文明堂とは、屋号の一。巷ではカステラの文明堂が有名である。
どちらの文明堂カステラに御用でございますか?
カステラをつくっている文明堂も、長崎にあった店が暖簾分けの形で日本各地に分散していった。いわゆるフランチャイズチェーンの形をとらなかったため、製法が統一されておらず各店で微妙に味が違ったり、同じ文明堂の看板を掲げながら同地でライバル関係にあったりなんてこともある。
テレビCMも各地域の文明堂で別々のものがつくられているが、特に「カステラ一番、電話は二番、三時のオヤツは文明堂」の豆劇場CMは本場長崎では一切流れない為、長崎県では豆劇場を知らない人も多い。ただし、電話番号に関しては電話は二番のキャッチコピーに倣い、0002や0022等と2が目立つ番号で通すのは共通のようである。
カステラ一番、電話は二番
「電話は二番」というフレーズは東京文明堂の初期の経営者である宮崎甚左衛門が大きく関わるようになる。電話がある程度普及した時に宮崎が電話番号の下四桁の語呂合わせに興味を持っており、耳鼻咽喉科だと3387(みみはな)、花屋だと0878(はなや)などといったわかりやすい電話番号に関心を示していた。
昭和の初めにとあるデパートの社員から「大阪に『肉は一番(2981番)、電話は二番(0002番)』と宣伝しているすき焼き屋(本みやけ)がある」ということを宮崎は聞いて、早速タクシーの運転手に「運転手さん『肉は一番、電話は二番』という店があるそうだが、そこへ行ってくれたまえ」というと運転手が「ああ、宗右衛門(店名)の本みやけ(すき焼き屋)でしょう」と言って、本みやけに案内され、店員との会話から電話番号の語呂を強く気にするようになったと本人が語っている[1]。
そこから「電話は二番『0002番』」を意識するようになり、麻布店を0002番を獲得したものの戦争の影響で麻布店の0002番を手放すことになったが、新宿店の0002番を獲得してからは東京の各店舗も0002番を獲得し、銀座店では当時100万円(現在でいうと200万円から600万円ほど[2])を支払って獲得して、東京にある主要5店舗を0002番で統一するようになった。
文明堂の電話番号が実際に「2」一桁のみだった事を指している[3]。当時としてはかなり先進的な会社だといえる。
関連動画
関連項目
脚注
- *「オール生活」のインタビュー記事が原典だが、わかりやすくするために多少改編しております。
- *2倍については「企業物価指数」の「戦前基準指数」の基で計算。6倍は「消費者物価指数」で「持家の帰属家賃を除く総合」の基で計算。
- *現在は0002番が獲得できない時は0022番や0222番辺りも獲得している。
- 4
- 0pt