新党大地 | |
しんとうだいち - New Party DAICHI |
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基本情報 | |
公用語名称 | 新党大地 |
国・地域 | 日本 |
本部所在地 | 北海道札幌市中央区 |
成立年月日 | 2005年8月18日 |
解散年月日 | -- |
機関紙 | -- |
国際組織 | -- |
シンボル | -- |
公式サイト | daichi.gr.jp |
政党・政治団体テンプレートボックス |
概要
自民党を離党した鈴木宗男らによって結成された北海道の地域政党であり、基本的に道外では活動していない。
道内では一定の影響力を持っており、2005年・2009年の総選挙では、いずれも比例北海道ブロックで約43万票を獲得、衆議院に1議席を得ている。ただし法律上の要件(所属国会議員5名以上又は直近国政選挙で全国得票率2%以上)を満たした「政党」ではない。国会では民主党と統一会派を組み、菅内閣の閣外協力与党として活動している。
代表である鈴木宗男の個人政党という側面が強く、党の政策にも彼の思想・主張が色濃く反映されている。思想的には保守に分類されるが、新自由主義政策を批判して財政出動の必要性を訴え、改憲自体は必要としつつも9条の理念は尊重するとし、アイヌ民族の権利を積極的に擁護すべきとするその姿勢は、新保守主義を党是とした今日の自民党より一昔前の(55年体制時代の)自民党や、現在の国民新党・民主党などに近いと言える。また北海道の地域政党として、北方領土の返還や地方分権の推進などを重要なテーマとして掲げている。
2010年9月に収賄などの罪に問われた鈴木宗男代表の実刑判決が確定。議員職を失い、さらに刑期満了から5年間は公民権停止となるため、影響力が低下する可能性が高く、党は存続の危機に立たされている。
党史
結党と郵政選挙
総選挙を目前に控えた2005年8月、収賄事件に絡んで自民党を離党していた鈴木宗男が中心となって結成された。
自民党離党後も鈴木個人の集票力は依然高く、2004年参院選では落選したものの北海道選挙区から無所属で出馬し約48万票を獲得。特に鈴木が地盤としていた道東では自民党・民主党候補と互角以上の戦いを見せていた。
政党要件を欠く新党大地は選挙区・比例区の重複立候補が認められなかったため、鈴木を比例北海道ブロックの1位に据え、鈴木に議席が回るよう配慮して総選挙に臨んだ。鈴木以外には小選挙区で1人、比例区で2人がいずれも北海道ブロック内から出馬したのみであり、道外に候補者は立てなかった。
新党大地は郵政民営化反対を掲げたため、同じく反対派の政党である国民新党・新党日本は北海道ブロックに名簿を提出せず、保守系反民営化票は新党大地に集中した。そのこともあって比例区では433,938票を獲得する善戦ぶりで、無事1議席が鈴木に配分されることになった。
民主党への接近
総選挙後は野党として自民党に相対し、次第に民主党への接近を強めていく。2007年の北海道知事選では民主党の推薦候補を共同推薦し、直後の参院選でも副代表の多原香里を民主党・国民新党との共同推薦候補として無所属で擁立したが、いずれも落選した。
以後も親民主・反自民の姿勢は変わらず、2008年には党の影響力が強い道東の釧路市・北見市での市長選において民主党との共同推薦候補を当選させている。また同年9月には政治的立場の近い国民新党と統一会派を結成した。
2009年の総選挙では小選挙区では民主党候補の支援に回り、比例区では順位1位の鈴木宗男を始め4名の候補者を北海道ブロックに擁立した。その結果、得票率こそ前回より0.4%ばかり下回ったものの、前回並みの433,122票を獲得、前回同様1議席が鈴木に配分される運びとなった。また道内選挙区での民主党の大勝(11勝1敗)にも大きく貢献した。
与党入り
総選挙後に民主党と統一会派を結成。鳩山内閣の閣外協力与党となり、鈴木宗男には衆議院外務委員長のポストが与えられた。北海道での選挙協力に対する論功行賞と見られている。2010年6月に成立した菅内閣においても引き続き閣外協力与党として活動している。
同年7月の参院選は独自候補を擁立せず、北海道選挙区から出馬する民主党公認候補・徳永エリと、民主党の比例区公認候補となった八代英太代表代行の二人を推薦した。その結果、徳永は民主党連合系の競合候補を破って当選し、八代は次点で落選したものの、繰り上げ当選を十分狙える位置につけることとなった。
党存続の危機
このように一定の影響力を維持し続けてきた新党大地だったが、2010年9月7日、収賄などの罪により鈴木宗男代表の実刑判決が確定したことで一転して党存続の危機に晒されることになった。
概要で述べたように同党は鈴木宗男の個人政党としての側面が強く、党の影響力も大半は鈴木宗男個人の影響力によるものである。しかし公選法の規定により、鈴木代表は2年間の懲役(ただし未決拘留日数220日を差し引く)を終えた後も、5年間は選挙権・被選挙権を剥奪されるため、少なくとも7年弱は国政に復帰できない身となっている。
こうした状況下で今後も鈴木宗男個人の影響力が残っていくかは微妙なところである。鈴木宗男の議席は比例代表で得たものであるため、失職後も比例区次々点の浅野貴博(次点の八代英太は民主党に移籍したため繰り上げ不可)が衆議院の1議席を引き継いでいくことになるが、党の先行きは依然不透明である。
新党大地・真民主党
2011年(平成23年)12月28日、元民主党議員3名・無所属議員1名・新党大地議員1名の合わせて5名と鈴木宗男元衆議院議員らが新党「大地・真民主党」を設立した。(翌年1月に名称を「新党大地・真民主党」に改名) 名称が厨二臭いと言われている。こういった経緯から新党大地が新党大地・真民主党に改組する形で発足したと受け取った報道機関・人がいたが、地域政党部門を新党大地、国政政党部門を新党大地・真民主党として役割分担が為されていくことが党副代表によって発表された。
ちなみに民主党離党組が所属しているということで、民主党との統一会派を解消した。が、国会での議席は未だに与党側にあるため閣外協力自体は続けている模様である。
2012年11月28日、新党大地・真民主から新党大地に党名変更し、再び国政部門を担当することになった。
党勢
党史で述べたように鈴木が地盤としていた道東では一定の集票力を見せており、道内、殊に道東を舞台とする選挙で新党大地の推薦を得ることは大きなアドバンテージになると言われていた。
ただこの集票力は鈴木宗男個人の人気に依存していたため、鈴木宗男の失職後もこの集票力が維持されるかどうか微妙な情勢になりつつある。
新党大地・真民主党結成前は衆議院議員1名(浅野貴博)が所属していた。
小ネタ・エピソード
- シンガーソングライターの松山千春は鈴木宗男の親友ということもあって熱心に党を応援しており、「新党大地」という党名を発案したり、党のテーマ曲「大空と大地の中で」を提供したりしている。
- 比例区で「宗男新党」と書かれた票は新党大地への有効票とみなされた。個人政党らしいエピソードではある。
ニコニコ動画における扱い
公式チャンネル・コミュニティは存在せず、投稿動画も少ない。「新党大地」で検索するより「鈴木宗男」で検索したほうがヒット数が多いという有様である。
ニコ動に限らずネット上では自由主義史観や対中朝タカ派外交を志向する右派が支持され、中道~左派は嫌悪される傾向にあるが、新党大地(鈴木宗男)は保守の中でも中道寄りのハト派志向であり、民主党と連携していることもあってネット右派論壇の支持は得にくいところがある。
ただ曲がりなりにも保守であること、小規模地域政党で影響力が小さいことなどから、右派論壇から非難の嵐を受ける民主党・公明党・社民党などに比べると、表立って非難される機会は少ない。そのため支援動画・批判動画のいずれもあまり需要がなく、敢えて作成しようという投稿者もいない状態である。
ちなみに、2009年総選挙に際してニコ動で実施されたネット出口調査では、比例北海道ブロックにおいて白票・棄権を除外した実質支持率で10.5%を記録。実際の得票率を2.5ポイント下回ったものの、現実同様1議席を獲得できる水準を維持している(詳細は動画記事「『第45回衆議院総選挙 ネット出口調査』総合結果」を参照)。
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