「救世主はどこにおわしますか?」
「食堂(めしや)。」
…以降はそれなりに真面目に書くのでご寛恕願いたい(そもそもコデックス14は存在しない、念のため)。
救世主とは、神に遣わされて人々の苦難を救う者、特にアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)におけるものを言う。
概要
「メシア」とはヘブライ語の「マーシアハ」を慣用的にカナ表記した呼び方である。ラテン文字転記で「Messiah」、英語読みでは「メサイア」となる。
原義は「油注がれたるもの(油塗られたるもの)」で、この場合の油とは祭祀に用いられる香油のことである。つまりユダヤ教におけるメシアとは、香油を塗られた(神に祝福された)祭祀者・ユダヤ民族の王を指す。
メシアに対応するギリシア語が「クリストス」であり、「イエス・キリスト」とはナザレのイエスとして知られる人物にこの称号をつけた形(が日本語的に転訛したもの)である。ここでは「イエス・キリスト」と言う呼び方自体にイエスを救世主として認める立場が含まれている。ユダヤ教内部の一種のカルト運動として出発したキリスト教とユダヤ教の本流との決定的な違いはそこにあり、キリスト教においては「救世主イエス」(イエス・キリスト)が既に降臨したと見なすのに対し、伝統的なユダヤ教(メシアニック・ジュダイズムなどの例外を除き)ではユダヤ民族の救い主たるメシアはいまだ降臨していない、と見なしている。
ユダヤ教・キリスト教の伝統を部分的に引き継いで成立したイスラム教においても、イエス・キリストは救世主(マスィーフ)であるとされており、ムハンマドに先行する神の使徒であり預言者と位置づけられている。また、イスラム共同体の救世主(救い主・指導者)を言う場合は「マフディー」と言う語が用いられる。
苦難の時代において神から救世主が遣わされ人々を救う、と言う概念は抑圧・弾圧された集合的記憶を持つ宗教に広く見られる。こうした救世主の概念はまた、終末論及び黙示思想の根幹部分をなす。黙示録的な終末論においては、救世主が降臨(或いは再臨)し、正しき人々を救済するとされる。これは、「なぜ善なる神が創りたもうた世界が邪悪と罪に満ちているのか?」「なぜ一度救世主が降臨したにもかかわらず(我々の)世界は苦難に満ちているのか?」というアブラハムの宗教に付き物の疑問に対する便宜的な回答でもある。
関連項目
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