対し、主に革新派が、環境保護・産業保護・関税自主権を唱えて、日米協調について批判的・消極的になる。
ただし、必ずしも保革二元論にならず、反米保守といった立場もあるように、個別の課題によっては、意見が分かれることも往々にしてある[1] 。
主な批判者
- 安倍晋三 - 平成19年1月の第166回国会施政方針演説において、戦後レジームについて言及した。具体的には、戦後の成功体験に依拠せず、21世紀の社会に適応した体制を構築するべきとする旨を述べている。また、同じ施政方針演説では、「美しい国創り」をすべきとも述べている[2] 。 具体的には、憲法改正・自主憲法制定や、教育基本法改正が掲げられ、一部実現している。「安倍晋三」の記事も参照。
- 中曽根康弘 - 戦後レジームという言葉は使っていないが、「戦後政治の総決算」を主な政治スローガンに掲げていた。第102回国会では、対外的には世界の平和と繁栄に積極的に貢献する「国際国家日本」の実現を,また,国内的には21世紀に向けた「たくましい文化と福祉の国」づくりを目指すとした。具体的には、憲法改正・自主憲法制定や日米安全保障の強化、自衛隊増強を掲げ、一部実現化した。「中曽根康弘」の記事も参照。
- 西部邁 - 主に反米保守の立場から、安倍晋三の進めた政策を“戦後レジームの完成”と批判している[3] 。この場合、対米従属として戦後レジームが意味されている。
- 前泊博盛 - 日米地位協定を戦後レジームの原点にあるとして批判している。インタビューに、「自分の近くは嫌だけど、沖縄だったら仕方がない」という、沖縄の米軍基地に対する本土側の「無関心」について、「戦後レジームで形成され、潜在意識にしみこんでしまった禁忌」だと答えている[4] 。
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関連項目
戦後レジームについて、発言している人物
脚注
- *(1)第102回国会における中曽根総理大臣の施政方針演説
- *第166回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説
- *戦後レジーム完成せり 【流言流行への一撃】西部邁
- *覚え書:「沖縄から見えるもの:上 基地、本土に引き取れる?」、『朝日新聞』2017年02月14日(火)付。Add Star
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