改易大名単語

カイエキダイミョウ

改易大名とは、徳政権下で何らかの事情によってそれまで治めていた領地を召上げられた大名のことである。ただ、ぶっちゃけそんな確固とした用でもなく、あくまでも便宜上のものであるので注意。なお厳密にいえば易ではないものの、利便性のこともあり減封についてもここでまとめる。

豊臣政権以前の大名については定義などがややこしいのでここでは触れない。

関ヶ原の戦い関係

大名名 出自 領地 内容 備考
慶長5年8月 織田秀信 織田嫡流 岐阜 13万3千石→×
佐藤方政 上有知 2万石→× 後に大坂夏の陣で討ち死に
高木守之 高須 1万石→× 後に食客
丸毛兼利 福束 2万石→× 後に前田
山口 大聖 5万石→× 自領防衛中に自害
山口 長男 加賀 1万3千石→× 父親と同じく自害
9月 大谷吉継 6万石→× 戦中に自害
木下頼継 吉継次男 越前 2万5千石→× 敗走後病死
島津豊久 佐土原 2万8千石→本家領に編入 本戦で戦死
戸田勝成 安居 2万石→× 本戦で戦死
平塚為広 美濃国 1万2千石→× 本戦で戦死
松浦秀任 井生 1万石→× 大津で戦死
9月以降 青木一矩 豊臣秀吉従弟 20万石→× 直後に死亡し、子孫は大坂夏の陣で戦死
青山宗勝 4万6千石→× 子孫は二本
赤座直保 2万石→× 子孫は加賀
赤松則英 赤松氏嫡流…? 住吉 1万石→× 自害
荒木重堅 荒木村重 若狭 2万石→× 自害
安国寺恵瓊 伊予 6万石→× 斬首
池田秀氏 近江佐々木 2万石→× 子孫は旗本
池田長政 池田恒興4男 不明 1万石→× 後に池田輝政
石川貞清 真田信繁婿 1万2千石→× 戦後は商人に
石川貞通 山城内等 1万2千石→× 子孫は盛
石川頼明 播磨内等 1万2千石→× 切腹
石田正継 石田三成 近江 3万石→× 佐和山城の際自害
石田正澄 石田三成 近江内など 1万5千石→× 佐和山城の際自害
石田三成 五奉行 佐和山 19万7千石→× 斬首
伊東盛正 大垣 3万石→× 子孫は加賀
上田重安 越前 1万石→× 子孫は長男が旗本、次男が広島
宇喜多秀家 五大老 岡山 57万4千石→× 八丈島に流罪
氏家行広 氏家卜全 桑名 2万2千石→× 後に大坂の陣自害
氏家行継 氏家行広 近江内等 1万5千石→× 子孫は熊本
多頼忠 石田三成 大和 1万3千石→× 佐和山城の際自害
岡本 亀山 2万2千石→× 自害
小川祐忠 今治 7万石→×
織田秀雄 織田信雄 大野 5万石→× 信雄本人は後に大名となり、4男の織田信良、5男の織田高長の系がとなる
小野寺義道 仙北小野寺 横手 31600石 和野に流罪
垣屋恒総 旧山名 1万石→× 本人は自害、子孫は紀伊
糟屋武則 七本 加古 1万2千石→× の子孫が旗本
秀長 苗木 1万石→× の子孫が旗本
岸田忠氏 岸田 1万石→× 子孫は盛
木下一元 不明 1万石→×
木下勝俊 木下長男 6万2千石→× 東軍だが敵前逃亡、後にの領地を継承
木下俊房 木下定次男 3万石→× 子孫は足守
木下延重 播磨 2万石→×
木村秀望 不明 1万4千石→× 後に大坂夏の陣で討ち死に
木村由信 北方 1万石→× 大垣で討死
小西行長 24万石→× 斬首
新庄直頼 高槻 3万石→× 後に麻生
若氏宗 田辺 1万9千石→×
高田治忠 丹波 1万石→×
多賀秀種 堀秀政 2万石→× 子孫は加賀
田丸直 岩村 4万石→×
寺田 大和 1万5千石→×
寺西是成 伊勢 1万7石→× 子孫は二本
寺西直次 伊勢内等 1万石→× 子孫は前田
中江直澄 不明 1万石→×
長束正家 五奉行 水口 5万石→× 自害
南条元忠 伯耆南条氏 羽衣石 6万石→× 大坂冬の陣中殺
丹羽長重 丹羽長秀 小松 125400石→× 後に二本
丹羽長正 丹羽長重 東郷 5万石→× 子孫は二本
服部正栄 近江内等 1万石→×
早川長政 府内 2万石→×
原勝胤 太田 3万石→× 自害
堀内氏善 新宮 2万7千石→× 子孫は旗本
田広定 1万石→× 後に浅尾
増田長盛 五奉行 20万3千石→× 息子増田盛次の大坂の陣参戦で切腹
溝江長[1] 1万7石→× 子孫は
毛利勝信 小倉 6万石→× 息子毛利勝永
矢部定政 不明 1万石→×
山崎定勝 竹原 1万石→×
横浜茂勝 播磨 1万7千石→×
10月 奥山正之 越前 1万1千石→× 剃髪
小野木重勝 福知山 4万石→× 自害
吉川広家 毛利一門 富田 14万2千石→3万石 毛利臣に
斎村政広 赤松氏 竹田 2万2千石→× 自害
高橋直次 立花宗茂 内山 1万8千石→× 後に三池
滝川雄利 神戸 2万石→× 後に片野
立花宗茂 132200石→× 後に
広門 山下 1万8千石→× 子孫は旗本
宮部長房 鳥取 13万1千石→× 子孫は盛
毛利輝元 広島 120万5千石→36万9千石 長州
毛利秀元 山口 20万石→5万石 府中
毛利秀包 久留米 13万石→× 子孫は長州
11月 長宗我部盛親 22万2千石→× 大坂の陣斬首
前田利政 前田利長 七尾 21万5千石→本家領に編入
12月 真田昌幸 上田 3万8千石→真田信之領に編入
慶長5年内 相馬義胤 中村 6万石→× 中立組で、後に中村
慶長6年2月 多賀重経 下妻 6万石→× 中立組で子孫は越前平氏
8月 上杉景勝 会津 120万石→30万石 米沢
慶長6年内 岩城 佐竹義宣 磐城 12万石→× 子孫は亀田
山川 山川 2万石→×
慶長7年5月 佐竹義宣 水戸 545800石→205800石 秋田

徳川家康期

大名名 出自 内容 理由 備考
慶長5年1月 依田 譜代 藤岡 3万石→× 子孫は福井
慶長5年 木曽義利 信濃木曽 知戸 1万石→× 叔父
慶長5年7月 加賀野井秀望 加賀野井 1万石→×
慶長6年6月 桜井平氏 松山 忠頼 家老
慶長6年10月 日根野高吉 高島 壬生1万9 嗣子幼少
慶長7年10月 小早川秀秋 木下定5男 岡山 51万石→× 嗣断絶
慶長8年9月 武田信吉 徳川家康5男 水戸 15万石→× 嗣断絶

徳川秀忠期

大名名 出自 内容 理由 備考
慶長12年3月 天野 譜代 1万石→× 臣が農民殺傷 子孫は旗本
松平忠吉 徳川家康4男 清州 52万石→× 嗣断絶
7月 稲葉通孝 稲葉貞通息 豊後 臼杵編入
12月 稲葉通重 稲葉重通息 清水 1万2千石→× 婦女 子孫は稲葉正勝
津田信成 津田 御牧 1万3千石→× 婦女
慶長13年6月 筒井定次 上野 20万石→× 不行跡 大坂の陣の際切腹
前田茂勝 前田玄以 八上 5万石→× 発狂 預かり
慶長14年3月 小笠原吉次 3万石→× 不正
5月 中村忠一 中村一氏 米子 17万5千石→× 嗣断絶
9月 木下勝俊 木下長男 足守 2万5千石→× 幕命違反
忠頼 桜井平氏 浜松 →8千石 子孫は尼崎
水野忠胤 水野勝成 三河 1万石→× 臣が忠頼殺 切腹
慶長14年内 桑山清 山元長男 谷川 →御所編入 勘気
慶長15年2月 忠俊 秀治息 福島 30万石→× 臣の争論に連座 子孫は加賀士、堀秀政の子孫自体は親良の系統が生き残る
慶長16年10月 金森 金森長近 美濃国 2万石→× 嗣断絶
12月 平岩親吉 12万3千石→× 嗣断絶
慶長173月 有馬晴信 肥前有馬 日野 有馬直純 岡本大八事件
11月 忠清 平氏 吉田 →5千石 子孫は交代寄合
慶長18年1月 山口重政 武蔵内等 1万5千石→× 幕法違反 子孫は
8月 青山成重 飯田 3000石 大久保長安に連座 子孫は旗本
9月 大久保忠佐 大久保忠世 沼津 2万石→× 嗣断絶
10月1日 里見義英 里見義康 1万石→× 勤務不良 子孫は庄内
10月8日 富田信高 富田一白
妻は宇喜多
12万石→× 坂崎直盛と争論 子孫は長男水戸士、次男が旗本
10月19日 石川康長 石川数正 松本 6万石→× 大久保長安に連座 毛利預かり
10月24日 高橋元種 秋月種実次男 延岡 5万石→× 富田信高に連座 子孫は二本
10月25日 石川康勝 石川康長 信濃 1万5千石→× に連座 後に大坂夏の陣で討ち死に
慶長19年1月 大久保忠隣 小田原 6万5千石→× 幕法違反 孫が許され大名位を維持
8月 佐野信吉 富田信高
佐野氏を継承
佐野 3万9千石→× に連座 子孫は旗本
9月 里見忠義 里見義康息 館山 →倉吉3万石 大久保忠隣に連座 事実上大名としての安房里見氏の滅亡
慶長年中 千代 秀治息 蔵王 3万石→× 嗣断絶
元和元年5月 豊臣秀頼 大坂 657400石→× 大坂の陣 自害
6月 古田重然 不明 1万石→× 豊臣方内通 自害
福島 福島正則 3万石→× 不法
6月 織田信重 織田信包 1万石→× 遺領争論
11月 藤田信吉 西方 1万5千石→× 大坂の陣失策
元和2年7月 松平忠輝 徳川家康6男 高田 60万石→× 不行跡など 配流
7月以降 本多正重 本多正信 下総 →8千石 養子相続 子孫は田中
9月 坂崎直盛 宇喜多忠家長男 和野 4万石→× 坂崎直盛事件 子孫は小
12月 成田長忠 武蔵成田 →1万石 嗣子幼少
元和3年6月 里見忠義 旧館山 倉吉 人扶持 池田政領編入
元和4年4月 村上忠勝 村上頼勝養子 9万石→× 御家騒動
7月 関一政 伊勢関氏 →5千石 御家騒動 子孫は旗本
12月 近藤政成 堀秀政4男
近藤重勝養子
信濃内など →5千石 嗣子幼少
元和5年6月 福島正則 広島 高井野4万5千石 幕法違反
8月 奈忠勝 小室 1100石
10月 土岐定義 明智土岐 高槻 相馬1万石 嗣子幼少 後に上山
元和6年3月 長勝 三条 近江内等2万石 子孫は仁正寺
8月 田中忠政 田中吉政 32万石→× 嗣断絶
9月 福島正則 広島 高井 →2万石 嗣子死亡
元和8年8月 最上義俊 最上義光 山県 大森1万石 御家騒動
10月 本多正純 宇都宮 15万5千石→× 勤務不良 子孫は旗本
元和8年中 成田氏宗 成田長忠息 1万石→×
元和9年2月 忠直 結城秀康 福井 高田26万石 不行跡
4月 西尾嘉教 2万5千石→× 嗣断絶
本多紀貞 本多康重流 白井 1万石→× 嗣断絶
6月 内藤清政 内藤清成流 安房 3万石→× が2万石で継承

徳川家光期

大名名 出自 内容 理由 備考
元和9年9月 田中吉官 田中養子 近江内等 2万石→× 部下に連座 子孫は旗本
10月 青山忠俊 岩槻 →大多喜2万石 勘気 子孫は篠山
寛永元年7月 福島正則 高井 →3千石 死後処理 子孫は旗本
寛永2年 滝川正利 滝川雄利息 片野 →2千石 病弱 子孫は旗本
寛永3年4月 吉直 信濃 1万石→× 嗣断絶
8月以降 重忠 能見平氏 上山 三田3万石 養子相続
寛永4年2月 生忠郷 蒲生氏郷 会津 松山24万石
寛永5年1月 松下重綱 松下之綱(嘉兵衛)息 二本 →三3万石 嗣子若年
2月 徳永 徳永寿 高須 53700石→× 勤役怠慢 子孫は旗本
別所吉治 播磨別所氏 2万石→× 勤役怠慢 子孫は旗本
寛永7年3月 酒井直次 酒井忠次 左沢 1万2千石→× 嗣断絶
6月 桑山貞 山元 御所 26300石→× 子孫は旗本
寛永7年内 内藤正勝 内藤清成 安房 →5千石 嗣子幼少 子孫は高遠
寛永8年7月 織田長則 織田長益 野村 1万石→× 嗣断絶 加賀
8月 池田政綱 池田輝政5男 池田 嗣断絶
三浦重勝 下総 1万石→× 嗣断絶
寛永9年1月 菅沼 奥平信昌
菅沼平氏
加納 10万石→×
4月 坂安信 脇坂安治3男 美濃国 1万石→× 傷事件に連座
6月 加藤忠広 加藤清正 熊本 →丸1万石 幕法違反
8月 最上義俊 山形 大森 →5千石 嗣子幼少 子孫は交代寄合
10月 忠長 徳川家光 駿府中 55万石→× 不行跡 自害
寛永10年5月 酒井重澄 金森可重息 生実 2万5千石→× 勤務不良 自害、子孫は旗本
9月 尾忠 尾忠氏息 24万石→× 嗣断絶
寛永11年2月 竹中重義 竹中重利息 豊後府内 2万石→× 長崎奉行の際の不正
8月 生忠知 会津 松山 24万石→× 嗣断絶
寛永13年7月 鳥居忠恒 鳥居元忠 山形 →高遠3万2 不法養子
寛永14年7月 本多政武 本多 高取 2万5千石→× 嗣断絶
12月 極忠高 極忠次息 6万石
寛永15年4月 寺沢堅高 寺沢広高息 →8万石 原の乱
倉勝 4万石→× 原の乱 死罪
11月 片桐孝利 片桐且元 →1万石
佐久間安次 佐久間安政孫 飯山 3万石→× 嗣断絶
成瀬之虎 家老 1万6千石→× 嗣断絶
寛永175月 真田之助 真田信之 沼田 叔父真田信政、真田信利に分与 嗣断絶
本多千代 本多正信 皆川 2万8千石→× 嗣断絶
7月 池田 池田輝政4男 山崎 鹿野1万石 御家騒動
生駒高俊 生駒親正曾孫 高松 矢島1万石 御家騒動 子孫は交代寄合
寛永18年9月 池田長常 池田長吉孫 松山 6万5千石→× 嗣断絶
寛永19年3月 直定 直政曾孫 村上 10万石→× 嗣断絶
寛永203月 那須資重 下野那須 那須 →5千石
直盛息 小野 →1万石
5月 加藤明成 加藤嘉明 会津 吉永1万石 御家騒動
加藤明利 加藤明成 二本 →3千石 に連座 この時点ではすでに没後
正保元年8月 松下長綱 松下重綱息 3万石→× 発狂 子孫は旗本
12月 平松平氏 播磨 3万石→× 嗣断絶
正保2年3月 池田 池田輝政6男 2万5千石→× 発狂
5月 杉原重長 杉原次孫 →1万石
6月 皆川成郷 下野皆川 常陸府中 1万3千石→× 嗣断絶
正保4年2月 真田信重 真田信之3男 信濃 1万7千石→真田信之 嗣断絶
11月 寺沢堅高 8万石→× 自害嗣断絶 原の乱の波及
慶安元年1月 菅沼定昭 野田菅沼 亀山 二人に1万石 それぞれ子孫が交代寄合、旗本
平氏 小諸 那須1万石
6月 古田重恒 古田重勝息 浜田 5万5千石→× 御家騒動
6月以降 内藤信広 内藤信成次男 上野内等 →8千石 部下に連座
8月 稲葉紀通 稲葉重通流 福知山 45700石→× 自害 息子も後に死亡し、断絶
慶安3年6月 本多勝行 本多忠勝 大和 本多政勝 嗣断絶
9月 織田信勝 織田信包 柏原 →3千石 嗣断絶 叔父の子孫が旗本

徳川家綱期

大名名 出自 内容 理由 備考
慶安4年7月 定政 平氏 刈谷 2万石→× 発狂 子孫は旗本
承応2年6月 加藤忠広 熊本 1万石→× 嗣断絶
7月 平岡頼資 平岡頼勝息 徳野 →1千石 遺領相続総論 子孫は旗本
10月 杉原重玄 竹中重門孫
杉原重長養子
1万石→× 嗣断絶
2年2月 片桐為次 片桐且元 →3千石
4月 日根野吉明 豊後府内 2万石→× 嗣断絶
3年 山崎治頼 山崎盛曾孫 4万4千石→× 嗣断絶 伯父系が交代寄合
万治元年12月 北条氏重 保科
玉縄北条氏を継承
掛川 3万石→× 嗣断絶
万治3年11月 堀田正信 堀田正盛息 佐倉 →1万俵 幕法違反 子孫は宮川
寛文4年6月 上杉綱勝 上杉景勝 米沢 →15万石
寛文5年3月 重利 能見平氏 皆川 1万5石→× 嗣断絶
7月 直盛孫 西条 2万5千石→× 勤役怠慢
寛文6年5月 極高 高知 78200石→× 親不孝・失政 子孫は高家
寛文7年5月 水野元知 水野忠分流 安中 →2千俵 発狂 子孫は旗本
寛文8年2月 高長 清長曾孫 4万石→× 苛政 子孫は旗本
8月 奥平信昌 宇都宮 山形9万石 幕法違反
12月 酒井忠解 酒井忠次曾孫 大山 1万石→× 嗣断絶
寛文10年3月 池田邦照 池田重利流[2] 新宮 →3千石 子孫は旗本
寛文11年4月 伊達宗勝 伊達政宗10男 一関 仙台 御家騒動
延宝元年5月 越前
延宝3年5月 土井利久 土井利勝孫 古河 →7万石
延宝4年6月 新庄直矩 新庄直頼曾孫 麻生 →3千石 不法養子 新庄直時[3]による再が認められる
延宝5年6月 土井利直 土井利勝5男 大輪 →5千石 不法養子 子孫は旗本
延宝7年4月 池田恒行 岡山 山崎 3万石→× 嗣断絶
8月 土屋直樹 土屋恒曾孫 久留里 →3千石 発狂 子孫は旗本
11月 戸川秀安子孫 庭瀬 →4千石 子孫は交代寄合
12月 通周 利重流を継承 玉取 →3千石 発狂 子孫は旗本

徳川綱吉期

大名名 出自 内容 理由 備考
延宝8年7月 内藤忠勝 内藤忠政流 32200石→× 永井尚長に
永井尚長 永井尚勝曾孫 新庄1万石 内藤忠勝に殺
天和元年2月 加々直清 石川成流
加々上杉氏を継承
掛塚 1万3千石→× 界論争
6月 越前平氏 高田 →1万俵 御家騒動 子孫は
11月 真田信利 真田之助 沼田 3万石→× 勤役怠慢
12月 酒井 雅楽 田中 4万石→× 酒井忠清に連座 6月御家騒動の波及、子孫は旗本
天和2年2月10日 板倉重種 板倉 →坂木5万石御家騒動
近栄 越前平氏 広瀬 →1万5千石 長に連座 最終的に石高は元に戻る
直矩 越前平氏 姫路 →日田7万石 長に連座 最終的に石高は元に戻る
2月22日 本多利長 本多康重流 横須賀 村山1万石 失政
本多政利 本多忠勝 明石 大久保1万石 失政
5月 桑山一尹 桑山重子孫 新庄 1万千石→× 勤務中不敬
天和3年5月 綱吉息 館林 25万石→× 嗣断絶
貞享元年7月21日 土方 土方雄久曾孫 窪田 1万8千石→× 御家騒動
7月30日 有馬 小出
摂津有馬氏に養子入り
松崎 1万石→× 土方に連座
8月 稲葉正休 稲葉正成孫 青野 1万2千石→× 堀田正俊に
11月 重治 能見平氏 佐貫 1万5千石→× 不正 子孫は旗本
貞享3年3月 越前平氏 福井 25万石 発狂
貞享4年8月 溝口政親 加藤嘉明曾孫
溝口氏に養子入り
1万石→× 不行跡
10月 那須資徳 津軽氏
那須氏に養子入り
2万石→× 不法養子 子孫は交代寄合
元年5月 佐久間勝茲 秋月
佐久間勝之流を継承
長沼 1万石→× 違背
9月 堀田正英 堀田正俊 北条 →5千石 遺領相続問題
2年2月 喜多見重政 喜多 2万石→× 勤務不良
6月 坂本重治 上野内等 2200石 勤務不良
本多忠周 本多忠勝 足助 →7千石 勤務不良
8月4日 山内豊明 土佐山内氏分 中村 3万石→× 違背
8月10日 鳥居忠則 鳥居元忠曾孫 高遠 下村1万石 臣に連座 子孫は壬生
5年5月 遠藤常久 美濃遠藤 郡上 常陸内1万石 子孫は三上
7月 平松平氏 白川 山形10万石 御家騒動
6年6月 本多政利 本多忠勝 大久保 1万石→× 不行跡
11月 忠之 藤井平氏 古河 →2万石 発狂 子孫は上山
12月9日 西郷寿員 上田 →5千石 勤務不良
12月21日 水谷勝美 水谷勝俊曾孫 松山 →3千石 子孫は旗本
8年2月 織田信武 織田信雄曾孫 松山 柏原2万石 自害
3月 本多重益 本多重次 43300石→× 失政 子孫は旗本
9年7月 長武 森可成 新田 養子病弱
8月 小出 小出秀政子孫 陶器 1万石→× 嗣断絶
10月 小出英及 小出秀政子孫 出石 4万5千石→× 嗣断絶
10年8月 長成 長武甥 →西江原2万石 養子発狂 子孫は
11年5月 水野勝岑 水野忠重 中津 →4万石 不行跡
9月 伊丹勝守 徳美 1万石→× 発狂
12年10月 伊達村和 伊達政宗曾孫 中津 仙台 旗本と争論
14年3月 浅野長矩 浅野長政子孫 5万石→× 吉良義央に 忠臣蔵
15年6月 丹羽氏音 丹羽氏次流 岩村 →越後内1万石 御家騒動
8月 忠充 平氏 長島 →6千石 発狂 子孫は旗本
宝永2年12月 直勝流 掛川 →与2万石 発狂

徳川家宣期

大名名 出自 内容 理由 備考
宝永6年2月 前田 大聖 大聖新田 1万石→× 織田秀親に 切腹
9月 本多忠孝 本多忠勝嫡流 村上 →5万石
正徳元年11月 宗胡 平氏 2万石→× 嗣断絶
正徳2年7月 屋代忠位 朝倉在重流
屋代氏を継承
北条 →3千俵 苛政

徳川家継期

大名名 出自 内容 理由 備考
享保元年4月 毛利元次 毛利 徳山 長州 界争論 3年後に再された

徳川吉宗期

大名名 出自 内容 理由 備考
享保元年10月 小笠原長邕 深志小笠原 中津 →安志1万石
享保3年4月 毛利元矩 毛利秀元子孫 府中 長州 嗣断絶 直後に分の清末に再された
享保4年5月 浅野長経 三次 広島 嗣断絶
享保5年4月 黒田長清 直方 福岡 嗣断絶
6月 浅野長寔 三次 広島 嗣断絶
享保7年11月 本多忠村 本多忠勝 →5万石
享保8年11月 本多 本多忠村 5万石→× 嗣断絶
享保9年10月 内田正偏 鹿 →小見1万石 発狂
享保10年8月 水野忠恒 水野忠清流 松本 →7千石 発狂 子孫が沼津
享保11年9月 極高寛 高知 →1万5千石
11月 五郎 越前平氏 →5万石
享保14年8月 氏連枝 嗣断絶

徳川家重期

大名名 出自 内容 理由 備考
延享2年10月 大給平氏 佐倉 山形6万石 越権
元年10月 植村 勝浦 →2千俵 虚偽報告
5年2月 安藤信尹 加納 →5万石 不行跡
8年10月 本多忠央 相良 1万石→× 不正
12月 金森頼錦 郡上 38700石→× 郡上

徳川家治期

大名名 出自 内容 理由 備考
天明6年8月 稲葉正明 館山 →1万石 上意違反 田沼意次免職と連動

徳川家斉期

大名名 出自 内容 理由 備考
天明6年10月 田沼意次 相良 →3万7千石 失政
天明7年10月 田沼意次 相良 下村1万石 在職中の不正
天明8年5月 小堀政方 小室 1万6石→× 伏見奉行中の不正
文化14年11月 酒井忠全 姫路新田 姫路 嗣断絶
保6年 仙石久利 出石 →3万石 御家騒動

徳川家慶期

大名名 出自 内容 理由 備考
保12年4月 忠英 →1万石 勤務不良 斉没と連動
化2年9月 飯田 →1万7千石 勤務不正 水野忠邦失脚と連動
水野忠邦 浜松 山形5万石 勤務不正 老中辞職後の失脚

幕末~明治維新関係

大名名 出自 内容 理由 備考
安政6年10月 本郷泰固 →5千石 勤務不良
文久2年8月 久世広周 関宿 →5万8千石 勤務不正 安藤信正失脚と連動
8月 酒井忠義 103500 勤務不良 安藤信正失脚と連動
11月 安藤信民 安藤信正息 磐城 →3万石 在職中不正
井伊直弼 25万石 在職中不正
久世広文 久世広周息 関宿 →4万8千石 在職中不正
間部詮勝 →4万石 在職中不正 井伊直弼
元治元年10月 頼徳 宍戸 頼位 天狗党加担 死罪
12月 親義 飯田 →1万5千石 勤役怠慢 関所を天狗党に通過されたもの
慶応元年1月 戸田忠恕 宇都宮 →5万石 臣が天狗党加担
慶応2年5月 毛利慶親 実行されず 禁門の変
明治元年9月 大久保忠礼 小田原 →7万5千石 戊辰戦争で佐幕
12月 阿部正静 棚倉 →6万石 奥羽越列藩同盟
板倉勝尚 福島 →重原2万8千石 奥羽越列藩同盟
岩城 亀田 →1万8千石 奥羽越列藩同盟
上杉 米沢 →14万石 奥羽越列藩同盟
織田信敏 →1万8千石 奥羽越列藩同盟
久世広文 関宿 →4万3千石 佐幕義隊合流
酒井忠篤 庄内 →12万石 戊辰戦争敗退 奥羽越列藩同盟ではない
酒井忠良 松山 22500石 奥羽越列藩同盟
田村邦栄 一関 →2万7千石 奥羽越列藩同盟
伊達慶邦 仙台 28万石 奥羽越列藩同盟
内藤政養 長谷 →1万4千石 奥羽越列藩同盟
南部利剛 →13万石 奥羽越列藩同盟
南部信民 新田 →1万石 奥羽越列藩同盟
丹羽 二本 →5万石 奥羽越列藩同盟
林忠崇 請西 300 奥羽越列藩同盟
本多忠紀 →1万8千石 奥羽越列藩同盟
牧野忠訓 長岡 →2万4千石 奥羽越列藩同盟
容保 会津 →斗南3万石 戊辰戦争敗退 奥羽越列藩同盟ではない
信庸 藤井平氏 上山 →2万7千石 奥羽越列藩同盟
水野勝知 結城 →1万7千石 戊辰戦争で佐幕的行為
明治2年8月 板倉勝静 松山 →2万石 戊辰戦争で佐幕的行為
定敬 平氏 桑名 →6万石 戊辰戦争で佐幕的行為

関連項目

脚注

  1. *大名かどうか見解が分かれる
  2. *男系は下間頼の子孫
  3. *中継ぎで養子となっていた先代

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改易大名

1 ななしのよっしん
2016/01/17(日) 18:25:37 ID: uKmEmlVzl4
易と減封は別物だと思うけど、ここに載せていいものかな
大名としてが残る減封と全にアウト易では話が全然違うと思うんだけど。
2 作成者
2016/01/17(日) 21:21:27 ID: Iox7eaFcqu
>>1
そこらへんに関してはまだ迷ってるのですが、新しく記事たてるのも…って感じで…(転封と違って全にペナルティなのは同じですし、実際易なのか減封なのか微妙ケースもちらほらありますし)

とりあえず当面は概要でちゃんと説明するか、最悪記事名を変えるかで対応しようと思います
3 ななしのよっしん
2017/09/07(木) 20:28:39 ID: qM/eYdb+5j
易されたあとは何になってたの?下級武士
4 ななしのよっしん
2018/11/06(火) 15:08:58 ID: y6InGe/sBI
大名本人は不祥事易の場合は、お預け先の親類のでそのまま死去(水野忠恒ら)。本人の
返り咲きは立花宗茂らい。子孫が預かり先の臣になったり旗本になったりは多い。

臣たちは再仕官の口がないが旧領に残りたいのなら農民または町民格(浪人江戸
行かないとダメ?)。佐賀みたいに暇を与えられても生活出来るように配慮してた
あるが、どのみちごと消えれば士分扱いは期待出来ない。

穂浪士のほとんどが再仕官は理だが、かと言って足軽のように帰農するのも良しと
しない下級武士だったのはこの辺が理由だと言う話もありますね。

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2019/08/22(木)11時更新