抗日神劇(抗日神剧、カンリーシェンジュー)とは、中国で放映されている神ドラマである。
背景
現在の中華人民共和国では、日中戦争(1937~1945)を舞台にした抗日ドラマが盛んに製作されている。内容は現政府の中国共産党(八路軍)が醜悪で悪辣な日本軍を相手に一騎当千するというもの。当時日本軍と交戦していたのは最大派閥の中国国民党(中華民国)だが戦後の国共内戦で敵対したため存在自体が無かった事にされた。
政府に不利益を与える(と判断された)描写は中共によってことごとく検閲削除の目に遭う。それはテレビ業界も同じで、普通の恋愛ドラマやアクション物でも規制の対象になりうる。しかし中共を持ち上げる抗日ドラマならば同じ描写でも比較的許容される傾向にあり、また抗日ドラマは分かりやすい勧善懲悪であるため、高齢者から一定の視聴率が期待できるという製作陣にとって好ましいコンテンツであった。差し詰め中国版水戸黄門や暴れん坊将軍と言ったところか。このため日々様々な抗日ドラマが製作され、ゴールデンタイムに放送されたドラマ200本のうち、70本は抗日ドラマだった。規制が緩い、好き勝手できる、視聴率が取れる事から製作陣はこぞって撮影をするのだという。国内の反日機運が高まると製作本数も右肩上がりになるんだとか。
倒される日本兵役には中国人が起用されており一応雇用創出の側面を持っている。また日本人俳優が中国で活躍しようとした場合、まず最初に抗日ドラマへの出演が必要になるようで、池内博之氏はこれでブレイクして人気俳優に上り詰めた。言わば登竜門のような扱いである。
抗日ドラマの様式美なのか、主人公格の抗日グループも最後は全滅する事が多い。
抗日神劇
ところが製作陣がロクに時代考証もせずに見栄え重視で撮影した結果、ハチャメチャな抗日ドラマが多数誕生する事になってしまう。
抗日戦争中には存在していないはずの車や服装が当然のように登場するのは序の口、日本兵が暗視ゴーグルや米兵の装備を使っていたり(当時アメリカは中国を支援していたのでその武器を鹵獲したと解釈できるが、暗視ゴーグルは1945年にドイツが実用化したばかりで抗日戦争に間に合わない)、何故か黒人の日本兵が混じっていたりする事も。また珍妙な日本語を使ったり、1938年にも関わらず平成の日本の首相や女優の名が出てきたり、当時の人間が知りえないような事(「この戦争は後8年で終わる!」とか)を平気で言ってしまう。上記の「俺の爺さんは、9歳にして~」は抗日神劇を代表する突っ込みどころ満載の台詞として、中国国内からもネタにされている。
それだけに留まらず、抗日神劇の中国人は全員超人じみた身体能力が目立つ。具体例として、放たれた銃弾を肉眼で回避、投擲した手榴弾で敵機を撃墜、1人で日本兵をバタバタ倒す無双プレイ等々。また劇中の日本軍は男女平等化が進んでいるようで、女性兵士の姿も見受けられる。武術の達人で、超人主人公と渡り合える数少ない強敵ポジションの杉木純子少佐(2010年製作「抗日奇侠」)が代表的。美人なだけに人気が出たらしく、三部作全てに登場して敵対し続けたが、最後は抗日側に寝返るという破格の待遇を受けている。他にも美人スパイやセクシー衣装の工作員として女性兵士が起用されているが、とにかく超人的な中国人が圧勝する展開が大半を占める。
抗日神劇の中には、明らかに日本の作品をパクったと思われる怖いもの知らずな描写もある。日華事変の最中にホラー映画『リング』の貞子が登場し、優しくしてくれた中国人を殺害した日本軍を呪うというもの。さすがに著作権侵害だったためか、この作品は中共によって発禁処分にされた。作中に登場する日本人の名前に「小泉純一郎」「武田信玄」「黒崎一護」といったどこかで聞いた名前が出てきたりと、明らかに制作側が悪ノリしている作品も多い。エロチックな描写を盛り込んだものも混じっている。ストーリーそっちのけでエロに走るドラマもあり、日本兵が女性兵士を拷問にかけるシーンがSMにしか見えないなど規制が厳しいお国事情を窺わせる。
ただ過激なものは当局に規制・発禁されるようで、日本兵を真っ二つに裂く描写(抗日奇侠)や、妻の股間から取り出した手榴弾で自決する描写(一起打鬼子)は検査が入っている。また全裸の少女が共産党軍に敬礼するシーンは、国内からも「やりすぎ」だと言う非難が殺到した。
あまりに現実と乖離した描写が目立つため、当の中国共産党から苦言を呈されたり(例:国営通信社である新華社通信曰く、「低俗な趣味に迎合して視聴率ばかり追いかけた結果がこの有様だよ……!」)、実際に日本軍と戦った経験がある高齢の中国人が抗日ドラマを否定する発言をしたりしている。日本兵を弱く描きすぎて、かえって先人を冒涜しているとまで言われる始末である。若者層からの非難は多く、中共の機関紙である環球日報電子版では「(抗日ドラマで)恥をかいた」、中国青年報では「馬鹿馬鹿しい抗日ドラマは歴史の歪曲」と政府に近い報道機関が批判的な声を報じる異例の事態となった。
一部の若者からは、こういった荒唐無稽な抗日ドラマ全般は皮肉を込めて「抗日神劇」とも呼ばれる。「昔の英雄はウルトラマンより強かったんやなあ」「バットマンよりスゴい装備で戦っとるやんけ」などとネット上で馬鹿にされることもあるらしい。神のように強い中国人を何百人も相手にしているのに、ずっと戦えている日本軍も強いという声も聞こえてくるとか・・・。つまり、この「抗日神劇」という呼び名はこういった作品を批判した蔑称、ネットスラングに近い。
その一方で
抗日ドラマは勧善懲悪ものとして未だ高齢者層からは根強い人気がある。一方、変化球もある。
時勢によっては外交上の配慮として、日本軍の将校にイケメンを起用する事がある。例として「イップ・マン序章」に登場する「三浦」など(このキャラクターはニコニコ大百科に記事があるのだが……事情がありここではリンクを避ける)。抗日テイストだが、この三浦は高潔な武人として描かれている。時代考証や格闘シーンがしっかりしており、珍しく高いクオリティも手伝って見ごたえがある作品となった。日本兵役にイケメン日本人俳優を起用し、主人公の中国兵とともに反戦を訴える道徳的な内容のものも。
抗日ドラマの日本兵は女性を見るとすぐ強姦に走ったり、奇声を上げて当たらない鉄砲を撃ってはやられるだけの醜悪な存在として描かれているが、日本軍側でも物語が展開された例がある。「抗日奇侠」では、美人将校の杉木少佐に恋をする高島少佐が登場。杉木少佐も彼の前では本当の自分を見せられるなど、良い関係になりつつあった。しかし最終回、土肥原連隊長(悪辣な軍人。杉木・高島の両名からも良く思われていない)の凶弾から杉木をかばい、高島が戦死。激昂した杉木が「废物(廃物)」と罵るなど、物語の引き立て役になった事も。ちなみに土肥とは中国で山賊を意味する。
悪役もかっこよくしないと人気が出ないのか、日本軍将校を悪のカリスマのように描写する抗日ドラマが出始め、女性人気が伸びている。日本軍のコスプレをしだす女性も出てきたほど(共産党がすぐ禁止にしたが)。カンフー映画「ドラゴン怒りの鉄拳」は典型的な抗日映画であったが、リメイク作品「フィスト・オブ・レジェンド」では主人公の良き理解者として日本人を出すなどマイルドになったケースもある。
あまりにも荒唐無稽な作品が続出したため、2013年3月頃から規制が強化された。また習近平政権になってからは規制が更に強化され、先述のハチャメチャ抗日ドラマは数を減らしている。入れ替わりに時代考証をしっかりとした、戦争ドラマと言えるような作品が出始めた。抗日戦争終結75周年の節目となる2020年7月16日、中国のドラマや映画などを総括する国家広播局は「抗日戦争のドラマは常識に背き、歴史を面白おかしく解釈して過度に娯楽化しないように」という通達を出して釘を刺している。
今後の動向に注目したい。
関連リンク
- 抗日“神剧”频现荧屏,是艺术创作还是消费历史?-新华网 (新華社通信による「抗日神劇」の批判記事。2015年5月21日付け。)
関連項目
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